軌間 その1 「飛び地」の新幹線

九州の博多から鹿児島中央に直通の新幹線が全線開業したのは平成23年(2011年)のこと。
福岡から鹿児島への所要時間が圧倒的に短縮されたばかりでなく、山陽新幹線の乗り入れも実現している。
博多駅 – 鹿児島中央駅間が最短で1時間16分に、博多駅 – 熊本駅間が最短で32分という速さである。
朝の7時に鹿児島を出ても、福岡市内での9時の会議に十分間に合うほどになった。
ところがもう一つのルートである西九州ルート(長崎ルート)の建設は困難な状況になっている。
というのも西九州ルート(長崎ルート)は当初、フリーゲージトレインで博多駅から佐賀県の新鳥栖まで九州新幹線鹿児島ルートを走り、武雄温泉まで在来線を走行、武雄温泉から長崎までは新設する新幹線の線路を通す計画だった。
フリーゲージトレインとは、軌間可変電車とも呼ばれ、これは主に標準軌(1,435 mm)と狭軌(1,067 mm)の両方の線路上を走行することのできる車両で、現在開発の途上にある。
しかし、そのフリーゲージトレインの開発が難航した。
西九州ルート(長崎ルート)向けの車両耐久走行試験は平成26年(2014年)10月から進められたが、車軸付近にひびや摩耗が発見され、試験中断に追い込まれた。
そして、ついに西九州ルート(長崎ルート)でのフリーゲージ計画は断念されるに至った。
しかし武雄温泉から長崎まで新設工事は、標準軌(新幹線の軌間)で工事が既に始まっている。
その結果、武雄温泉駅で乗り換えを必要とする「リレー方式」が採用される結果になってしまった。
直通ではない、いわゆる「飛び地」の新幹線である。
どうしてこのような「飛び地」が出来あがったのだろうか。
それは、言うまでもなく軌間の違いによる。
そもそも、なぜこのように軌間に違いがあるのだろうか。
軌間とは2本のレールの内側の幅のことをいう。
同じJR線でも在来線の1,067 mm、新幹線の1,435 mmと違いがある。
ここで、この軌間の歴史を少しだけ振り返ってみたい。

建設中の九州新幹線西九州ルート(長崎市)
日本で最初に開業した鉄道は明治5年(1872年)のことである。
開業した区間は、新橋駅 – 横浜駅間であった。
その時に採用された軌間は、標準軌 (1,435 mm) より狭い狭軌の1,067 mmだった。
この標準軌の起源は、英国の炭鉱で使われていた鉄道馬車の軌間と言われている。
その軌間が4フィート8.5インチ(1,435 mm)だった。
のちにジョージ・スティーヴンソンがこの炭鉱鉄道のために蒸気機関車を製造した。
その後はこのときに使われた機関車と同じ設計で機関車が作られたことから、英国各地で急速に普及した鉄道は、4フィート8.5インチの軌間が採用されたことになる。
こうして鉄道の普及は4フィート8.5インチの軌間の普及を意味しており、これが標準軌 と呼ばれるようになる。
一方で、狭軌(Narrow gauge)と呼ばれていた1,067mm(3フィート6インチ)のゲージも普及していた。
経済性の面で優位と考えられたからだ。
同じ大英帝国の領土でも、南アフリカやニュージーランドなどでは、この1,067 mmの狭軌が敷かれている。
またマレー半島などではこの1,067 mmの狭軌よりさらに狭いメーターゲージと呼ばれる1,000mmの軌間を採用している地方もあった。
当時の日本の財政状況を考えると、建設コストが高い標準軌の採用は無理があった。
軌間が広いほど大きな列車を速く安定的に走らせることができるが、建設費がかさむ。
特に軌間が大きいほどカーブを大きく取る必要があり、山地の多い日本では標準軌は経費が掛かりすぎてしまう。
車両が大きければ、トンネル掘削費用も大きく変わってくる。
結果的に、狭軌の1,067 mmが日本の鉄道の標準となったものの、その後1,435 mm の標準軌へ軌間を変更しようとするいわゆる改軌論争が何度かあった。
しかし財政難を理由に、1,435 mm軌間への改軌が実現することはなかった。
その一方で都市部の路面電車などでは、1,435 mm軌間を採用する民間会社も現れた。
日本で最初に1,435 mm軌間を採用した民間鉄道は、大師電気鉄道(現在の京浜急行電鉄大師線)である。
これは将来を見据えた取り組みとも言えるもので、一説によると国鉄が1,435 mm軌間へ改軌するであろうと見越してのこととも言われている。
結局は国鉄の改軌が行われなかったが、路面電車や電気鉄道、地下鉄では1,435mm軌間が普及した。
こうして、日本の鉄道は、主に1,067mmの狭軌と民間鉄道の一部で採用された1,435mmの標準軌との2軌間が併存することになる。

軌間 その2 弾丸列車計画と新幹線
https://ponce07.com/track-gauge-02/

唐辛子 พริก その2

タイでは、日本とは比較にならないほどの大量の唐辛子が消費されています。
市場やスーパーマーケットに行けば、その種類が豊富なことがわかります。
また、売っている量も多く、その消費量の多さにも驚かされます。
乾燥した唐辛子のほか、生の唐辛子もあります。
また、น้ำพริกเผา(ナム・プリック・パオ=唐辛子と海老味噌のチリペースト)やพริกน้ำส้ม(プリック・ナム・ソム=唐辛子入り酢)、น้ำจิ้มพริก(ナム・チム・プリック=つけだれのチリソース)といった、唐辛子を使った各種の調味料も数多く売られています。
唐辛子の種類としては、พริกชี้ฟ้า(プリックチーファー)やพริกขี้หนู(プリッキーヌー)が有名なところです。
พริกชี้ฟ้า(プリックチーファー)とは、
พริก = 唐辛子
ชี้ = 指す
ฟ้า = 空
であり、上に向かって実がなることからその名前がついています。
長さが6~7cmの唐辛子で、辛さはそれほど強くはありません。
赤いものはพริกชี้ฟ้าสีแดง 、緑のものはพริกชี้ฟ้าสีเขียว と言います。
また、พริกขี้หนู(プリッキーヌー)は、長さが2~3cmの小粒の唐辛子です。
多くの唐辛子のなかでもこのプリッキーヌーは辛さが強烈です。

พริกขี้หนู(プリッキーヌー)を分解すると
พริก = 唐辛子
ขี้ = 糞、滓
หนู = ネズミ
となり、ネズミの糞の唐辛子という何とも変わったネーミングなのです。
なるほど通常2~3センチ程度の小粒の品種なので、その形状はいかにもネズミの「それ」なのです。
タイ人はこの小粒の唐辛子を好んで使います。
この辛さと香りがタイ人の好みに合っているのでしょう。
飲食店で、つまみなどを頼むと皿の隅にพริกขี้หนู(プリッキーヌー)がついてくることがあります。
これまでもこのブログでいくつかのタイ料理をご紹介いたしました。
(グリーンカレーの作り方 แกงเขียวหวาน https://ponce07.com/green-curry/
なかでもトムヤムクン(スープ)やグリーンカレーなどが有名なところですが、これらの料理にも、このพริกขี้หนู(プリッキーヌー)が多く使われています。
พริกขี้หนู(プリッキーヌー)は小粒で非常に辛い品種で、通常は青いまま使われます。
グリーンカレーなどは、色が薄い緑色の汁で、赤い色が見当たらないので、一見するとそれほど辛くはなさそうに見えますが、実はこれが辛いのです。
けっこうな辛さが後から伝わってくるのです。
このพริกขี้หนู(プリッキーヌー)はพริกน้ำปลา(プリックナンプラー)の原料としても使われます。
น้ำปลาナンプラーに刻んだพริกプリック(唐辛子)とมะนาวマナオ(タイのライム)、ニンニクを加えたこの調味料はタイ料理には欠かせないものです。

昔に覚えた「작은 고추가 맵다」という韓国のことわざを思い出しました。
「小さな唐辛子が辛い」という意味になります。
日本流に言えば、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」といったところでしょう。
あの小さいพริกขี้หนู(プリッキーヌー)に、これほどの辛さが宿っているとは、驚きです。
唐辛子の世界は奥が深いようです。
これからも、「辛い物好き」の一人として、アジアの食文化に多く触れていきたいと思います。


タイ語ランキング


タイ旅行ランキング

唐辛子 พริก その1

これからの暑い季節には、辛い料理が無性に食べたくなるものです。
食べた直後は、熱い感覚が口の中に広がりますが、やや遅れて汗が流れます。
この感覚が実に心地良いのです。
発汗は体温を下げる働きがありますので、蒸し暑い東南アジアでは辛い料理、とりわけ唐辛子を多用した料理が好まれているのです。

唐辛子の原産地は中南米と言われています。
メキシコでの歴史は大変古く、紀元前6000年に遡るとも言われています。
この唐辛子が世界各地に広がるのは15世紀以降のことなのです。
それが世界に広まるきっかけとなったのがコロンブスによるアメリカ大陸の到達です。
コロンブスはインドのコショウを求めて大西洋を越え、さらに太平洋も越えてアジアを目指しましたが、その途中アメリカ大陸に到達します。
しかしコロンブスはそこがアメリカ大陸とは知らず「ついに我々はインドにたどり着いた」と思い込んでしまうのです。
アメリカ大陸の先住民族がインディアンと呼ばれたり、カリブ海の島々が西インド諸島と呼ばれたりするようになったのは、こうした理由があったからに他ならないのです。
そしてコロンブスはそこで見かけた赤くて辛い香辛料も「きっとコショウの一種に違いない」と思い込み、ヨーロッパに持ち帰って「Red Pepper(赤いコショウ)」と紹介したのです。
胡椒とは関係が無いにも関わらず「Pepperペッパー」と呼ばれている理由は、こうした背景があったからなのです。
その後、唐辛子は大航海時代の波に乗って瞬く間に世界へと広まっていきます。
唐辛子は、漢字の意味としては、「唐から伝わった辛子」となります。
この「唐」はというその漢字が意味するとおり、南蛮渡来の物ということになります。
記録によりますと日本への初めての伝来は1542年ということになっています。
ポルトガル人の宣教師が、豊後国の大友宗麟に唐辛子の種を献上したのです。
しかし、この唐辛子の味は、当時の日本人の味覚には合わなかったようで、食用としては使われることはありませんでした。
唐辛子は観賞用や足袋の先端に入れるしもやけ止めなどとして使われるに過ぎなかったと言われています。
その後江戸時代になり、寛永期に江戸で漢方薬の研究をしていた中島徳右衛門という人物が、唐辛子に種々の香辛料を配合した「七味唐辛子」を開発します。
これが江戸の町でヒットすることになり、唐辛子は日本で香辛料としての地位を確立することになります。
しかし、日本での唐辛子の位置づけは、それほど大きくはなかったと思われます。
1980年代以降、エスニック料理が浸透し、「激辛ブーム」が起こってからは、料理に唐辛子が多く使われるようになりましたが、それは比較的最近のこととも言えます。
以前は、薬味や香り付けに一味唐辛子や日本特有の七味唐辛子が少量使われる程度であり、辛口の商品に関しても多くのレパートリーが用意されていたわけではなかったのです。
しかしアジアにはインドやタイ、韓国など唐辛子が日常的に使われる国もあります。
小さい子供もこんな辛い物を食べるのか疑問に思う人も多いのですが、こうした国々の子供も最初から辛い物が食べられるわけではありません。
小さい子供の頃から少しずつ唐辛子を食して、徐々に辛い味に慣らしてき、舌や胃腸を刺激に対して強くしているようです。

唐辛子 พริก その2 https://ponce07.com/pepper-2/


タイ(海外生活・情報)ランキング

出生 เกิด

前回は、日本語にある独特な表現として、日本人の言霊(ことだま)信仰について書きました。
しかし、このような表現方法、つまり縁起の良くないことを直接的に表現するのを避ける言い方は、他の国でもしばしば見受けられます。
タイ語にも、これによく似た興味深い表現があります。
子の出生に関する表現です。
まずは、以下の2人の女性のダイアログをご一読願います。

A:เพื่อนดิฉันคลอดลูกผู้ชายเมื่อวานนี้ค่ะ
B:จะไปเยี่ยมเพื่อนที่โรงพยาบาลหรือคะ
A:ค่ะ คิดว่าลูกเขาคงจะน่ารักมาก
B:สมัยก่อน คนไทยไม่ชมเด็กว่าน่ารักนะคะ
A:เพราะอะไรคะ
B:เพราะกลัวว่าผีจะเห็นด้วย แล้วจะเอาเด็กไป
A:มิน่าล่ะ เด็กน่ารัก แต่คนไทยบางคนพูดว่าน่าเกลียดน่าชัง ไม่พูดตรงๆว่าเด็กน่ารัก
B:ค่ะ คนสมัยก่อนเรียกชื่อเด็กว่าหมู ว่าแมว เพราะจะหลอกผีว่านี่ไม่ใช่ลูกคนนะ อย่าเอาไปนะ
A:มิน่าล่ะ คนไทยก็เลยมีชื่อเล่นเป็นชื่อสัตว์กันเยอะ
B:แต่สมัยนี้คนไทยไม่เชื่อเรื่องนี้แล้วค่ะ

A:私の友達が昨日男の子を出産しました。
B:病院にお見舞いに行くんですか。
A:ええ。彼女の子はきっととても可愛いと思います。
B:昔は、タイ人は子供のことを可愛いとはほめませんでした。
A:どうしてですか。
B:ピー(精霊、幽霊)がそう思って、連れ去るのを恐れたからです。
A:道理で。可愛いくても、醜くて憎たらしいと言って、素直に可愛いと言わないタイ人もいます。
B:ええ。昔の人は子供の名前を豚とか猫とか呼びました。なぜなら「これは人間の子ではありませんよ。連れて行かないでね」とピーを欺こうとしたからです。
A:道理で。だからタイ人は動物の名前をニックネームにしている人が多いんですね。
B:でも今はタイ人はもうそれは信じていません。

出典:中級タイ語総合読本 タイの社会と文化を読む
著者:斉藤スワニー 三上直光
出版:白水社

ピー(精霊、幽霊)が子供を連れ去るということは、あの世に連れていかれること、つまりは子供が死亡することを意味しています。
この発想は、古代の社会のように、乳幼児の死亡率が高かった頃の名残が色濃く残っているということができます。
現在はタイでも医療水準は相当に高く、死亡率は低くなっていますが、それでもこのような表現が残っているのです。
日本でも古代の社会では、幼少の頃の名前は、悪いイメージを連想させるものがよく使われていたと言います。
あの豊臣秀吉の幼少時の名は「棄丸(すてまる)」であったことは有名な話です。
子供が成長した後になって、正式な名前に改名していたのです。
現代のタイでは、行われることが少なくなったと言いますが、産毛の一部を残して、髷を作り、子供が成長してから(概ね11歳から12歳ころ)これを切り落とす、まげ落としの儀式があります。
髷は魂が宿るところであり、その魂が出ていくと疫病にかかってしまうと考えたので、幼少時には髷を残しておくというわけです。
いずれにしても、こうした伝統文化は、子の健やかな成長を願う両親や親族等の祈りが込められた大切なしきたりだったに違いありません。
我が子の成長を喜ばない親はいません。
このことは、古今東西変わることはないのです。

★今回参照させていただきました「中級タイ語総合読本」は、タイの文化について、平易なタイ文字で書かれている良書で、かつ解説も充実しており、タイ語の勉強に大変参考にさせていただいております。タイ語学習者で、初心者レベルを一定通過したかたは、ぜひお使いになっていただきたい一冊です。


タイ語ランキング

細やかな日本文化  「言霊(ことだま)」

タイ語の辞書アプリのひとつ「J-Doradic」で日本語の「お開き」について検索してみると、「ปิด (งานเลี้ยง พิธี) =閉会(宴会、式典)」との説明があるのがわかります。
なるほど「お開き=opening」が「終了」を意味するとは…
一見論理的に矛盾しているような表現で、外国人にとっては、理解しがたい部分と言えるでしょう。
それでは、なぜこのような表現方法が生まれたのでしょうか?
その背景についてちょっと考えてみたいと思います。

日本語の表現を語るうえで欠かすことができない特徴のひとつに、日本人は「言霊(ことだま)」を重視する点が挙げられます。
言霊とは、古代からの日本人の持つ考え方の一つで、言葉には不思議な力が宿っているというものです。
そして、自分の望んでいることを現に言葉として発することで、その言葉どおりの結果をもたらす力があり、これが言霊なのです。
わかりやすく言えば、雨が降ってほしい時に「雨よ降れ。」と祈るようなことです。
普通に科学の知識をもった現代人であれば、雨の降る原理も当然に知っていることでしょう。
だから、このような言霊などは、ただの迷信に過ぎないと笑うに違いないでしょう。
しかし、実際のところは、この「言霊」の影響を受けたとしか思えないような表現がいくつも見受けられるのです。
たとえば、結婚披露宴の席でのスピーチには「別れる」「切れる」といった言葉が登場しないことはよく知られています。
それは、「別れる」「切れる」といった言葉から、離婚や離縁といったことが連想されるので、「縁起が悪い」と考えるからにほかなりません。
お通夜やお葬式の場面でも、「重ね重ね」「重ねて」「再び」など、繰り返して起きることを想起させるような言葉も、やはり「縁起が悪い」言葉として避けられているのです。
これも、言霊が強く信じられていたことから生まれた風習といえます。
パーティーや宴会などの席で、会の終了が近づくと「宴もたけなわではございますが、そろそろお開きということで…」などと司会者が言うことでしょう。
冒頭で触れましたが、ここでいう「お開き」とは、もちろん「終了」の意味として使われています。
宴会の席は「おめでたい」場になりますので、やはり「終わる」という言葉は相応しくないと考えるから、「お開き」という言い換えの言葉になっているのです。
私たちは普段の生活のなかで、このような言い換えの言葉を自然に使っているのです。
科学的な知識をある程度持っている現代人であっても、言霊の発想は根強く生きているのです。
このことは、相手の気持ちを察して、不快な感情を与えない配慮とつながっているということができます。
迷信だ、根拠がないと言っても、社会には一定のルールが成立していて、それを守ることは礼儀作法なのです。
こうした配慮や礼儀作法は、長い歴史のから生まれた先人の知恵であり、これからも大いに尊重され、また後世に引き継いでいくことが求められるべきものだと考えます。

英勝寺(鎌倉市)

タイのお粥  โจ๊ก

タイの料理と聞いて、多くの日本人が想像するのが「グリーンカレー」や「トムヤムクン」、「パッタイ(タイ風焼きそば)」などでしょう。
辛いというイメージが先行して、何を食べても辛いのではないかと思う人もいるかもしれません。
辛くて味付けの濃いイメージの強いタイ料理ですが、辛くない料理も多くあります。
朝食によく食べられる「お粥(かゆ)」もそのひとつです。
ちょっと意外に感じるかたもいらっしゃるようですが、タイでもよくお粥が食べられています。
朝食にお粥を好んで食べる人が多いのは、もちろん中国でしょう。
タイには、華僑のように中国系のルーツを持つ人も多くいて、中国からの食文化も広く根づいているのです。
タイのお粥は「ジョーク(โจ๊ก)」と「カオトム(ข้าวต้ม)」の二つに大分できます。
ジョークとは砕いた米を煮込んだもので、米粒はほとんど形を残していない状態です。
ジョーク自体には味はついていません。
朝飯屋で提供されるのは、これに豚のひき肉や卵、刻んだ野菜・ショウガなどの具材をトッピングし、調味料が加えられたものです。
また、パートンコー(ปาท่องโก๋)と呼ばれる小ぶりの揚げパンとの相性が良いので、一緒に食べる人も多いようです。
このあたり食べ方も、中国からの影響が見受けられます。
一方のカオトムの「ข้าว」は米、「ต้ม」は煮るという意味であることから、直訳すれば「煮たご飯」ということになります。
日本の雑炊のように、汁物でご飯を煮込んだものです。
汁気が多く、こちらのほうは米の形状を残しています。

この写真は、クラビタウンの市場内にあったお粥屋です。
ここではジョークが売られています。
看板には、並盛り(=ธรรมดา)が25バーツ、卵入り(=ใส่ไข่)が30バーツ、小盛り(=เล็ก)が20バーツと書かれています。
ここには写っていませんが、スペシャル(=พิเศษ いわゆる「全部のせ」のこと)もありました。

味付けは比較的にさっぱりした感じです。
そのままでもいけますが、お好みに応じてテーブルの上の調味料を加えるのもOKです。
テーブルの上の調味料の使い方は、下記をご参考に…

https://ponce07.com/seasoning/

辛いタイ料理はちょっと苦手という人も、このジョークなら美味しく食べられると思います。
ぜひトライしてみてください。


タイランキング

食のタブー その3

写真は東京の池袋にある蘭州ラーメンの店で撮影したものである。
このラーメンは、中華料理につきものの豚肉は一切使用されていない。
蘭州ラーメンのスープは豚骨を使わず、牛骨で作られたものである。

蘭州ラーメン
蘭州とは、そもそもどこの地方なのか?
蘭州は、中国甘粛省の省都であり、中国の中央部に位置している都市である。
古くからシルクロードの要衝の地で、ムスリムが多い土地柄である。
ちなみに、ラーメンを漢字で表現すると「拉麺」となるが、この「拉」は、「引っ張る」という意味を持っている。
つまり、ラーメンは小麦粉をこねて「引っ張って」作った麺のことを言う。
この蘭州ラーメンは蘭州の回族が始めた郷土料理のひとつだったのだが、ラーメンのルーツともいえる存在だ。いまとなっては中国国内はもとより、東京にも店が進出するほどの人気を博している。
この池袋のラーメン店では、蘭州ラーメン以外にも、サイドメニューがある。もちろんそれらも、イスラム式である。
写真のケバブ(串焼きの肉)は、羊肉である。
羊肉のケバブ
他にも、羊のタン(舌)や羊のハツ(心臓)などを使ったメニューも用意されている。
毎日羊肉を同じように調理していれば当然に飽きてくる。
そのため、内臓などほかの部位を使ったり、別の調理方法を使ったりする。
香辛料のよく効いた羊のケバブは、なかなか旨かった。
しかしあまりゆっくりと食事を楽しむわけにもいかなかった。
ちょっと早めに入店したのだが、正午頃には店は、客でいっぱいになっていた。
店を出ると、店の前には入店待ちの行列ができていた。
なかにはヒジャブを着用した女性もいる。
このラーメン店は、ハラールフードの取り扱い店でもあるのだ。
日本では、まだまたハラールフードを扱う飲食店は限られている。
東京のような大都市でも、その数は多いとは言えない。
だから、ムスリムが外食しようとしても、入店できる店は限定されてしまう。
★撮影 蘭州拉麺店火焔山(東京都豊島区池袋2丁目)
ハラール認証のマーク(一例)

訪日する外国人が急増している。
2020年の東京オリンピック開催の時期は、その数はさらに増えるに違いない。
東京の街にも多種多様な外国語表記が登場するようになって、国際化の進展を実感することができる。
その一方で、現在全世界に16億人以上のムスリムがいると言われているが、彼らに対する理解はまだ十分に浸透しているとは言えない。
日本人が真の意味での「おもてなしの心」を持つことが望まれる。

 

 
タイランキング

食のタブー その2

宗教観や生活様式などの理由が食のタブーを生じさせているので、そのタブーは相当に根が深い。簡単に変えられるものではない。
イスラム教徒は、この世に唯一の神(アッラー)を信じて、その教えを日々実践して生活している。この日々の実践のなかにはもちろん食事も含まれる。
したがって食事のつど、神の教えで禁じられた食品や成分を避ける。こうした行為は信仰の実践に他ならないのである。
かつて日本の入国管理局のある支局で、収容しているイスラム教徒であるパキスタン人の男性に宗教で禁じられている豚肉を誤って提供したことが大きな問題になった。
給食業務を受託した業者が、誤ってベーコンを混入させてしまったという。男性は支局の給食を拒否して抗議の意志を示し、水や栄養剤だけを口にするハンガーストライキを始めた。
入管側は「確認が不足していた」と陳謝したが、これが国際問題にまで発展してしまう。
多くの日本人には理解しにくいが、ムスリムはそれほどまでに神の教えを厳格に実践するのだ。
イスラムの経典であるコーランには、「あなた方に禁じられたものは死肉、流れる血、豚肉、アッラー以外の名を唱えて殺されたもの」と定められている。
他の動物は食べてよいのに、なぜ豚だけは禁じられているのだろうか。
豚はもともと涼しい気候を好む動物であり、中近東地域のように日差しの強い乾燥した土地での生活に弱い。そのうえ汗腺がないので、体温を下げるために、泥水の中を転げまわることがある。
豚は反芻をしないために牧草や野草で飼うことができない。人間も食べることのできる穀物の類を与えなければならない。
こうした習性ゆえに、豚がいかにも不潔に見られるのも無理はない。
気候的な条件から飼育するのが困難な豚は敬遠される。豚がいなくてもまったく問題はなかった。羊や山羊、鶏など食用にできる動物が他にもたくさん飼われていたからである。
イスラムが始まった1400年前のアラビア半島では、豚は不必要であり、不浄な存在でしかなかったのに違いない。
こうした気候や地理的な条件などから、「豚=不浄のもの」という禁忌が生まれ、現在までに受け継がれているのだ。

食のタブー その3
https://ponce07.com/food-prohibitions-3/


タイランキング

食のタブー その1

飲食において宗教、文化上の理由でタブー(禁忌)とされる特定の食材を「食のタブー」と呼ぶ。社会の特定の集団には各々独自の食文化があるので、それがいくつかの食べ物にたいして禁忌感を与えることになる。対象になる食材は、おもに動物の肉である。
この「食のタブー」のよく知られた事例としては、イスラム教徒が豚を不浄の動物とみなしていることから豚肉を食べることはない。また、ヒンズー教徒が牛を神聖なものとして尊ぶことから牛肉を食べることはないことなどである。事実、イスラム教の経典であるコーランには豚肉を食べてはならないと定められているといい、ヒンズー教では神々が宿る聖牛を食べると輪廻転生の最下段に堕ちると教えているという。
また、宗教上の理由ではないが、長年の生活習慣の違いによって生じる理由もある。牛や馬などの役畜や犬や猫などの愛玩動物など、特定の動物に対する心理的な感情から背徳感を呼び起こし、食用とすることができないものもある。日本にもっとも近い国である韓国でも、日本との差異がある。多くの韓国人は、日本人が馬肉を食べるのに驚嘆するという。しかし、日本人は韓国人が犬肉を食べると聞くと眉をひそめる。
鹿肉や猪肉の場合はどうだろうか。人それぞれに評価の分かれるところだろう。写真は、長野県軽井沢町のレストランで撮影したもので、鹿肉を使ったカレーと鹿肉と猪肉を使ったパスタである。このレストランの看板メニューでもあり、注文する者は多い。
味のほうは、間違いなく美味と言える。

鹿肉のカレー
鹿肉と猪肉のパスタ
★撮影 軽井沢ベジビエ(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東)

日本に住んでいれば、食品売り場には、さまざまな種類の獣肉が販売されており、この食のタブーを意識することはあまりない。ところが、外国に出てしまうと、途端にこの問題に直面することになる。
イスラム圏を旅行すればわかることだが、こうした地域では、羊肉が中心になる。毎日が羊肉といってもいいくらいなのだ。羊肉の独特の臭いになじめない人はかなりのストレスになるのではないだろうか。
一方タイでは仏教徒が大半なので、食に対するタブーは、他のアジア諸国に比べると少ないほうなのかもしれない。
しかし一部のタイ人は牛肉を避ける。観音信仰を持つタイの仏教徒は、牛を食べない。これは、観音様の出家を反対した観音様の父親が、生まれ変わって牛になったとの信仰に由来している。つまり、観音様の父親に敬意を表して食べないというのである。
また、牛は農耕の際に使われる役畜としての役割が大きかったので、牛肉を食べるのに抵抗感を持つ者が多かったのもその理由である。
さらに言えばタイにも、特に南部には、少数派ではあるがムスリムもいるので、彼らが決して豚肉を口にすることはない。
南部のクラビー県・ムアンクラビー郡の公設市場内の食肉売場は、一般の売場とムスリムのための売場(ハラルフード売場)に分けられていたのを覚えている。
仏教国のタイでも、ムスリムに対する配慮がきちんとなされているのがわかる。

食のタブー その2
https://ponce07.com/food-prohibitions-2/


タイランキング

御徒町の「紫色のビル」 ”ตึกม่วง”

前回の話題はアメ横でしたが、このアメ横の端が御徒町(おかちまち)になります。
その御徒町で有名なディスカウントストアが、この多慶屋です。
創業は昭和22年とのことですから、ディスカウントストアのさきがけと言える存在でしょう。
「多慶屋」の漢字は読めない外国人にも、ひときわ目立つ紫色のビルはよく知られています。
“Purple Building”は、訪日する外国人観光客の買い物スポットとして有名なのです。

คนไทยจะเรียก “ตึกม่วง” กันจนติดปากแล้ว
ซึ่งมีชื่อจริงว่า “ทาเคยะ (Takeya)” แต่เพราะตัวตึกสีม่วงโดดเด่นสะดุดตามาก จึงเป็นที่มาของชื่อ “ตึกม่วง” ไปโดยปริยาย
ร้านทาเคยะเป็นดิสเคาน์สโตร์ที่มีประวัติศาสตร์ยาวนานที่สุดของญี่ปุ่น
ทาเคยะเป็นที่รู้จักแพร่หลายของนักท่องเที่ยวชาวเอเชียตั้งแต่หลายสิบปีก่อนจนได้รับการขนานนามว่า”ตึกม่วง” ปัจจุบันมีลูกค้าชาวต่างชาติมาเยี่ยมชมกว่าแสนคนต่อปี
กลุ่มอาคารสีม่วง 8 ตึก ข้างๆ สถานีโอคาจิมาจิ (Okachimachi) ซึ่งอยู่ท้ายตลาดอาเมะโยโก
เสน่ห์ของทาเคยะอยู่ที่เป็นแหล่งรวม สินค้าครบครัน และ ราคาถูก นั่นเอง
ไม่ว่าจะเป็นอาหารการกิน เครื่องครัว กระเป๋า เสื้อสูท นาฬิกา เครื่องใช้ไฟฟ้าในชีวิตประจำวัน หรือแม้แต่โทรทัศน์ และคอมพิวเตอร์ เป็นต้น
และสามารถหาซื้อของทั้งหมดได้ในที่เดียว
สำหรับลูกค้าชาวต่างชาติ ยังสามารถขอยกเว้นภาษีสินค้าทุกประเภทได้ที่เคาน์เตอร์ขอยกเว้นภาษี ภายในร้าน จึงทำให้ราคาสินค้าถูกมากกว่าเดิม
นอกจากนี้ ภายในร้านทาเคยะก็มี Wi-Fi ฟรี ติดตั้งไว้ให้บริการด้วย
タイ人が口をそろえて言う「紫色のビル(Purple Building)」。
本当の名は多慶屋(Takeya)という。
しかしその紫色のビルは人目を引くことから、「紫色のビル」と呼ばれるようになった。
多慶屋は日本でもっとも歴史あるディスカウントストアである。
また、何十年も前からアジアの観光客の間で有名で、「紫色のビル」と呼ばれ、現在では年間10万人以上の外国人観光客が訪れる。
紫色のビル8棟は御徒町駅のそばにあり、それはアメ横の端でもある。
多慶屋の魅力は品揃えと商品の安さである。食物、台所用品、バッグ、スーツ、時計、家電製品や日用品のみならずテレビやコンピュータなどもある。
そして一箇所ですべての製品を購入することができる。
外国客向けに免税サービスもある。店内の免税カウンターですべての種類の商品の免税が受けられ、商品の価格を抑えることができる。
また、店内には無料Wi-Fiが設置されている。

タイで人気のわさび味ピスタチオ

เส้นทางเข้าถึงทาเคยะ(access)
ลงรถไฟ JR สายยามาโนเตะ ที่สถานี โอคาชิมาจิ  ทางออกด้านเหนือ  เดิน 2 นาที
ลงรถไฟใต้ดินสายฮิบิยะ ที่สถานี นะคะ-โอคาชิมาจิ  ทางออก 3 ถึงหน้าร้านทันที
ลงรถไฟใต้ดินสายโอเอโดะ ที่สถานี อูเอโนะ-โอคาชิมาจิ  เดิน 3 นาที
ลงรถไฟใต้ดินสายกินซ่า ที่สถานี อูเอโนะ-ฮิโรโคจิ  เดิน 5 นาที
多慶屋へのアクセス
JR山手線 御徒町駅下車 北口徒歩 2分
地下鉄日比谷線 仲御徒町駅下車 3番出口徒歩 0分
地下鉄大江戸線上野御徒町駅下車 徒歩 3分
地下鉄銀座線上野広小路駅下車 徒歩 5分

館内の表示にもタイ語があります

เวลาทำการ
10:00 น. – 20:00 น.
(แผนกอาหาร ・ผักผลไม้ 9:30 น. – 20:00 น.)
วันหยุดทำการ เฉพาะ
1 มกราคม (วันหยุดนักขัตฤกษ์)
営業時間
10:00 AM ~ 8:00 PM
食品売場・青果売場:9:30 AM~8:00 PM
年中無休(1月1日を除く)


多慶屋という商号は、創業者の竹谷氏が、「多くの人に慶びを与えたい」という願いから付けられたと言われています。
いまは、各地方にいろいろなディスカウントストアが乱立するようになりましたが、以前は(僕が子どものころは)こうした大安売りを前面に打ち出したディスカウントストアそのものが少なかったものです。
多慶屋に買い物に行ったときは、お客の多さに圧倒された思い出があります。
時代は流れても、多慶屋は健在でした。
とりわけ外国人観光客には絶大な人気を誇っています。
これからも世界の多くのお客さんに慶びを与えれれるようがんばっていただきたいものです。


タイ語ランキング