白い道 エピローグ

帰国してからも残務整理があった。
国民健康保険の海外療養費請求をした際に、書類の不足を指摘された。
海外療養費請求とは、海外渡航中に病気やケガで現地の医療機関で治療を受けた場合、治療費の全額を支払い、帰国後に加入している医療保険から海外で支払った医療費の一部の払い戻しを受けることができる制度のことである。
最初に入ったクラビー県の病院での診療内容明細が不足していた。
クラビー県の病院にお礼状を兼ねて、診療内容明細書の作成を依頼した。
タイ語で手紙を書くのにかなり苦労したが、病院はすぐに理解してくれ、即日で文書を作成してくれた。
PDFで送付してくれた。
距離感を感じさせない、スピード感が心地よかった。
海外療養費の結果は、予想以上に低い評価となった。
それでも申請を成し遂げた充実感があった。
「生きて帰れたのだから、まだいい方だ」とおフクロは言っていた。
タイ語と日本語を併記したそのお礼状は珍しかったのだろう。
いまも病院の掲示板に貼られている。
親父もいまは回復している。
その後診察にあたった東京の医師も、レベルの高い手術がされていることを称賛していたという。
「事件」の話題は、いまでも冗談めかして話す。
クラビーの病院で、うわ言のようにつぶやいていたのは、旅行カバンの底に隠していた現金のことだった。
「黒いスーツケースの底に黒い小さいカバンがあって、その中に黒い財布があって…」
「中に入っているのは黒いカネなのかね?」
グーグルマップであの「白い道」を探す。
実際にはきれいに舗装された「黒い道」だった。
その道をまた歩いてみたい。
その時が来るのを心待ちにしている。


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白い道 その16

タイを発つ日の朝になった。
午前中に病院での診察を受け、手術に問題ないことが告げられた。
関係者に礼を言って病院を後にした。
少し早めの昼食のあと、ホテルの関係者のクルマで空港に向かう。
途中、車窓から賑やかな観光地や真っ青な海岸が見えた。
プーケットは有名なリゾート地なのだ。
滞在していたのはリゾート地とは無関係の下町界隈だった。
一般の観光客が立ち入ることのないエリアで過ごしたことになる。
でもそれがかえって記憶に残る良い経験になったと思う。
当初の予定をキャンセルしたので、帰国の航空券は改めて買いなおすことになってしまった。
プーケットの空港からバンコクのドンムアン空港へ向かう。
少し休憩してから、両親を成田行きに乗せる。
ペースメーカーを入れているのでセキュリティチェックの時は注意するよう、タイ語のメモを記しておく。
成田での出迎えは、東京に住む姉に頼んだ。
両親のチェックインが済んでから、僕自身の帰国になる。
ドンムアン空港からスワンナプーム空港に移動して、そこから福岡行きの便に乗る。
飛行機が動き出したとき、時計の針は午前0時を回っていた。
飛び立つ飛行機の車窓から、バンコクの街の明かりが見えた。
その「事件」なければ、立ち寄るはずだったのだけれど…
しかし「事件」があったおかけで、たくさんのことを知ることができた。
たくさんの貴重な経験ができた。
たくさんの人情を知ることができた。
街の明かりが滲んで見える。
その瞬間、今回の旅行中に出会ったたくさんの顔が脳裏に浮かんで来た。

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白い道 その15

ホテル「Baanphuanda บ้านภูอันดา」は、病院から歩いて5分もかからないところにあった。
下町の一角で、隣はアイスクリーム屋になっていて、夕刻になると学校帰りの女子学生が寄り道している光景が見られた。
退院してから帰国できるまでは、このホテルに泊まることになった。
泊まった部屋は2階に位置していた。
親父は手術直後ということもあって、歩くのが困難だった。
特に階段の昇降は苦労した。
時間もかかった。
外に出て、食事にでも出かけたいという気持ちも失せていたのだろう。
大半を部屋の中で過ごしていた。
ホテルのメイドさんが果物の差し入れをくれた。
オーナーの女性は、こちらが頼んだわけでもないのに、新品の杖を調達してくれた。
人情味の溢れるタイの人々には、両親とも驚いていた。
たった数日間のことだったが、今までに経験したことのないたくさんのことがあった。
クラビーの病院の前の白い道を思い出した。
途方に暮れていたところを助けてくれたのは、ムスリムのアイスクリーム売りの女性だった。
驚いた。ムスリムの女が見ず知らずの外国人の男をバイクに同乗させるということ自体あり得ないことと思った。
バイクの後ろ取り付けてあるアイスクリームの屋台には、幼い小さな女の子が乗っていた。
娘なのだろう。見たところ就学前の年齢だ。
その子は突然の乱入者に驚く様子もなく、無邪気に笑っていた。
小さな掌で、僕のかけていたサングラスを叩く仕草をした。
こちらは、親父が異国の地で危篤になり入院している状況なので、その緊張感は相当なものだった。
しかし、ここにいる幼い女の子はそんなことは知る由もない。
信号が赤になり、バイクが止まる。
間がもたない気がして、尋ねてみた。
「かわいい子だね、歳はいくつかい?」
ところが、母親と思われるこのアイスクリーム売りの女性の答えは意外なものだった。
「この子はね、耳が悪いのさ。あんたの言っていることは聞こえていない」
信号が青に変わり、バイクは動き始める。
またしても驚いた。
と同時に目頭が熱くなった。
持ってきたサングラスが大いに役に立った。
この場所で一日アイスクリームを売ったところでいくらの売り上げになるのか。
重度の障害を持った幼い子を抱えて女手一つで商売をしているのだろうか。
いろいろな想像が脳裏をよぎる。
僕の泊まっていたホテルの場所を知らなかったようで、街の人に聞きながら、やっとのことでたどり着いた。
相場よりも高額のチップを渡した。
その女性は受け取るのを拒んだが、結局は押し付けるように渡してしまった。
女性はムスリムなのだが、両の掌を合わせるタイ式の仕草をした。
「ขอบคุณค่ะ(ありがとうございます)」
小さな声が聞こえた。
おフクロもよく言っていた
「タイに来てから不愉快な思いをしたことはほとんどない」
将来、この街をまた訪れる理由ができた気がした。

白い道 その16
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白い道 その14

言葉が通じない不自由さは相変わらずだったが、看護師や病院のスタッフは親切に接してくれた。
彼らはタイ語しか話さなかったが、言っていることが少しずつわかるようになってきた。
他にもわかってきたことはある。
入院時の食事は、タイ式と洋食式が選べること。
病棟には仏教式、イスラム式、キリスト教式の3つの礼拝室があること。
慰問のための演奏なのか、ヴァイオリン弾きの男がやって来ること。
見舞客のために院内の1階に花屋があること。
ホールのスペースにテーブルを並べて営業活動しているのは、生命保険会社であること。
デング熱が流行しているので、注意を促すチラシが配られていること。
病院内の雰囲気に少しずつ慣れていった気がした。
コンビニ通いにも慣れてきた。
月曜日になり、銀行で両替もできた。
親父の容体も回復し始めた。
このときになって初めて、クラビーからプーケットに転院したことを知ったという。
退院の日が見えてきた。
ただし、埋め込んだペースメーカーの初期不良をチェックしなければならないので、手術1週間後の診察が済むまでは、航空機搭乗のOKは出せないとのことだった。
退院してから、帰国できるまでは3、4日必要になる。
その間に泊まる宿を探しに、病院の周囲を歩き回った。
1軒のプチホテルを見つけて、宿泊の予約を申し出た。
病院の周辺は、観光地の雰囲気は全くなかった。
下町の庶民の暮らしぶりを垣間見ることができる。
あれほど不安の底に追い込まれたが、少しずつ明るさが見えてきた。
この街が好きになれそうなしてきた。

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白い道 その13

集中治療室の前の廊下で夜を過ごすのも、これで2晩目になる。
ベンチで横になっていたら、スタッフが毛布と枕を持ってきてくれた。
ありがたかった。
僕の方はともかく、おフクロは相当に疲れているはずだ。
昨日からほとんど食べていない。
手持ちの現金が少なくなっているのも気になった。
親父が倒れたのか金曜日だった。
両替はレートの良いバンコクの両替商でするつもりだったから、クラビーでは必要最小限しか両替をしていなかった。
バーツの残りが少ないのが気になったが、昨日今日がちょうど土日にあたっていたので、両替ができなかった。
カードを使ってキャッシングする方法もあると思ったが、面倒だし操作ミスが怖かったので結局我慢した。
食事も院内にあるコンビニで軽食を買って済ませた。
IDとパスワードをもらって病院内のWi-Fiに繋がることができた。
この時やっと自分のいる位置がわかった。
この病院がプーケット県のどこにあるのかやっと知ったことになる。
プーケットと言えばリゾート地で有名だが、ここは観光地からは離れた下町のようなところだった。
日本にいる姉にも連絡が取れた。
翌朝、手術がうまくいったことを知らされる。
親父も意識を回復した。
その晩に集中治療室から一般病室に移った。
一般病室と言っても大部屋ではない。
この病院の病室は個室しかないとのことだった。
もちろん同行の家族も使っていい。
3日ぶりにシャワーを浴びることができる。
「ホテルみたいだな」率直な感想だった。
「『ホテルみたい』じゃないよ。『ホテルとイコール』なのさ」
案内してくれた看護師の男が笑った。

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白い道 その12

意思疎通の不便さでは大いに苦労させられた。
難解な発音のタイ語を上手く使うことができない。
2,3回言って理解してもらえればそれは良い方。
上手く言うことができず紙に書いて説明したりもした。
それでも病院のスタッフは、いやな表情を見せることなく、こちらの下手なタイ語に付き合ってくれた。
「申し訳ありません」「お手数をおかけします」
そんな言葉を連発していた。
とは言え片言でもわかれば、まだましかもしれない。
うちのおフクロにしたら全くわからないのだから。
病院スタッフと僕の会話内容がわからないから、一件一件が不安に感じるのだ。
おフクロから聞かれる。
「『ありがとう』ってタイ語で何て言うんだい」
「コープクンカーっていうんだけれど発音難しいからうまく伝わらないかも。そんな時は、両手を前に合わせて拝むポーズをとって『ありがとう』って言えばわかってもらえるよ。日本語の『ありがとう』の意味は、普通のタイ人なら誰でも知っているから」
一回だけ言われたことがあった。
ベテランの看護師の女性だった。
「あなたバンコクに住んでいるの?」
どうやら家族連れでバカンスに来た駐在員と思ったのだろう。
「いえ…僕は日本の九州というところに住んでいます」
「クラビーに来たのはただの観光なんです」
「母親はタイ語が全く分かりません。もし僕が席を外しているときに伝えたいことがあったら、これを使ってください。ご迷惑かけます。」
小さなタイ語の辞書をテーブルに置いた。
直後にきっぱりと言われた。
「あんたはただの観光客ではない。観光客なら辞書なんか使わない」
深く頭を下げた。
ありがたかったのを覚えている。

白い道 その13
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白い道 その11

治療内容の詳細な説明がなされる。
ここまでは日本のやり方と変わらない。
決定的に異なるのは「見積書」がついていること。
治療費の内容と金額が詳細に記されている。
当たり前だが、記載は基本的にタイ語になっている。
突出して高額なのはやはりペースメーカーの機器本体だ。
最新で最もハイクラスのものを使うとのこと。
これが全体費用の半数を超える。
他に高額なのが救急車と専門医の派遣費用だ。
救急車については既に済んでいるが、あれだけの距離を医師や看護師など同乗させて移動するのだから高くなるのも仕方ない。
専門医はバンコクからプーケットに呼び寄せている。
この種の手術の執刀ができる医師は、そう多くはいないのだろう。
それ以外の入院諸経費や投薬などの費用は安価だった。
とは言えこれだけの治療費を前金で負担するのは、誰でもできることではないだろう。
ここは私立病院なのだ。
もし支払いができないというのであれば、それは即ち「お引き取り願います」ということなのだろう。
厳しい現実だが、これが世界の常識なのかもしれない。
「了解であればすぐに署名を」
催促された。
ゆっくりと考えている余裕はない。
バンコクからこちらへ向かっている専門医はもうすぐ到着する。
今晩未明に手術が始まる。

白い道 その12
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白い道 その10

深夜の郊外の道を疾走する。
一般道を時速80キロ超えのスピードで走っている。
汗が流れるのがわかる。
着いたのは3時頃。
親父をのせた救急車はまだ到着していない。
早速事務員がやって来る。
いくつもの書類にサインを求められる。
基本的にタイ語になる。
それからすぐに請求が来る。
当然に前金(保証金)になる。
概ねの治療内容が伝わっているのだろう。
金額が大きかった。50万バーツだった。
その時のレートは1バーツ約3.45円。
それだけの額の現金を持ち歩いている人は稀だろう。
「クレジットカードは使えますか?」
「もちろんです」
ところがそのカードが通らない。
リーダーに何度通してもエラー音が出る。
原因はすぐにわかった。「枠の問題だ」
金額が大き過ぎて、カードの利用限度額をオーバーしているのだ。
普段からクレジットカードを使っているが、大抵は日用品や食品などをスーパーで買うような使いかたなので、利用限度額を意識することはなかった。
事務員に請求書を分割してもらう。
3枚に分けてやっと通すことができた。
親父を乗せた救急車は、僕らより1時間遅れで到着した。
すぐさま集中治療室に送り込まれた。
空が明るくなっていた。
一睡もしていなかった。

白い道 その11
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白い道 その9

救急車がクラビーの病院に着いたのは、深夜だった。
時計の針は午前0時に近づいていた。
病院のスタッフが、慌ただしく準備を始めた。
数々の機器類や酸素ボンベが運び込まれる。
看護師や医師のほかに、つなぎ服姿の救急隊員の姿も見えた。
いまからおよそ3時間の移動が始まる。
クラビー県からプーケット県への移動。
手術にあたる担当の専門医は、バンコクから来るという。
タイの地名を問われても、地理に詳しいわけではないので、位置関係がわかりにくかった。
しかし広範囲の移動であるとこは容易に想像できる。
日本で例えて言えば、五島列島のような離島に遊びに行って長崎に帰って来て、そこで突然発病。
佐賀の病院に行かず、福岡の病院に搬送される。
担当の専門医が東京から飛行機で駆けつける。
やや大袈裟だが、こんな感覚に近い。
事実、クラビーからプーケットまでの距離は150キロを越える。
またバンコクからプーケットまでは、空路で1時間20分かかる。
とにもかくにも、容体の安定しない親父をプーケットまで無事に移動させること。
このことだけを考えた。
途中で急変しないことをただ祈るのみだった。
救急車に同乗できない僕らは、別のクルマで移動する。
この時のクルマもやはりタクシーではなかった。
一般の乗用車だった。
病院の関係者から依頼されたのだろう。
実費相当の謝礼で運転を依頼した。

白い道 その10
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白い道 その8

長い待ち時間だった。
緊急治療室から出され、礼拝室で待つように告げられた。
英語でPrayer roomと表示されているこの部屋は、祈りのための場所である。
ムスリムが日に5回礼拝をするために用意された部屋でもある。
タイは仏教国だが、ムスリムも多くいる。
特に南部はイスラム色が強い。
病棟には仏教式とイスラム式の2つの礼拝室が用意されていた。
通されたのはイスラム式の礼拝室だった。
手足を洗って清めるための水道があるほかは、部屋のなかは整然としていた。
なるほど偶像崇拝を禁じるイスラム社会では、礼拝のための場はシンプルにできているのだ。
僕とおフクロの他には誰もいない。
待ち時間が長く感じられる。
転院先はプーケット県の私立病院に決まった。
タイでは治療費の安い公立の病院は、患者が多すぎて待たされることが多い。
富裕層はレベルが高くて対応の速い私立の病院を選ぶ。
医師は、急変を繰り返す親父の病状から、一刻も早い手術が必要と判断した。
スラートターニーの県立病院に転院したら、手術がいつになるのかわからない。
数日間待たされる可能性もある。
プーケットの私立病院であれば、翌日にも手術ができる。
「私立病院なので治療費は高くなってしまうが…」
医師からそう告げられたが、他の選択肢はない。
「プーケットでお願いします」
この医師の迅速な対応に感謝した。
時間がなかった。
今晩にもプーケットに移動するとことになった。

白い道 その9
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