下町の食堂 ร้านอาหารไทย

以前のコラム「お品書きが読めない!」で、下町の庶民的な食堂に足を踏み入れるのはけっこう勇気がいるものだ、と書きました。
https://ponce07.com/thai-menu/
たしかに初めは敷居が高いと感じることもあるかもしれませんが、慣れてしまえば大丈夫です。
タイの庶民的な食堂は、オープンな造りになっているものが多くあります。
建物は壁を取っ払った、ピロティのような開放的な構造になっています。
よって、空調設備はなく、外からの熱気はもちろんのこと、騒音もそのまま入ってくるのです。
東南アジアには、このような造りの食堂がけっこう多いので、僕自身は慣れています。
むしろ、閉鎖的な店舗よりも、こういう雰囲気の店のほうが気軽に入れます。
そしてこの気軽さが気に入っているのです。
件の「ผัดเครื่องแกงปลากระป๋อง」は、「缶詰めの魚のカレーペースト炒め」と奇妙な翻訳をしましたが、では実際に出された料理は、どんなものだったのでしょう??
この下の写真の右下がそのメニューです。

レッドカレーペーストがふんだんに使われていて、かなり辛い味付けでした。
ビールつまみにはいいのかもしれません。

これとは別の、やはり庶民的な食堂で注文した、「豚肉のガーリック炒め」なるメニューが下の写真になります。

ニンニクの風味と塩辛さが強烈で、こちらのほうも、濃い味付けになっています。
まさにローカルグルメの様相です。
僕はビール党なので、つまみ的な感覚で、こういうメニューを注文してしまうことが多いのです。
しかしこれらは、濃い味付けなので、ごはんとよく合うおかずとしてもいいと思います。
1皿の量は比較的多かったですが、価格帯はいずれも100バーツ前後なので、金額的には、かなり安い部類でしょう。

それとメニューの表記のしかたについて少し補足しておきます。
同じ料理法や同じ味付けでも具材が選べるときは、以下のような書き方になります。
ต้มยำกุ้ง,ปลา,ซีฟู้ด
これはホワイトボードの左の下から2行目にありますが、
ต้มยำが「トムヤムスープ」なのですが具材については、
กุ้ง =エビ
ปลา =魚
ซีฟู้ด =シーフード
の中から選択することになります。
料理名+具材A or 具材B or 具材C
といった表示方法です。
同じ要領で考えると
ผัดซีอิ๊ว,กุ้ง,หมึก,หมู,ไก่,ซีฟู้ด
(左のメニューの上から4行目にあります)
ผัดが「炒める」
ซีอิ๊วが「醬油」になりますので
エビ(กุ้ง)の醬油炒め
烏賊(หมึก)の醬油炒め
豚肉(หมู)の醬油炒め
鶏肉(ไก่)の醬油炒め
シーフード(ซีฟู้ด)の醬油炒め
と5種類から選ぶことになります。
ここでは表示がありませんが、カレーについても同じように考えます。
แกงเขียวหวาน,ไก่,หมู
とあったら、
チキングリーンカレーと
ポークグリーンカレーの2種類があるということになります。


タイ旅行ランキング


タイ語ランキング

รักษา 「守る」「保つ」…

รักษา 

この単語は、幅広い意味を持つ動詞です。
日本語に訳すと、多様な意味に訳されることから、辞書でも数多くの熟語が並んでいるのがわかります。
松山納先生の『タイ語辞典(大学書院)』で、この「รักษา」の意味を調べると、4つの意味が示されています。
①治療する 医療を行う 看護する
②保存する 保留する 保護する 保管する 保持する 維持する
③保護する 防衛する 守護する 守衛する
④世話をする 面倒を見る 保育する 斡旋する とりなす
大雑把に言ってしまえば、「良い状態をつくること」「良い状態を維持していくこと」「良い状態になるよう管理していくこと」のニュアンスにとれるようです。

●「管理する」
เก็บรักษาไว้ 保管する
บำรุงรักษา 機械を保守する メンテナンスをする 良い状態に保つ
รักษาความปลอดภัย 安全管理する 警備する
เจ้าหน้าที่รักษาความปลอดภัย 警備員 守衛
บริษัทรักษาความปลอดภัย 警備会社
รักษาการ 代行する 任にあたる 一時的に代理する
รักษาการแทน〜 〜代行 〜事務取扱
ผู้รักษาการแทน 臨時代理者
รักษาการณ์ 警備している 警護する
ยามรักษาการณ์  警備員
รักษาสุขภาพ 健康を管理する

●「保つ」「維持する」
ค่าบำรุงรักษา (マンションなどの)維持費
รักษาความสงบ 平和を維持する
รักษาความสะอาด 清潔にする
รักษาความเร็ว 速度を維持する
รักษาสมดุลย์ 均衡を保つ バランスをとる
รักษาเหลี่ยม 尊厳を維持する
รักษาไว้มั่นคง 確立する
รักษายี่ห้อ 屋号を守る 名声を維持する
รักษาหน้า 面目を保つ 名誉を守る
รักษาหน้าที่ 職務を遂行する 職場を守る

●「治療する」
รักษาโรค 病気を治療する
รักษาโรคให้หาย 病気を治す
ค่ารักษาพยาบาล 医療費
ยารักษาโรค 治療薬
รักษาตัว 治療する 療養する 自衛する
รักษาตัวไว้ให้ดีนะ 「お大事に」
รักษาให้หายขาด 根治する
รักษาหน้า 美顔治療を施す

●「守る」
รักษากฎ 規則を守る
รักษากฎหมาย 法律を守る
รักษาประตู サッカーのゴールを守る
ผู้รักษาประตู ゴールキーパー
รักษาความลับ 秘密を守る
รักษาคำพูด 口約束を守る
รักษาสัญญา 約束を守る
รักษาปกป้อง 守る
รักษาดินแดน 領土を守る
ทหารรักษาดินแดน 国土防衛軍
ทหารรักษาพระองค์ 近衛兵
ปกปักรักษา 保護する 守護する
รักษาศีล 戒律を守る
รักษาสิทธิ์  権利を守る
รักษาสิ่งแวดล้อม 環境を守る
รักษาอุโบสถ 八戒を守る
※อุโบสถ=八戒=仏教で、在家の男女が一日だけ出家生活にならって守る八つの戒め。
รักษาเวลา 時間を守る
องค์รักษา 守護神
รักษาเอกราช  国を守る

タイ語の勉強を始めた頃に、最後にある「รักษาเอกราช」の意味が「国を守る」と訳されているのを見て、なるほどと思ったのを思い出します。
最初は、「เอกราช」の意味が分からなかったのですが、この熟語「รักษาเอกราช」を辞書で見たときに、「国=ประเทศ」ではないかと一瞬戸惑いました。
「เอกราช」を辞書で引いて、その意味がわかって納得したのです。
「เอกราช」の意味は「独立」になります。
「รักษาเอกราช」の直訳は「独立を守る」となるのですが、これが「国を守る」と表現されているのです。
この発想こそが、日本と並んで第二次世界大戦中も植民地化されることなく、国の独立を保ったタイならではの発想なのでしょう。

下の写真は新刊の「パスポート初級タイ語辞典(宇戸清治編 白水社)」です。
例文や解説が豊富で、使いやすい辞書です。

パスポート初級タイ語辞典(白水社)

★なお僕自身がただいま勉強中です。
誤字脱字などがありましたら、ご連絡いただければ幸いです。


タイ語ランキング

一道少年 その5

一道少年は、寺での修業に見切りをつけ、上京する。
数々の職を転々とし、ここでもまた苦難の道を歩んでいた。
しかし、喜劇役者を目指す気持ちを忘れることは決してなかった。
食うことに困り、相撲部屋に居候したこともある。
親方には睨まれたが、得意の話芸で力士たちを笑わせていたところ、
「部屋を和ませてくれるなら…」とのことで、居候が黙認された。
のちに芸能界きっての相撲通と言われたのは、この修行時代の経験からだった。
その後、漫談家の牧野周一の弟子となる。
付き人時代を経たのちに、牧沢一彦の芸名をもらう。
牧沢一彦とは、のちのポール牧のことである。
舞台に上がるやいなや、コメディアンとしての才能は開花する。
師匠でもあった、関武志と「コント・ラッキー7」を結成し活躍。
その後、東京新喜劇を立ち上げる。
ところがそれも束の間、相方の関武志が病に侵され他界してしまう。
関の没後、コンビを解散し、ピン芸人となる。
引退し、再び出家するも、その後俗還。
波乱万丈の人生に終止符を打ったのは、平成17年のこと。
享年65(満63歳没)だった。
僧名は熈林一道(きりん いちどう)。
『ドーランの下に涙の喜劇人』
生前のポール牧は、色紙にサインと共にこの句をよく綴っていたという。
「今を生きている人たちに心の安らぎと生きる喜びを与える。」
「一つの道」に精進し、人々を笑わせることで、それを実践した一道少年だった。

一道少年 その4

絶望の淵に追いやられ、一時は自殺することさえ考えた。
そんな一道少年は、学校通いだけは続けていた。
もともと勉強が好きだったこともあった。
学校とは市内にある県立の定時制高校である。
一道少年がこの秋田県大館市の寺を選んだのは、定時制高校に通うことができたからに他ならない。
家庭の経済的な事情で、高校に進学することのできなかった一道にとって、定時制とはいえ高校に通わせてくれるのはありがたかったのである。
一道少年は、寺での修業がつらい時でも、疲れていた時でも、学校に通い続けた。
そして、授業が終わった後も、ひとり図書館に残って深夜まで勉強を続けていた。
そんな一道少年が、図書館で一冊の本を手にする。
マルセル・パニョルというフランスの喜劇作家の書いた『笑いについて』という本だった。
このなかに以下のようなくだりがある。

舞台やスクリーンで人を笑わせたからって、卑しい真似をすることにはならないわ。畑から帰ってくるお百姓さんたち、大きな手がカチカチになって、もうその手を閉じることもできない人たち。胸をすぼめ、もう空気の味もわからなくなって事務所から出てくる人たち。頭を垂れて、工場から帰ってくる人たち、爪は割れ、指の傷口には黒い油がしみこんでいる……そういう人たちを笑わせること……やがて死んでゆく人たち、母親を失った人たち、やがて母親を失う人たち、そういう人たちを笑わせること……ほんの一瞬でも、疲労とか、不安とか、死とか……さまざまな小さな苦悩を忘れさせてくれる人、泣くのも無理もない連中を笑わせる人、そうした連中に生きる力を与える人、その人こそ善行家としてみんなに愛されるんですわ……
(マルセル・パニョル『笑いについて』岩波新書)

苦難に満ちた人たちに、たとえひとときでも、やすらぎと微笑みを与えられる者を喜劇役者といい、その者こそが皆に愛されるべき存在なのだ。
一道少年は、大きなショックを受けることになる。
自分がこれまで信じてきた仏の道…
その道に疑問を持ち始めていた。
一時は自殺することさえ考えていた。
生前の父の姿が脳裏をよぎる。
父は常々こう語っていた。
「立派な坊さんとは知っている経文の数ではない。地位でもない。まして法衣の色でもない。多くの人に仏の教えを伝え、いっときでも心の安らぎを与えられるかだ」
「今を生きている人たちに生きる喜びを与える。これこそが、坊主の本来の使命」
マルセル・パニョルは「心の安らぎを与えられる者」、そして「生きる喜びを与える者」を明快に示した。
元々、目立ちやがり屋の一道少年だったから、喜劇役者という職業はうってつけだった。これが仏の道から喜劇役者の道への転身の契機だった。

一道少年 その5
https://ponce07.com/kazumichi-5/

一道少年 その3

一道少年が受けた警策は、修業とは程遠い壮絶なイジメであった。
「罰策」(ばっさく)・「罰警」(ばっけい)言われる、いわば「ペナルティ」として警策が使われることもまったくないわけではないが、一道少年が受けた警策は、いいがかりとしか言いようのないイジメであり、リンチでしかなかった。
大館の寺に修行に来ていた若い修行僧は、みな秋田県内の寺院から来たいわゆる「お坊ちゃん」であった。
よそ者で、継ぐべき寺もない貧乏な育ちであった一道少年は、その先輩僧の恰好の餌食にされた。
いわれのない理由や、些細なことにいい掛かりをつけては、一道少年を呼びつけ、寄ってたかって警策でメッタ打ちにしたのである。
背中は傷だらけで、その傷が癒えることはなかった。
情け容赦ないメッタ打ちは、時としてその警策が折れるほどだった。
一道少年は、次第に絶望の淵に追い込まれていった。
極寒の寺での修業の朝は早い。
早朝の5時からの修行。
凍てつく寒さの中での鐘つき。
一汁一菜の粗食を続けての修行。
それらに耐えることはできる。
「生きていることが修行」と父はよく話していた。
しかし先輩僧からのイジメは耐えられないものだった。
しかも同じ仏の道を志す修行僧からのイジメだったので、余計に耐え難いものに思えたのだった。
誰も助けてくれる者はいなかった。
これが仏の道なのか?
これが修行の道なのか?
自問自答を繰り返した。

一道少年 その4
https://ponce07.com/kazumichi-4/

一道少年 その2

一道(かずみち)少年は、北海道天塩町雄信内の曹洞宗の禅寺で生まれた。
それは昭和16年のことだった。
一つの道…父は、仏の道に精進するようにとの願いをこめて、この名を付けたのだった。
幼少のころから、僧侶であった父の背中を見て育ち、修行に励むことになる。
10歳で得度し、12歳から病弱な父に代わって住職代理を務めた。
父の死後は、困窮した生活を余儀なくされる。
もともと人口も少ない北海道のはずれ。
檀家の数は極めて少ないものだった。
しかし、下肢に障害を持つ母とともに檀家回りを続け、寺を守った。
中学卒業後は、秋田県大館市内の寺院に住み込みの修行に出ることになる。

曹洞宗は、禅宗の一派である。
日本史の教科書には、鎌倉新仏教のひとつで、道元によって日本にもたらされたとある。
臨済宗と並ぶ禅宗の二大宗派で、地方の武士や農民に広く受け入れられたとも言われている。
福井県の永平寺が総本山。
ひたすら坐禅すること(只管打坐・しかんたざ)によって悟りの境地を体得しようとするところに特徴がある。
その坐禅と切っても切れない関係にあるのが、警策(きょうさく)である。
曹洞宗の世界には、「警策をいただく」という言葉がある。
直日(じきじつ)または直堂(じきどう)と呼ばれる僧が、禅堂内を巡回し、修行者の坐禅を点検する。
坐禅中に眠くなったり、姿勢が悪かったり、心が散漫になったときは、直日・直堂から警策で肩を打たれる。
この警策は、文殊菩薩の手の代わりであると考えられている。
つまり警策で打つという行為は、坐禅修行が円滑に進むようにという「文殊菩薩による励まし」という意味を持つ。
打つ側である直日・直堂は「警策を与える」、打たれる側である修行者は「警策をいただく」という言い方をする。
そして警策で打つ前と後には合掌して頭を下げ、お互いに感謝の意を表す。
ここからわかるとおり、警策で打たれることは、修行の中での「励まし」であって、肯定的な意味合いを持つことに他ならない。
しかし一道少年が受けた警策は、これとは全く別のものであった。
悪夢のような日々だったのだ。

一道少年 その3
https://ponce07.com/kazumichi-3/ ‎

一道少年 その1

タイは仏教の国です。
タイは国民の大多数が仏教徒であり、生活にも仏教の教えが色濃く表れています。
とりわけ、功徳を積むことを「ทำบุญタンブン」といい、タイ人はこの「ทำบุญタンブン」とても大切にしているのです。
例えば、僧侶に食料などを与える托鉢(=ตักบาตร)は、ごく自然に行われています。
困った人を助けるという行為も「ทำบุญタンブン」の一つです。
「ทำบุญタンブン」は「徳を積む」行いであって、これを重ねることで、来世の自分が良い状態で生まれ変わると信じているのです。
その「ทำบุญタンブン」で、最も徳が高いと言われるのが「บวช出家」です。
タイでは、男性なら一生に最低一回は「บวช出家」するとも言われているのです。
私たち日本人には、「出家」というと特別なことばのように感じます。
仏教徒が多いと言われながら、仏教の教えが生活に及んでいるのは、冠婚葬祭などごく一部に限られています。
ですから、実際に出家する者はほとんどいません。
もちろん僕自身も、出家の経験はありません。
出家した後の、寺での修業は、さぞかし厳しいものなのだろう…
想像するところですが、それはあくまで「想像」に過ぎません。
その修行生活は、書物などを通じて知るにとどまります。
これまで数々の本を読んだものですが、その中で最も印象に残っているのが、一道(かずみち)少年の修行時代のことです。

一道少年 その2
https://ponce07.com/kazumichi-2/

最良の勉強法

タイ語の勉強をしているというけれど、遅々として進まない。
なかなか成果が出ないのに苛立つこともよくある。
この分野は同じ外国語のなかでも、英語や他のメジャーな言語と異なり、教えてくれる学校や先生も少ない。
参考書や辞書も限られている。
基本的に独学でやっていくしかない。
そんななかで、どうやったら効率的に効果的に勉強できるのか。
これは、永遠の課題といっていい。
でも結局は、自分自身で試行錯誤しながら、時には軌道修正しながら、自分に合った方法を模索しながら進めていくことにしている。
立ち止まらなければ、それでよい。
いずれじわじわと効果が現れる。
そう言い聞かせている。

いまの中学生や高校生は勉強の合間にラジオを聴くことはないのかもしれない。
しかし、僕が学生だった頃は、ラジオのよく聴いていたものだった。
当時の人気番組のひとつに、ニッポン放送で放送していた「三宅裕司のヤングパラダイス」があった。
テンポの良い喋りがウケて、リスナーも多かったように思う。
僕もこの番組をよく聴いていた。
ある日、その番組の中に、新しいコーナーができることを聞いた。
一人のメインのパーソナリティが番組の進行を務める。
たいていは女性のアシスタント役が付き、受け答えの役をする。
トークの合間にリスナーからのリクエストに合わせて、音楽を挟む。
コーナーの時間は15分ほどだったと思う。
よくある構成だ。
新しいコーナーのメイン・パーソナリティは、「期待の若手放送作家」だという。
期待しながら、その新コーナーを聴くことにした。
ところが…
番組の評価はイマイチだった。
当時は三宅裕司や吉田照美など、テンポの良い喋りを売りにした司会者が多かったが、この若手放送作家の喋りは、彼らとは違った。
テンポが良くないのは確かだが、どこか暗かった。
内容的に悪くはないのだが、リスナーに響く何かが感じられなかった。
聴いている僕は思った。
「このコーナーは長続きしないだろうな…」
同じように考えたリスナーは少なくなかったように思う。
でも、そのコーナーの中で、この若手放送作家が話していたことで、一つだけ今でもよく覚えていることがある。
それは、こんな話だった。
「僕らが中学生や高校生だったときもよくラジオは聴いていたな」
「当時の番組もこんな感じで、リスナーからのハガキリクエストを受け付けていた」
「僕もよくハガキを書いたけれど、いつまでたっても採用されない」
「なんでオレの書いたハガキは読まれないのだろうか」
「読まれるハガキとオレのハガキはどこが違うのだろうか」
「自分で考えたよ。どこが違うのか」
「こういうことは誰かが教えてくれるわけではない。参考書があるわけでもない」
「だから自分で考えたんだ」
「そのうちだんだんと分かってきた。どこに違いがあるのかが」
「そしてその違いを意識しながらハガキを書くようにした」
「そうしているうちに少しずつオレのハガキが採用されるようになった」
「そしていつのまにか、毎週ハガキを読まれる『常連さん』になったんだ」
いまになってこのことがよくわかる。
年齢を重ね、そのことがよく理解できるようになった。
その新コーナーは、僕の予想していたように、あまり長くは続かなかった。
僕自身も、そのこと自体忘れかけていた。
若手放送作家は、ラジオのパーソナリティとしては、いまひとつであったが、その後は「自分で考えて」別の道を模索していたのだろう。
しばらく後に、「夕焼けニャンニャン」というテレビ番組が放送されるようになった。
当時の中学生高校生の間では知らない者はいない人気番組だった。
その人気番組の仕掛人が、件の若手放送作家だったことを後になって知った。
若手放送作家とは、秋元康その人だ。

勉強のこと、仕事のこと。
うまくできなくて悩むのは当たり前。
簡単に答えが探せるわけではない。
簡単にやり方がマスターできるわけではない。
教えてくれる人もいない、マニュアルもない。
そんな状況の中で、どんな方法が良いのを自分で考えるのが大事なのだ。
何かをモノにしようとする人間は、自分のやり方を確立する。
自分だけのオリジナルのやり方を見つける。
今となっては古臭い話題だが、その若手放送作家は、早くからそのことに気がついて、かつそれを実践してきたのだと思う。
道半ばで、なかなか成果が見えてはこないけど、これからも「自分で考える」ことを忘れないようにしたいと思う。

細やかな日本文化 「関」の名刀

日本を訪れる外国人の好む日本産の土産品の一つに「刃物」があります。
日本製の刃物は質が高いことで有名だからでしょう。
ディスカウントストアの包丁売り場には、外国語で「人気商品」と書かれた表示もあります。
日本の刃物の産地として特に有名なのは岐阜県の関市です。
関市は、ドイツのゾーリンゲンと並んで世界的に有名な刃物の街です。
関の刃物は、室町時代に孫六兼元(まごろくかねもと)という鍛冶職人が美濃国で日本刀を作り始めたのがルーツと言われています。
長良川や津保川の良質な水が利用できたことや、良質の土と松炭に恵まれていたといった風土条件も刀作りには有利だったのです。
そのため多くの刀職人が関に集まるようになりました。
そして職人たちは、互いに研鑽しあいながら技を磨いたのです。
その後そして江戸時代には、関の刀は名刀と言われるに至ります。

ところが時代が変わり、江戸から明治になると、武士は失職を余儀なくされてしまいます。
さらに廃刀令が発せられて日本刀の需要は大幅に減ってしまいます。
関の刀職人もその多くが仕事を失ってしまいました。
しかし、多くの職人は、それまでの高い技術を応用することを考えます。
包丁などの家庭用の刃物の生産に転嫁していったのです。
その後もさらに工夫を重ねて、剃刀や鋏、爪切りなど、私たちの身の回りに欠かすことのできないさまざまな家庭用の刃物の製造をするようになったのです。
ここに日本のメーカー「貝印」の作った爪切りがあります。
使ってみると切れ味はたいへん良い。
切った時の小気味良い音がまた良いのです。
質の高さを感じさせる名品といえるでしょう。
このメーカーの本社は現在は東京にありますが、会社発祥の地は、もちろん関市なのです。

さまざまな困難があっても、技術を応用していくことで、そのピンチを乗り切ってきた職人たち。
そしてさらにその技術を発展させて、世界的に高品質の製品を作り続けた職人たち。
彼ら職人たちの努力に改めて感服させられるのです。

テーブルの上の調味料 เครื่องปรุง

日本では、食卓に醤油や七味唐辛子などが置かれていることがよくあります。
食堂や居酒屋などの飲食店でも同じように置かれています。
タイの食堂でも、調味料の容器が置かれます。
特にそばを注文したときは、決まって店員さんが用意してくれます。
調味料は、少なくとも4種類はあります。
唐辛子(พริกป่น)、砂糖(น้ำตาล)、酢(น้ำส้ม)それとナンプラー(น้ำปลา 魚醤)です。
タイ料理の味の基本になる味覚は、「辛い(เผ็ด)」「甘い(หวาน)」「酸っぱい(เปรี้ยว)」「しょっぱい(เค็ม)」4つ。
これらとリンクしているのです。

タイ料理は、一般的に味付けが濃いことが多いです。
このことは、以前も書きましたが、なかにはそうでないものもあるのです。
そばのスープなどには、意外と淡白な感じのスープもよくあるのです。
そばを注文するときは、まず麺の種類や太さを指定します。
タイではビーフンのように米を原料にする麺が主流です。
太さはそうめんのような極細麺から、名古屋のきしめんよりも幅広な麺もあります。
それから、スープの種類や、トッピングの具材も指定します。
スープは辛いものもありますが、辛くないあっさり系のものも多いです。
麺を注文して、出来上がったのが出されても、まだその先があります。
食べる直前に、お客さんが各々、自分好みに調味料を加えていくのです。
飲食店で注文しても、各人の好みに応じて仕上げられる、セルフサービスの部分が残されているのです。
「味を変えてしまったら料理人に対して失礼」と考える日本人もいますが、タイではそのように考える人は少ないのでしょう。
むしろお客さんに出された状態は、いわば完全に完成されたものではなく、お客さんが少しだけ味を調整することではじめて完結されたものになる、と考えているのかもしれません。

テーブルには、やはり調味料が…

さて、ここで出てきたタイ語の表現をおさらいします。
รสชาติ 味
เผ็ดมาก とても辛い
รสจืด うすい・淡白な
รสจัด 味が濃い
พอดี ちょうどいい
ขม 苦い(にがい)
ฝาด 渋い(しぶい)
เลี่ยน 脂っこい・油っこい
เข้มข้น 濃い、コクがある
หอม よい香りの
นิ่ม やわらかい
แข็ง 固い、硬い
เหนียว 粘りがある
ก๋วยเตี๋ยว そば
เส้นหมี่ 極細めん
เส้นเล็ก 細めん
เส้นใหญ่ 太めん(きしめん状)
บะหมี่ 中華めん(小麦原料)
ต้มยำ トムヤム味(酸っぱくて辛い)
น้ำตก 豚の生血を使ったコクのあるスープ(単語の本来の意味は「滝」の意)
ต้มจืด あっさり系のスープ(鶏がらやとんこつがベース)
ลูกชิ้น つみれ
หมูแดง 焼豚 チャーシューの類
ธรรมดา 普通(具材について)
พิเศษ 特別(具材のいわゆる「全部のせ」)
อร่อย おいしい
ご注文の際は、タイ語の表現を真似してみるのもいいでしょう。
発音が難しいから、初めはなかなか通じなくて困ることもあるかもしれませんが、相手はきっと聞いてくれます。
なお、タイ語の発音について、「カタカナ表記」はあえてしていません。
読み方の確認をしたい場合は、グーグル翻訳などのサイトで音声を聞くことができます。
確認したい部分をコピーして貼り付けたあと、スピーカーのマークをクリックすれは、音声を聞くことはできます。
お試しください。


タイ語ランキング

タイ旅行ランキング