タイ産のキャットフードが多いわけ

家族が増えることになりました。
それは突然のことでした。
ペットです。
2か月ほど前に、縁があって、子猫を引き取って、我が家で飼うことになったのでした。
餌やりや飲み水の交換、トイレや寝床の掃除など、連日慣れない作業に追われるようになりました。

餌には特に気を使います。
普段は、ロイヤルカナンというメーカーの総合栄養食をメインに与えているところですが、さすがに毎日そればかりでは飽きが来るでしょう。
猫は美食家で、同じ餌では、飽きてしまうらしいので。
猫が好みそうないろいろな食材を使っては、餌作りにいそしんでいるところです。

我が家の猫は、鶏肉よりも魚のほうが好みのようで、ブリやハマチ、ヒラス(ヒラマサ)などのアラを煮て与えると、とても喜んで食べます。
近所のスーパーで、刺身を作った後に残る、血合いの部分などが、格安で売られているので、これをきまって購入しています。
刺身となると、より見栄えのいい部位が使われるので、赤黒い血合いの部分は、敬遠されるのだと思います。
そのおかげで、我が家の猫の好物は、安く簡単に買うことができているのです。
(僕がいま住んでいる長崎市は鮮魚の安価なところです)

ところが、どの家庭でもそのようにはいかないでしょう。
鮮魚の価格の安くないところに住んでいる人であればなおさらです。
猫を飼育しているたいていの家庭では、缶詰などのウエットタイプの餌を与えていると思います。

それは、手軽で、猫が好んで食べるからにほかなりません。
スーパーやディスカウントストアなどのペット用品コーナーに行けば、たくさんの種類のキャットフードが販売されています。
実際に手に取ってみるとわかるのですが、猫用の缶詰の大半が、「タイ産」の製品なのです。
タイは、世界的にも有名な、ペットフードの輸出大国なのです。

タイは食品加工工業で有名ですが、同時にペットフードの生産も非常に盛んなのです。
2020年のタイの農業省畜産開発局の統計によると、タイのペットフードの輸出額は623億バーツで、これは世界第4位の規模といわれています。
また、その額は今後も増加すると予想されています。https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1280314/202203report.pdf

もともと、豊かな海に恵まれたタイでは、小型マグロなどの魚介類の水揚量が多いという背景がありました。
事実、ツナ缶の製造は古くから行われており、地元のメーカーのみならず、マルハやいなば食品など、日本の水産加工食品メーカー大手は、タイに進出してツナ缶の製造工場を建ててきたのです。
日本の市場に出回っているツナ缶にタイ産が多いのもうなずけるでしょう。

タイでキャットフードの製造が盛んになったのは、こうした土壌がすでに出来上がっていた要因が大きかったのです。
ツナ缶を製造する際に出る、残余の部分、例えば血合いの部分などが、別の製造ラインに送られて、キャットフードに加工されているのです。
これも、日本国内の小売店に行けばわかることですが、国内で販売されているタイ産の猫用の缶詰のほとんどが、マグロやカツオを原料にしています。

下の図は、一般社団法人ペットフード協会が発表した統計ですが、実際のところ、キャットフードの輸入先では、タイが圧倒的に多いことがわかります。(統計は令和2年度)


もともと人間の食用のための缶詰工場で発生した残余の部分をおもな原料にしているため、コスト面では有利です。
また、人間用の食品と同じ工場で製造していることから、鮮度や品質の面でも安心できるのです。


ペットは、大切な家族の一員です。
飼い主であればだれでも、「家族の一員」が健康で長生きしてくれることを願います。
そして、安心で安全なペットフードを探し、与えることでしょう。
タイのメーカーには、今後も、安心で安全なキャットフードを提供していただきたいと切に願うところです。

ルンピニ公園  สวนลุมพินี

タイへの渡航再開の道は、またまた遠のいてしまいました。
全国的に新規感染者がまたも急増して、昨日の東京は3万人を超えたとのこと。
僕の職場の仲間も、何人か陽性者が出て、心が痛みます。
早期の回復を祈るばかりです。

さて、タイへの渡航が再開したら、ぜひ訪れたいところのひとつに、バンコクのルンピニ公園があります。
僕が初めてバンコクを訪れた頃、最初に宿を取ったのがルンピニ地区で、その頃から、近くにあったこの公園に、強い思い入れがあるのです。

このルンピニ公園は、かつてラーマ6世が王室庭園の土地を譲り受け、植物園として整備して国民に開放した場所です。
57haもの広大な敷地があるそうです。
バンコクの中心部にありながら、緑の豊かな広大な敷地で、大きな池やランニングやサイクリンのためのトラック、エクササイズのためのエリアなどがあります。
散策やジョギングに興じる人たち、太極拳やダンスをする人たち。
みんなが、この都会の真ん中の公園で、思い思いの余暇を過ごしています。
バンコク市民の憩いの場となっています。

3年前に訪れたときは、早朝の時間帯でした。
暑いバンコクも、この時間帯なら、まだいくぶん涼しさがあります。
ジョギングや散策を楽しむ市民の姿を、多く目にしました。

また、おもしろいことに、ここは公園ですが、フードコートがあります。
粥やそばの類、アヒル、果物、ジュースなど、たくさんの飲食店がありました。
もちろん、その場で食べることもできますが、「テイクアウト派」もかなりいました。
いまから仕事に向かう人たちが、昼食として買って行くのか。
早朝の時間帯ではありましたが、どのお店もけっこう繁盛していました。

僕が特に気に入ったのは、エビ餃子入りの中華そばでした。
そばは、「汁あり」「汁なし」のどちらも選べます。
値段は、50バーツほど。
その時は、「汁あり」のほうを注文しました。
味はなかなかのものでした。
朝のみの営業で、ローカル感が満載といったところです。
朝食付きのホテルもいいですが、たまには早起きして、こういった朝食もいいでしょう。
機会があれば、また是非立ち寄りたいスポットです。

ところで…あのフードコートもいまはどうしているのか?
とても気になるところでした。
コロナ禍のなか、観光客は姿を消し、多くの制約のなかで、営業を継続することができずに、多くの店舗がここを去っていったという残念なニュースも見ました。

しかしその一方で、バンコク都は、2025年で100周年を迎えるルンピニ公園を、世界的なランドマークとして整備する計画を公表とのニュースも見ました。

コロナウイルスからの完全な脱却までは、まだまだ時間が必要な気がします。
しかしながら、古くから多くの市民に親しまれているこの公園が、リニューアルされて、これからも末永く愛され続けることを切に願ってやみません。

 


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ボーカロイドと音読さん

数年前、タイから留学に来ていた女子学生が、日本でぜひコンサートにいきたいというアーティストがいると語ってくれました。
興味を持った僕が、「誰のコンサートなの?」と尋ねたところ、返ってきた答えは意外なものでした。
それが「初音ミク」だったのです。
当時の僕は、「初音ミク」なるアーティストは知りませんでした。
この「初音ミク」とは、楽器メーカーのヤマハが開発した音声合成システム「VOCALOID(ボーカロイド)」から生み出された架空のキャラクター。
16歳の女性バーチャルアイドルという設定だそうで。
メロディや歌詞を入力することで、合成音声による発声に加え、譜面どおりの音階を忠実に再現することができるというのですから驚きです。
日本が生み出した画期的な技術であることに間違いありません。
その画期的な技術から生まれたバーチャルのアイドルが、国内のみならず、広く東南アジアからのファンを呼び寄せているという事実に、さらに驚きを隠せませんでした。
PC上に入力した歌詞と音階を再現できるので、理論上はどんな世代の歌であっても、たとえ外国語の歌詞の歌であっても、自由自在に「歌う」ことができるのです。
このことについては率直に「スゴイ」としか言いようがありません。
しかし、この「初音ミク」なる人物は、実在する人物ではありません。
あくまでもバーチャルアイドルに過ぎません。
その「実在しない人物」をアイドルとして偶像化する発想が、ちょっと自分の理解を超越していました。
ファンのかたには大変失礼な言いかたかもしれませんが、この「初音ミク」の声と聴くと、いかにも機械が歌っているようにも聞こえます。
それでも、この画期的な技術が生み出したバーチャルアイドルに熱狂的な声援を送る。
それが「cool Japan」なのでしょうか。
複雑な気持ちになったのを今でも覚えています。

それからまた数年の時を経て、最近ある音声読み上げソフトの存在を知りました。それが「音読さん」です。(https://ondoku3.com/ja/)
この音読さんは、テキストボックスに読み上げたいテキストを貼り付けて、クリックするだけで、忠実にその音声を読み上げてくれます。
もちろんこれまでも、こういった音声読み上げソフトはいくつか存在していました。
しかしその多くは、アクセントや抑揚が不自然な、いかにも機械的な発声で、とても人間の声には程遠いものでした。
しかしこの音読さんは、ちょっと違います。
あたかも本物の人間の発声のような声で読み上げてくれます。
速度や声の高さを調整することもできます。
男性の声や女性の声を選ぶこともでき、早く読む遅く読むといったスピードの調整も簡単にできます。
おまけに、日本語のみならず英語や中国語など多言語に対応しています(最近タイ語版も登場しました!)。
インターネットが繋がっている環境であれば、どこでも使うことができます。
もちろんスマートフォンでも使えますので、外出先でも気軽に使えます。
また、読み上げた音声をMP3などのファイル形式でダウンロードすることができるので、パワーポイントや動画などに貼り付けることで、その音声を活用することが可能です。
何度か試してみて感じたことを挙げます。
句読点を普段の文章よりも、こころもち多めにすると自然な発声に近づくこと。
漢字で表記するものと、カナで表記するものでは、アクセントに若干の差異が生じることがあること。
読み上げのスピードは、ややゆっくりめにしておくと丁寧な感じに聞こえること。
音程については、やや低めにしておくと、ソフトな感じに聞こえること。
などなど…
いくつかのコツは要りますが、何度か試してみるうちに、お好みの音声に近づけることができます。
僕などはこの音読さんの声が気に入って、職場で使う研修用動画の説明用ナレーションに使ったほどでした。

こうした技術は、私たちの生活のいろいろな面で活用の途があります。
定型化した音声アナウンスなどを大量に生成し、館内放送などで活用することもできることでしょう。
視覚障碍者などへの音声ガイドとしても活用することもできるでしょう。
テクノロジーの進化によって、仕事の効率化を進めることもできることでしょう。
ゆくゆくは、外国人との交渉の場において、言葉の障壁を低くすることにも寄与するのではないかと感じます。
今後もこうした技術の進歩に目が離せないところです。

長崎で味わえる本格四川料理

以前のコラムで、僕が「辛いもの好き」であることを書きました。
(辛くしますか? เอาเผ็ดไหมคะ https://ponce07.com/spicy-food-1/ )
タイはもとより、以前はアジアの各地を旅行した経験があることから、香辛料がふんだんに使われたアジアのメニューにはたいへん興味をそそられるところです。


今日ご紹介したいのは、長崎にある本格的な四川料理が味わえるお店です。
「四川菜Rinrin(シセンサイリンリン)」というのがそのお店です。
長崎市の郊外、野母崎にあります。
長崎市内の中心部からマイカーで40分ほどかかります。
対岸に端島(通称「軍艦島」)が見える海岸にほど近いところにお店があります。

長崎で味わえる中華料理は、甘めの味付けが多いのが特徴です。
それはそれとして悪くはないのですが、本場の中国料理とは異質なものです。
長崎の中華料理は、この地で独自に進化したジャンルの料理とも言えます。
これに対して四川料理の特徴と言えば、唐辛子や花椒(ホアジャオ)を使った「麻辣(マーラー)」という、しびれるような辛さが挙げられます。
中国の四川省は山に囲まれた盆地で、夏はたいへんに蒸し暑い気候です。
暑いうえに、高い湿度が加わるとどうしても食欲が減退しがちになってしまいます。
湿度の高い夏でも食が進み、発汗を促す香辛料の効いた辛い料理が好まれるようになります。
蒸し暑い気候の地方でスパイスの効いた料理が好まれるのは、他のアジア諸国でもよくあることです。
四川省でも、もともと外来種であった唐辛子が定着するようになったのです。
こうした、痺れるような辛さが特徴の四川料理は、やがて中国の他の地方や日本にも広まっていき、人気を博すようになりました。

この店「四川菜Rinrin」のオーナーは、かつて「料理の鉄人」と称された人気シェフの陳建一氏のもとで修業を積んだ経歴があるとのこと。
そのキャリアゆえに、本場の四川料理が次々に繰り出されていきます。
なかでも、看板メニューの筆頭は「陳麻婆豆腐」です。

看板メニューの陳麻婆豆腐


さっそく味わってみることにします。
多くの花椒が使われていて、一口食べるだけで舌がしびれるような感じになります。
花椒の刺激と豆腐の淡泊な甘みが融合した、本場の麻婆豆腐を味わえる瞬間です。
辛味はもとより痺れの方が強く響いて、その後やや遅れて頭から汗が流れるのがわかります。
白いご飯との相性が良く、ご飯が進みます。
ランチタイムであれば、ご飯、スープ、漬物と杏仁豆腐がつきます。
看板メニューの「陳麻婆豆腐」の他にも、担々麵などの麵類も充実しています。
食べ終わったそばから、「次に来たときは何を注文しようかな」などと考えてしまうほど癖になる美味しさです。
週末は予約を入れるか、早めに行くかしないと席を確保できないほどの人気店です。
町からは少し距離はありますが、食べに行くだけの価値は絶対にあります。
是非ご賞味していただきたいお店です。

★「四川菜Rinrin」
所在地  長崎市高浜町4004-4
電話番号 095-894-2828
営業時間 11:30~14:30(LO)、17:30~20:30(LO)
定休日  毎週木曜日、不定休あり

近くの海岸からは軍艦島が望めます

身近になったアジアンテイストの背景に

タイ政府は22日、新型コロナウイルスワクチンの接種を完了した渡航者について、5月1日から入国時のPCR検査を不要とする方針を決めました。
これにより、入国の規制はほぼなくなりました。
再び、気軽に旅行できる日が近づいてきました。
これまで何度も、規制緩和と規制強化が繰り返されてきましたが、ようやくタイへの渡航とについて、現実味が出てきました。
今度こそは、自由に旅行ができると希望を持ったかたも多いのではないでしょうか。

以前のコラムで、タイ料理の中で、一番好きなものは「ジャスミンライス」と書きました。(ジャスミンライスข้าวหอมมะลิ  https://ponce07.com/khao-hom-mari/)

最近は、アジアの食材が多く輸入されて、近所のスーパーでも頻繁に東南アジアの食材を目にするようになりました。
ナンプラー(魚醤)やカレーペースト、インスタントラーメンなどは、以前からよく見かけてはいましたが、最近では、ジャスミンライスもよく目にするようになりました。
これまで関税障壁の高かった「コメ」であるジャスミンライスも、多く取り扱われるようになったのです。
輸入食材が安価に買えることで有名な「業務スーパー」でも、ジャスミンライスの取り扱いが始まりました。
しかし…
ちょっと高いです。
ちょっとというより、かなり高いと言ってもいいかもしれません。
内容量は1kgで753円(税込、税抜698円)です。
最高品質のジャスミンライスを、気軽にお試しできるはありがたいことですが、これはちょっと高いですね。
現地の価格を知っている者としては。
やはりその背景には、多額の関税が課せられている事情があるからなのでしょう。
財務省の実行関税率表に記載されているコメの関税は、1kg当たり341円とのこと。
ざっくり言ってみれば、およそ半分が税金のようなものです。

タイの米は需要がないとか、日本米こそが一番などと言う人が結構います。
しかし、僕が感じるのはタイ米というものが、あまり理解されていないのではないかということです。
もちろん、僕自身が毎日日本米を口にしていて、その日本米をうまいと感じているところですが、タイ米がうまくないとは決して思いません。
肉にも牛肉や豚肉、鶏肉があるのと同じように、コメにも料理に合った種類のコメがあるのです。
和食には日本米が合いますが、タイカレーやガパオライスなどのタイ料理にあうのは、やはりタイ米なのです。
以前も書いたことではありますが、タイ米は日本の米と違って、粘り気が少なく、水分を吸収しづらいため、カレーなどのような汁物との相性が良いのです。
同じコメであっても、それぞれ別の食べ方があるのです。

もちろん価格面だけをとらえれば、タイ米は日本米の2分の1から3分の1程度なので、ある一定の関税が課されるのは仕方のないことでしょう。
しかし、タイ米と日本米では、その持ち味や用途が異なるので、単純に比較することはできないと思います。
現在の日本では、多くの外国人が定住していることもあって、世界各国の美味しい食材を購入することが可能になっています。
試してみたいと思う人も少なくありません。
こうしたなか、高すぎる関税は消費者の選択の幅を狭めてしまうことになるでしょう。

関税について話題が出たついでに、このことについてもぜひ触れておきます。
高いのはコメだけではありません。
僕が愛してやまないもの。
それはビールです。
タイのブランドビールである「シンハ เบียร์สิงห์ BEER SINGHA」も、スーパーの酒類コーナーで見かけますが、ご覧のとおりその高さに驚きです。
これでは、気軽に手に取るわけにはいきませんね。
これこそ不当な関税障壁と感じるのは僕だけではないでしょう。
いつの日か、タイの地を再び訪れるときが来たら、シンハビールの味を、存分に堪能したいと思います。

 

 


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絵馬の起源

春になりました。
間もなく桜が満開になることと思います。
冒頭の写真は、ある神社で3月20日に撮影したものです。
まだ桜は咲き始めといった感じでした。
神社の境内で目につくのは、絵馬の奉納です。
この神社でも、このようにたくさんの絵馬が奉納されています。
絵馬は、なにかを祈願するときに、神社に奉納するものです。
その多くは絵が描かれた木の板です。
そこには、たくさんの人の願いが記されているのです。

古代、神様は神馬(しんめ)という馬に乗って人間世界にやってくると考えられていました。
そこで、神社では古くから馬を奉納する習わしがありました。
歴代の天皇は祈願の際に、生きた馬を神馬(しんめ)として神社に奉納していました。
水の神様をまつる京都の貴船神社では、雨ごいの祈願のときには黒い馬を、晴れの祈願のときには灰色または赤毛の馬、といったように目的によって異なる毛色の馬が献上されました。
しかし、実際に馬の飼育をするのは、手間がかかるうえに経済的な負担も大きかったので、本物の馬の代わりに、土で作った馬形(うまがた)や、木で作った板立馬(いただてうま)が奉納されるようになりました。
その後この板立馬が、馬を描いた小さな板となり、これが奉納されるようになりました。
これが「絵馬」の始まりです。
時代が進むにつれて、馬に限らずいろいろな縁起の良い画題が描かれるようになりましたが、「絵馬」という呼び名はそのまま残りました。
江戸時代には家内安全や商売繁盛といった身近なお願い事を書く風習が庶民にも広がりました。
すると最初から絵が描かれた小さな絵馬を購入して、これに願い事を書いて神社に奉納するいまのスタイルが確立しました。

僕の住む九州では、福岡県太宰府市の太宰府天満宮が有名です。

https://www.dazaifutenmangu.or.jp/ 太宰府天満宮
https://www.dazaifutenmangu.or.jp/th/ 太宰府天満宮(タイ語版ภาษาไทย)

学問の神として知られる菅原道真公を祀った神社で、受験生が奉納した合格祈願の絵馬がいっぱいあります。
またこの神社の絵馬は、縁起物やお守りとしてもたいへん人気があります。
この絵馬を奉納する習慣が広く外国にも知れ渡ったのでしょう。
最近ではタイ文字で書かれた絵馬も見られるようになりました。



間もなく新年度を迎えます。
四月から進学や就職で、新たな一歩を踏み出すフレッシュマンも多いことと思います。
彼らが希望を持って、新しい社会で大いに活躍できることを心より祈願いたします。

政府が対処すべき最大の問題は何ですか? ปัญหาใหญ่ที่สุดที่รัฐบาลต้องรับมือคือปัญหาอะไร

ในปัจจุบันญี่ปุ่นมีหนี้สินจำนวนมหาศาล ซึ่งมีมากกว่า 150% ของผลิตภัณฑ์มวลรวมในประเทศ(GDP) ประชากรญี่ปุ่นที่สูงวัยมีจำนวนเพิ่มขึ้นอย่างต่อเนื่อง สัดส่วนของประชากรสูงวัยในญี่ปุ่น (อายุ 65 ปีขึ้นไป)มีมากที่สุดในบรรดาประเทศผู้นำทางด้านอุตสาหกรรม แต่ในอีกด้านหนึ่งอัตราการเกิดกลับมีต่ำที่สุด อย่างไรก็ตาม ในการที่จะดูแลกลุ่มผู้สูงอายุเหล่านี้จำเป็นต้องใช้เงินจำนวนมาก แต่ทว่ากลุ่มคนวัยรุ่นกลับมีจำนวนไม่เพียงพอต่อการจ่ายเงินในระบบเงินบำนาญในปัจจุบัน ขณะที่รัฐบาลพยายามจะขึ้นภาษีในอนาคตอันใกล้ แต่กลับมีบางคนกังวลว่าการขึ้นภาษีจะยิ่งทำให้เศรษฐกิจย่ำแย่ลง ในปัจจุบันอาจยังไม่สามารถพูดได้เต็มปากว่าเศรษฐกิจญี่ปุ่นอยู่ในสภาพที่ดี แต่หากไม่เร่งดำเนินมาตรการอย่างใดอย่างหนึ่งโดยเร็วแล้ว ประเทศนี้คงจะถดถอยลงไปอีก

現在日本は巨額の借金を抱えており、その額は国内総生産の150パーセント以上です。日本の人口は高齢化が進んでいます。日本の高齢人口(65歳以上)の割合は先進工業国のなかでも最大、そのいっぽう出生率は最低です。こうした高齢の人々の世話をするには、さらに多くのお金が必要になります。しかし現在の年金制度を支えるには若い人たちが足りません。政府は近い将来に増税をしようとしていますが、増税は経済をさらに悪化させると心配する人もいます。現状では日本経済はまだ好調とは言えず、すぐになんらかの対策を実施しなければ、この国は弱体化してしまうでしょう。

出典:日タイ対訳ニッポン紹介FAQ
作者:Davit A. Thayneデイビット・セイン
タイ語訳:ปิยะนุช วิริเยนะวัตร์
出版:IBCパブリッシング

急速な少子高齢化がもたらす影響は計り知れません。
デイビット・セインさんも、日本のこうした現状について、危機感を示していますが、まったく同感です。
年金制度を例にとって考えてみます。
年金制度というものは、支える側の負担と支えられる側の給付が均衡しているということ、つまり「現役世代の拠出=引退世代の給付」で成り立っているのが基本です。
しかしそれでは給付額がとても足りません。
「支える側」と「支えられる側」の数が圧倒的に違うからにほかなりません。
「現役世代の拠出+公費(税金)=引退世代の給付」とすることで、かろうじて均衡を保っているのです。
「支える側」である勤労者世代を増やそうにも、少子化のため労働者の増加は見込めません。
業種によって偏りはあるものの、現在の日本は労働者が不足しています。
日本の失業率は、OECD主要国の中では最も低水準にあります。
労働の省力化の技術が進んできているとはいえ、社会を支えていく活力を維持していくためには、やはり若者の力が必要なのです。
これからの日本は、さらに少子高齢化が進み、「支える側」の人口が減り、「支えられる側」の人口が増大し、その格差がますます広がっていきます。
若者たちの負担増は避けられません。

また税収を上げるには、国際な競争に勝つ方策が必要になります。
そのためにはこれからの発展を支えていく多くの若者たちが、日本で安心して活躍していけるような社会にしていく必要があります。
日本では外国からの移民の受け入れには反対意見が多いようです。
こうしたなか、2018年に出入国管理及び難民認定法が改正され、外国人の在留資格に「特定技能」が創設されて、一定の技能を持った外国人を受け入れることが制度化されました(施行は2019年4月)。
特定技能は介護、ビルクリーニング、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、建設業、造船・舶用業、自動車整備業、航空業、宿泊業、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業の14業種になります。
この分野は慢性的に人手不足であり、専門性を持った即戦力となる外国人を必要としていたのです。
さらに建設業、造船・舶用業の2分野は、条件付きで期間の制限なく日本に滞在できるほか、家族の帯同も可能になりました(特定技能2号)。

日本国内では、急速に進む少子高齢化社会に悲観的な意見が多いのは事実です。
しかしその一方で、日本の高いサービス水準や技術水準に魅力を感じる外国人は少なくありません。
世界的に有名な日本製品のブランドも多く、これらに魅了される人も多いようです。
こうした高い技術を学びたいと考え、日本での就職を希望し、日本語を学んでいる若者も少なくありません。
給料が比較的に高く、福利厚生も充実しているという理由で日本企業に就職したいと考える学生もいます。
これからは、やる気を持った多くの若い外国人を、さらに受け入れていくことが求められると私は考えます。

 


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タイの医療保険制度とその現状について

急なことだが、入院することになってしまった。

ある異常が発覚して、急遽手術を受けなければならなくなってしまった。

仕事ばかりの毎日だったが、急に白い無機的な風景の病室に入れられてしまった。

この原稿は、入院中のベッドの上で書いている。

こういう病室に入って想い出すのは、やはりあの時のことだ。

タイを旅行中に、同行していた自分の父親が危篤状態になったときのことである。

クラビー市内のホテルで親父が倒れたのは、ちょうどいまから6年前の正月元旦のことだった。

この件については、以前このブログでも書いたとおりだ。

(白い道 https://ponce07.com/shiroimichi-prologue/

あとになって知ったことだが、クラビー県には大病院がない。

大きいか小さいかの判断は難しいところではあるが、少なくとも、高水準の総合病院というものはない。

日本語が通じる病院もない。

その日泊っていたホテルのマスターが、街で一番大きいと思われる病院に運んでくれた。

それが、クラビナカリン国際病院(Krabi Nakharin International Hospital)だった。

クラビナカリン国際病院(Krabi Nakharin International Hospital)GoogleMapより

 

父の病状は心臓の手術が必要な重篤な状態だった。

ペースメーカーの埋め込みが必要なほどの状態だった。

クラビーのその病院では対応ができなかった。

そのため、クラビータウンから150キロ以上離れたプーケットに転院し、そこで手術を受けることになったのである。

別の県の公立病院に転院する選択肢もあるにはあったのだが、重篤な状況だったことから、待ち時間の短い私立の病院でないと危険だとの判断があったのだ。

素早く、そして的確な判断をしたクラビーの病院の医師には大変感謝している。

プーケットの病院は、私立の大病院で、難易度の高い手術に迅速に対応していただいた。

そのおかげで、親父は無事に帰国できたことはもちろん、手術後6年が経過したいまでも、何ら支障なく生活を送ることができている。

つくづく幸運だったと改めて思う。

タイの医療水準は非常に高く、日本と同等か、あるいはそれ以上だと思う。

先日、ニュースで知ったことだが、タイ政府は「医療ビザ(Medical Treatment Visa)という新たなビザを新設するという。

政府はメディカルツーリズムをこれからの重要産業としてとらえていて、今回のビザの新設で、リハビリやアンチエイジング、美容整形などの医療サービスを受ける外国人富裕者層をターゲットとした新たな需要の掘り起こしを狙ったものと考えられる。

そのような、ハイレベルな医療サービスを提供できるのは一部の私立病院に限定されている。

 

タイには、日本の社会保険のような民間のサラリーマンの職域保険や共済保険のような公務員の職域保険もあるが、自営業者や農民などサラリーマン以外の者が加入できる、日本の国民健康保険に相当するような公的保険制度は長く存在していなかった。

こういったサラリーマン以外の者は、民間の医療保険に加入するしかなく、低所得者層の多くは、無保険状態のままに置かれていた。

しかし2002年に、国民皆保険を目指した新たな公的な保険制度ができた。

「30バーツ保険」とも呼ばれるこの新たな保険制度によると、患者は予め登録した医療機関で治療を受けることができ、受診や投薬にかかる自己負担は一回につき30バーツまでと定められているという(この公的保険に加入できるのはタイ国籍を持っている者に限られている)。

この制度は、一見すると画期的な制度かもしれない。

この制度によって、多くのタイ国民が医療機関を受診できる機会が増えたのは事実である。

ところが、現実はプラスの側面ばかりではない。

まず、患者の登録する医療機関のほとんどが公立病院である。

そのため、公立病院は常に混雑して、患者は長時間待たされることになる。

急を要する治療でも数週間以上待たされることもあるという。

これでは緊急を要する治療には使えないことになってしまう。

低所得者層であれば、受診の都度支払う自己負担の上限額である30バーツに負担感を持つ者もいるだろう。

しかし現在の医療事情を考慮すれば、一回あたり30バーツ程度では、高度な治療はほとんどできないのではないか。

高度な治療を多用すれば、保険財政はたちまちひっ迫してしまう。

そのため、低所得者層は、公立病院で消極的な治療のみを受ける結果となってしまう。

 

私立の病院であれば、ハイレベルの治療を受けることは可能だ。

しかし、それなりの対価を要求される。当然だろう。

受診に際しては、十分な医療費をカバーできる民間の保険に加入しているかが問題にされる。

保険加入がないのであれば、直ちに保証金の支払いを求められる。

このあたりの事情は、自分で経験したことなのでよくわかる。

親父の入院と手術のときは、クレジットカードで保証金を支払ったので問題はなかったが、支払能力に欠けるとわかれば、すぐに追い出されていただろう。

タイでは高い医療水準がありながらも、公的保険では十分な治療が受けられない。

救急車を呼ぶのも、基本的に有料である。

誰も彼もが、等しくハイレベルの治療を受けることができるわけではない。

そう考えると、タイの社会は日本とは比較にならないほどの格差社会と言うことができるだろう。

 

タイの公的保険は未だ課題が多いと言えるが、より多くの国民の健康のために、充実した制度になってほしいと切に願う。

新型コロナウイルスの再度の蔓延で、タイ旅行への道が、またしても閉ざされてしまった。

本来であれば、その時にお世話になったあのクラビーの病院を訪れて、お礼の気持ちを伝えたいと思っているが、いまはそれができる状況にはない。

いつの日か、以前のようにタイを訪れることのできる日が来たら、その時はクラビーの地をまずは訪れたいと考えている。

 

 


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アーミー・メソッドとドナルド・キーン  その2

青年は、自分を取り巻く世界の嫌なものすべてから逃れるために、日本という美の国の『源氏物語』の世界に没頭していた。

ニューヨーク市で生まれた彼は、成績優秀により「飛び級」を繰り返し、16歳でニューヨークのコロンビア大学文学部に入学していた。

しかし、明るい将来が見えていたかと言えば、決してそうではなかった。

恐れていた現実が近づいている。

世界は戦争に傾いていたのだ。

たまたま書店で手にした英訳の『源氏物語』に心を奪われた。

暗く将来が見えない不安と恐怖心。

『源氏物語』の世界と自分のいる世界を比べていた。

そこには戦争がなかった。

受講していた「日本思想史」の角田柳作先生が、敵国外国人の嫌疑をかけられ、拘束されたこともあった。

からっぽの教室を見て、自分の学生生活が終わろうとしているのを実感した。

銃剣を持って突撃する自分の姿は想像できなかった。

海軍の語学学校で翻訳と通訳の候補生を養成していることを知り、入学を志願した。

 

海軍語学学校での授業が始まった。

授業は週六日、一日四時間で、毎週土曜日に試験があった。

二時間が読解、一時間が会話、一時間が書き取りだった。

さらに翌日の授業に備えて少なくとも四時間は予習が必要だった。

講師は主に日系人が担当していた。

アメリカで生まれ、日本で教育を受け、アメリカに戻ってきた日系アメリカ人たちだった。

彼らは熱意をもって自分の仕事に打ち込んでいた。

彼らは学生たちの日本語の上達を喜んだ。

講師と学生たちとの間に、強いきずなが生まれるのに長い時間はかからなかった。

11か月のプログラムが終了した。

そのとき彼は、印刷された日本語だけでなく、草書も読むことが出来ていた。

手紙や報告書などを日本語で記すことも可能になっていた。

彼は卒業生総代として「告別の辞」を述べていた。

一年前までは一言も話せなかった日本語でである。

 

海軍の語学学校を卒業した彼の最初の赴任地は、真珠湾であった。

そこでの任務は、押収された日本語の文書を翻訳する作業であった。

文書はガダルカナル島で採集されたものだった。

翻訳は、日本軍の残した日課の報告書のようなものが多く、作業は退屈なものだった。

そんななかで目を引いたもの、それは「日記」だった。

多くは、日本兵の死体から抜き取られたものであった。

血痕が付着していて、不快な異臭がした。

しかし、これらの日記は、時に堪えられないほど感動的で、一兵士の最後の日々の苦悩が記録されていた。

はじめは愛国的な常套句で埋められたページも、戦場で自分の最期が近づいているのを感じるにつれ、偽りを書くことはなくなり、「本当の思い」が綴られる。

なかには最後に英文で伝言が記してあるものもあった。

伝言は日記を発見したアメリカ人に宛てたもので、「戦争が終わったらこの日記を家族に届けてほしい」と書かれていた。

日本の地を踏んだことのない彼が、本当の意味で知り合った最初の日本人は、これらの日記の筆者たちだった。

出会ったその時には、すでに死んでいた人たちではあったが。

のちに日本文学史における日記文学の独自性と豊かさを探求した名著である『百代の過客』が書かれることになるが、その原点となったのは、このときの日記の翻訳体験に他ならなかったのである。

 

1945年4月1日、沖縄に上陸する。

洞窟に隠れた民間人が多かった。

彼は洞窟を片端から歩き回り、中に誰か隠れていないか呼びかけた。

日本兵のなかには自爆する者もいた。

民間人が自殺する姿を目の当たりにしたこともあった。

 

多くの日本人捕虜の中に、記憶に残る若い将校がいた。

学徒兵だった。

この若い海軍将校は、敵としてではなく、同じ学徒兵として話がしたいという。

この海軍将校が彼に尋ねる。

このまま自分が生き続けなければならない理由が何かあるだろうかと。

彼は自信を持って答えた。

生きて、新しい日本のために働くように、と。

 

沖縄での軍務は7月まで続く。

終戦の玉音放送はグアムの収容所で日本人捕虜とともに聞いた。

アメリカ海軍の通訳として日本と対峙していた彼の「戦争」が終った。

戦争がきっかけではあったが、日本語という大きな宝物を得た。

この知識を棄てたくないという思いから、彼はコロンビア大学へ戻る。

日本文学の研究を続け、その後念願かない京都に留学することになる。

川端康成や三島由紀夫など日本を代表する作家との交遊を通じて、文学研究を豊かにした。

数多くの日本の作家の翻訳を手掛けたほか、「源氏物語」や「奥の細道」など日本の古典文学を海外に紹介してきた。

その後、コロンビア大学で教鞭を取る傍ら、日米を行き来していたが、東日本大震災後、日本への永住を決めて日本国籍を取得した。

被災した人々の忍耐強さを目の当たりにしたのがその理由だという。

 

彼はすでに多くの業績を生み出していた。

外国人の学術研究者として史上初めての文化勲章を受章した。

かつての沖縄戦で日本人の投降を呼びかけていた青年。

その後、日本文学の世界に身を投じ、日本人以上にその研究に没頭し、優れた業績を遺した。

多くの人々に愛された彼が、2019年2月に96年間の生涯を閉じたのは、終の棲家として永住を決めた日本の東京であった。

 

 

参考文献

ドナルド・キーン自伝(中公文庫) ドナルド・キーン著 角地幸男訳

日本語教育能力検定試験 完全攻略ガイド(‎翔泳社)

 

 

アーミー・メソッドとドナルド・キーン  その1

「外国語を学び始めたきっかけは」と聞かれれば、「その国が好きだから」とか「その国でもっと自由に旅行したいから」と答えるかもしれない。

学生のなかには、「学校の勉強や入学試験のために仕方なくさせられているから」という答えもあるかもしれない。

しかし勉強を続けるうちに、「仕方ないから勉強する」といった外発的な動機づけから、学習者の内側からくる動機づけに変化していくこともある。

自発的に沸き起こる知的好奇心から、「面白いから勉強する」「外国の人と友達になりたいから勉強する」という内発的な動機づけへの変化である。

それは平和で自由な社会だからこそ可能なのかもしれない。

もし、学び始めたそのときに「戦争」があったとしたら…

 

近世になり産業革命が興り、大量生産が行われるようになり、経済活動が盛んになる。

経済活動が活発になれば、貿易などを通じて人々の国境を越えた行き来が増え、外国語の必要性が高まる。

こうした背景から、19世紀から20世紀にかけてさまざまな外国語教授法が盛んに研究されるようになった。

古典的な「文法訳読法(Grammar Translation Method)」のような、母国語への翻訳を中心にした教授法から脱却し、「ナチュラル・メソッド(Natural Method自然主義教授法)」や「オーラルメソッド(Oral Method)」といった、直接法による教授法、とりわけ聴解力重視した「話せる外国語」の教授法が開発されたのがこの頃である。

そんな中で、最も成果の上がった学習法として知られているのが、アーミー・メソッド(ASTP(Army Specialized Training Program))であった。

戦争遂行のために、諜報活動が必要になる。

そのために兵士に、敵国の言語を習得させなければならない。

それも、短時間で実践的なレベルまで習得させなければならなかった。

そこで行動主義心理学に基づいた教授法が開発されたのである。

行動主義心理学に基づいた教授法とは、外部からの刺激に反応し、それが習慣化すること、つまり教師が刺激を与え、学習者は条件反射的に学習させられるという教授法であった。

かの有名な「パブロフの犬」の理論のごとく、反射的に外国語が発声できるような、ある種人間性を否定させられるような、過激な学習方法でもあった。

 

まったく余計な話ではあるが、日本では同じ時期に、英語は「敵性語」として扱われ、一切の英語教育が排除されていた。

一方のアメリカでは敵国の言語を積極的に教育し、戦略的に活用しようとしていたのである。

この違いは、「言霊」の思想に強く裏付けられた日本人と、そうではないアメリカ人の差なのかもしれない。

アーミー・メソッドプログラムによる授業は、アメリカ人教官とネイティブスピーカーの教官の分業で行われた。

アメリカ人の教官が、読解、翻訳など言語の構造について母語で教え、また、インフォーマントと呼ばれるネイティブスピーカーの教官行う口頭練習からなる授業であった。

インフォーマントは、モデルとしての発話を示す者のことで、日系人が務めた。

モデルが提示された後、ドリルマスターによる口頭での反復練習を行う。

ネイティブによる口頭練習により多くの時間が割かれ、徹底した暗記と反復練習が行われていた。

行動主義心理学に基づく習慣形成という考えが背景にあったため、ネイティブの言語に触れて、とにかくそれを模倣、暗記することで言語が習得されると考えられていたからであった。

口頭練習を指揮するドリルマスターによる集中的な口頭練習は、「練習」というよりも、「訓練」であったのである。

そして、自動的に話せるようになるまで基本文を徹底的に暗記させられていたのであった。

 

このアーミー・メソッドは、短時間のうちに流暢な話者を養成できたメリットはあるものの、反復練習は単調なものになりがちであるうえ、学習者に過度の緊張をもたらしたのも事実であった。

アーミー・メソッドによって日本語を学んだ学生の中に、その青年がいた。

のちに、日本文学研究者となったドナルド・キーン(Donald Keene)である。

 

アーミー・メソッドとドナルド・キーン その2

https://ponce07.com/astp-donald-keene-2