長崎の街を歩くと猫をよく見かけます。
「猫の街」と呼ばれるほど、猫の生息数が多いのです。
温暖な気候、港町、斜面地、狭い路地が多いこと…などなど。
こうした様々な要因が、長崎を「猫の街」にしてきたのです。
その意味では、長崎は猫にとっては過ごしやすい環境だと言えるのかもしれません。
僕自身、かつては仕事柄、斜面地にある住宅街をよく歩いていていました。
細い路地を通ると、しばしば猫の姿に出くわします。
その一方で、ペットボトルなどを使って作った「猫除け」を設置している民家も多いのです。
繁殖した猫と人間は、微妙な関係になっているのが事実なのです。

長崎の猫が持つもう一つの特徴は、いわゆる「尾曲がり猫」が多いということ。
尻尾が長くまっすぐになっている猫はあまり多くないのです。
「尾曲がり」と言ってもその形状は「カギ型」や「短尾型」、「ダンゴ型」など、様々タイプがあります。
この「尾曲がり猫」が生まれる要因は、言うまでもなく遺伝です。

かつてこの「尾曲がり猫」を調査した学者がいました。
京都大学名誉教授の野沢謙先生です。
野沢先生の調査によると、長崎県内の猫の8割近くが、この「尾曲がり猫」であることがわかりました。
ほかに、鹿児島県、宮崎県、熊本県など、九州の各県でも、「尾曲がり率」は全国平均に比べて、突出して高いことがわかっています。
また、野沢先生は、この研究の過程で、尾曲がり猫のルーツの多くは東南アジアで、なかでもインドネシアに多く生息することを突き止めていたのです。
このインドネシアと長崎を結ぶ線は、何だったのでしょうか。
江戸時代の初め、南蛮貿易が盛んな頃は、多くの外国船が九州各地に来航していました。
その後、寛永期以降は、長崎のみが唯一開かれた街となります。
長崎には、オランダ船が定期的に、行き来するようになります。
当時のオランダは、インドネシアを支配下に置いていて、総督府はバタヴィア(現在のジャカルタ)にありました。
貿易を担った東インド会社の商館が置かれていたのも、やはりバタヴィアだったのです。
当時の貿易船には、猫を乗せる習慣がありました。
積み荷の食料品や木造の船体をかじるネズミなどの小型の齧歯動物は、船乗りたちにとっては厄介者でした。
この厄介者を駆除してくれたのが猫だったのです。
こうしたことから、貿易船に猫を乗せる習慣が広まったのです。
はるか遠い東南アジアの地から、長い船旅に揺られてきた猫たち。
こうした猫たちが降り立ったのが長崎だったのです。
しかし、時代は流れ、船は鋼鉄製になり、積み荷の梱包やネズミ駆除の技術が進み、猫たちは「お払い箱」になってしまいます。
かつてのように、貿易船に乗せられて、長い航海に出ることはなくなりました。
長崎の地に降り立った猫たちは、その地に根をおろし、繁殖して今に至っているのです。
長崎の猫たちは、もともとは野生動物だったわけではないのです。
人々が飼い馴らし、船乗りたちに重宝され、可愛がられてきた存在だったのです。
身近にいる、いわゆる「野良猫」と呼ばれる飼い主のいない猫も、かつては重宝され、可愛がられてきた猫の末裔なのかもしれません。
猫の放し飼いや、野良猫への無責任な餌やり行為は、野良猫の繁殖を増やし、それが住民との軋轢を生んで、結果として不幸な猫を生じさせる原因になっている悲しい現実があります。
猫を飼おうとするのであれば、最大限の愛情をもって、適正に飼育していただきたいと思います。
そして、かつてのように人と猫がうまく共存していた社会を実現させなければならないと考えます。
