身近になったアジアンテイストの背景に

タイ政府は22日、新型コロナウイルスワクチンの接種を完了した渡航者について、5月1日から入国時のPCR検査を不要とする方針を決めました。
これにより、入国の規制はほぼなくなりました。
再び、気軽に旅行できる日が近づいてきました。
これまで何度も、規制緩和と規制強化が繰り返されてきましたが、ようやくタイへの渡航とについて、現実味が出てきました。
今度こそは、自由に旅行ができると希望を持ったかたも多いのではないでしょうか。

以前のコラムで、タイ料理の中で、一番好きなものは「ジャスミンライス」と書きました。(ジャスミンライスข้าวหอมมะลิ  https://ponce07.com/khao-hom-mari/)

最近は、アジアの食材が多く輸入されて、近所のスーパーでも頻繁に東南アジアの食材を目にするようになりました。
ナンプラー(魚醤)やカレーペースト、インスタントラーメンなどは、以前からよく見かけてはいましたが、最近では、ジャスミンライスもよく目にするようになりました。
これまで関税障壁の高かった「コメ」であるジャスミンライスも、多く取り扱われるようになったのです。
輸入食材が安価に買えることで有名な「業務スーパー」でも、ジャスミンライスの取り扱いが始まりました。
しかし…
ちょっと高いです。
ちょっとというより、かなり高いと言ってもいいかもしれません。
内容量は1kgで753円(税込、税抜698円)です。
最高品質のジャスミンライスを、気軽にお試しできるはありがたいことですが、これはちょっと高いですね。
現地の価格を知っている者としては。
やはりその背景には、多額の関税が課せられている事情があるからなのでしょう。
財務省の実行関税率表に記載されているコメの関税は、1kg当たり341円とのこと。
ざっくり言ってみれば、およそ半分が税金のようなものです。

タイの米は需要がないとか、日本米こそが一番などと言う人が結構います。
しかし、僕が感じるのはタイ米というものが、あまり理解されていないのではないかということです。
もちろん、僕自身が毎日日本米を口にしていて、その日本米をうまいと感じているところですが、タイ米がうまくないとは決して思いません。
肉にも牛肉や豚肉、鶏肉があるのと同じように、コメにも料理に合った種類のコメがあるのです。
和食には日本米が合いますが、タイカレーやガパオライスなどのタイ料理にあうのは、やはりタイ米なのです。
以前も書いたことではありますが、タイ米は日本の米と違って、粘り気が少なく、水分を吸収しづらいため、カレーなどのような汁物との相性が良いのです。
同じコメであっても、それぞれ別の食べ方があるのです。

もちろん価格面だけをとらえれば、タイ米は日本米の2分の1から3分の1程度なので、ある一定の関税が課されるのは仕方のないことでしょう。
しかし、タイ米と日本米では、その持ち味や用途が異なるので、単純に比較することはできないと思います。
現在の日本では、多くの外国人が定住していることもあって、世界各国の美味しい食材を購入することが可能になっています。
試してみたいと思う人も少なくありません。
こうしたなか、高すぎる関税は消費者の選択の幅を狭めてしまうことになるでしょう。

関税について話題が出たついでに、このことについてもぜひ触れておきます。
高いのはコメだけではありません。
僕が愛してやまないもの。
それはビールです。
タイのブランドビールである「シンハ เบียร์สิงห์ BEER SINGHA」も、スーパーの酒類コーナーで見かけますが、ご覧のとおりその高さに驚きです。
これでは、気軽に手に取るわけにはいきませんね。
これこそ不当な関税障壁と感じるのは僕だけではないでしょう。
いつの日か、タイの地を再び訪れるときが来たら、シンハビールの味を、存分に堪能したいと思います。

 

 


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政府が対処すべき最大の問題は何ですか? ปัญหาใหญ่ที่สุดที่รัฐบาลต้องรับมือคือปัญหาอะไร

ในปัจจุบันญี่ปุ่นมีหนี้สินจำนวนมหาศาล ซึ่งมีมากกว่า 150% ของผลิตภัณฑ์มวลรวมในประเทศ(GDP) ประชากรญี่ปุ่นที่สูงวัยมีจำนวนเพิ่มขึ้นอย่างต่อเนื่อง สัดส่วนของประชากรสูงวัยในญี่ปุ่น (อายุ 65 ปีขึ้นไป)มีมากที่สุดในบรรดาประเทศผู้นำทางด้านอุตสาหกรรม แต่ในอีกด้านหนึ่งอัตราการเกิดกลับมีต่ำที่สุด อย่างไรก็ตาม ในการที่จะดูแลกลุ่มผู้สูงอายุเหล่านี้จำเป็นต้องใช้เงินจำนวนมาก แต่ทว่ากลุ่มคนวัยรุ่นกลับมีจำนวนไม่เพียงพอต่อการจ่ายเงินในระบบเงินบำนาญในปัจจุบัน ขณะที่รัฐบาลพยายามจะขึ้นภาษีในอนาคตอันใกล้ แต่กลับมีบางคนกังวลว่าการขึ้นภาษีจะยิ่งทำให้เศรษฐกิจย่ำแย่ลง ในปัจจุบันอาจยังไม่สามารถพูดได้เต็มปากว่าเศรษฐกิจญี่ปุ่นอยู่ในสภาพที่ดี แต่หากไม่เร่งดำเนินมาตรการอย่างใดอย่างหนึ่งโดยเร็วแล้ว ประเทศนี้คงจะถดถอยลงไปอีก

現在日本は巨額の借金を抱えており、その額は国内総生産の150パーセント以上です。日本の人口は高齢化が進んでいます。日本の高齢人口(65歳以上)の割合は先進工業国のなかでも最大、そのいっぽう出生率は最低です。こうした高齢の人々の世話をするには、さらに多くのお金が必要になります。しかし現在の年金制度を支えるには若い人たちが足りません。政府は近い将来に増税をしようとしていますが、増税は経済をさらに悪化させると心配する人もいます。現状では日本経済はまだ好調とは言えず、すぐになんらかの対策を実施しなければ、この国は弱体化してしまうでしょう。

出典:日タイ対訳ニッポン紹介FAQ
作者:Davit A. Thayneデイビット・セイン
タイ語訳:ปิยะนุช วิริเยนะวัตร์
出版:IBCパブリッシング

急速な少子高齢化がもたらす影響は計り知れません。
デイビット・セインさんも、日本のこうした現状について、危機感を示していますが、まったく同感です。
年金制度を例にとって考えてみます。
年金制度というものは、支える側の負担と支えられる側の給付が均衡しているということ、つまり「現役世代の拠出=引退世代の給付」で成り立っているのが基本です。
しかしそれでは給付額がとても足りません。
「支える側」と「支えられる側」の数が圧倒的に違うからにほかなりません。
「現役世代の拠出+公費(税金)=引退世代の給付」とすることで、かろうじて均衡を保っているのです。
「支える側」である勤労者世代を増やそうにも、少子化のため労働者の増加は見込めません。
業種によって偏りはあるものの、現在の日本は労働者が不足しています。
日本の失業率は、OECD主要国の中では最も低水準にあります。
労働の省力化の技術が進んできているとはいえ、社会を支えていく活力を維持していくためには、やはり若者の力が必要なのです。
これからの日本は、さらに少子高齢化が進み、「支える側」の人口が減り、「支えられる側」の人口が増大し、その格差がますます広がっていきます。
若者たちの負担増は避けられません。

また税収を上げるには、国際な競争に勝つ方策が必要になります。
そのためにはこれからの発展を支えていく多くの若者たちが、日本で安心して活躍していけるような社会にしていく必要があります。
日本では外国からの移民の受け入れには反対意見が多いようです。
こうしたなか、2018年に出入国管理及び難民認定法が改正され、外国人の在留資格に「特定技能」が創設されて、一定の技能を持った外国人を受け入れることが制度化されました(施行は2019年4月)。
特定技能は介護、ビルクリーニング、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、建設業、造船・舶用業、自動車整備業、航空業、宿泊業、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業の14業種になります。
この分野は慢性的に人手不足であり、専門性を持った即戦力となる外国人を必要としていたのです。
さらに建設業、造船・舶用業の2分野は、条件付きで期間の制限なく日本に滞在できるほか、家族の帯同も可能になりました(特定技能2号)。

日本国内では、急速に進む少子高齢化社会に悲観的な意見が多いのは事実です。
しかしその一方で、日本の高いサービス水準や技術水準に魅力を感じる外国人は少なくありません。
世界的に有名な日本製品のブランドも多く、これらに魅了される人も多いようです。
こうした高い技術を学びたいと考え、日本での就職を希望し、日本語を学んでいる若者も少なくありません。
給料が比較的に高く、福利厚生も充実しているという理由で日本企業に就職したいと考える学生もいます。
これからは、やる気を持った多くの若い外国人を、さらに受け入れていくことが求められると私は考えます。

 


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タイの医療保険制度とその現状について

急なことだが、入院することになってしまった。

ある異常が発覚して、急遽手術を受けなければならなくなってしまった。

仕事ばかりの毎日だったが、急に白い無機的な風景の病室に入れられてしまった。

この原稿は、入院中のベッドの上で書いている。

こういう病室に入って想い出すのは、やはりあの時のことだ。

タイを旅行中に、同行していた自分の父親が危篤状態になったときのことである。

クラビー市内のホテルで親父が倒れたのは、ちょうどいまから6年前の正月元旦のことだった。

この件については、以前このブログでも書いたとおりだ。

(白い道 https://ponce07.com/shiroimichi-prologue/

あとになって知ったことだが、クラビー県には大病院がない。

大きいか小さいかの判断は難しいところではあるが、少なくとも、高水準の総合病院というものはない。

日本語が通じる病院もない。

その日泊っていたホテルのマスターが、街で一番大きいと思われる病院に運んでくれた。

それが、クラビナカリン国際病院(Krabi Nakharin International Hospital)だった。

クラビナカリン国際病院(Krabi Nakharin International Hospital)GoogleMapより

 

父の病状は心臓の手術が必要な重篤な状態だった。

ペースメーカーの埋め込みが必要なほどの状態だった。

クラビーのその病院では対応ができなかった。

そのため、クラビータウンから150キロ以上離れたプーケットに転院し、そこで手術を受けることになったのである。

別の県の公立病院に転院する選択肢もあるにはあったのだが、重篤な状況だったことから、待ち時間の短い私立の病院でないと危険だとの判断があったのだ。

素早く、そして的確な判断をしたクラビーの病院の医師には大変感謝している。

プーケットの病院は、私立の大病院で、難易度の高い手術に迅速に対応していただいた。

そのおかげで、親父は無事に帰国できたことはもちろん、手術後6年が経過したいまでも、何ら支障なく生活を送ることができている。

つくづく幸運だったと改めて思う。

タイの医療水準は非常に高く、日本と同等か、あるいはそれ以上だと思う。

先日、ニュースで知ったことだが、タイ政府は「医療ビザ(Medical Treatment Visa)という新たなビザを新設するという。

政府はメディカルツーリズムをこれからの重要産業としてとらえていて、今回のビザの新設で、リハビリやアンチエイジング、美容整形などの医療サービスを受ける外国人富裕者層をターゲットとした新たな需要の掘り起こしを狙ったものと考えられる。

そのような、ハイレベルな医療サービスを提供できるのは一部の私立病院に限定されている。

 

タイには、日本の社会保険のような民間のサラリーマンの職域保険や共済保険のような公務員の職域保険もあるが、自営業者や農民などサラリーマン以外の者が加入できる、日本の国民健康保険に相当するような公的保険制度は長く存在していなかった。

こういったサラリーマン以外の者は、民間の医療保険に加入するしかなく、低所得者層の多くは、無保険状態のままに置かれていた。

しかし2002年に、国民皆保険を目指した新たな公的な保険制度ができた。

「30バーツ保険」とも呼ばれるこの新たな保険制度によると、患者は予め登録した医療機関で治療を受けることができ、受診や投薬にかかる自己負担は一回につき30バーツまでと定められているという(この公的保険に加入できるのはタイ国籍を持っている者に限られている)。

この制度は、一見すると画期的な制度かもしれない。

この制度によって、多くのタイ国民が医療機関を受診できる機会が増えたのは事実である。

ところが、現実はプラスの側面ばかりではない。

まず、患者の登録する医療機関のほとんどが公立病院である。

そのため、公立病院は常に混雑して、患者は長時間待たされることになる。

急を要する治療でも数週間以上待たされることもあるという。

これでは緊急を要する治療には使えないことになってしまう。

低所得者層であれば、受診の都度支払う自己負担の上限額である30バーツに負担感を持つ者もいるだろう。

しかし現在の医療事情を考慮すれば、一回あたり30バーツ程度では、高度な治療はほとんどできないのではないか。

高度な治療を多用すれば、保険財政はたちまちひっ迫してしまう。

そのため、低所得者層は、公立病院で消極的な治療のみを受ける結果となってしまう。

 

私立の病院であれば、ハイレベルの治療を受けることは可能だ。

しかし、それなりの対価を要求される。当然だろう。

受診に際しては、十分な医療費をカバーできる民間の保険に加入しているかが問題にされる。

保険加入がないのであれば、直ちに保証金の支払いを求められる。

このあたりの事情は、自分で経験したことなのでよくわかる。

親父の入院と手術のときは、クレジットカードで保証金を支払ったので問題はなかったが、支払能力に欠けるとわかれば、すぐに追い出されていただろう。

タイでは高い医療水準がありながらも、公的保険では十分な治療が受けられない。

救急車を呼ぶのも、基本的に有料である。

誰も彼もが、等しくハイレベルの治療を受けることができるわけではない。

そう考えると、タイの社会は日本とは比較にならないほどの格差社会と言うことができるだろう。

 

タイの公的保険は未だ課題が多いと言えるが、より多くの国民の健康のために、充実した制度になってほしいと切に願う。

新型コロナウイルスの再度の蔓延で、タイ旅行への道が、またしても閉ざされてしまった。

本来であれば、その時にお世話になったあのクラビーの病院を訪れて、お礼の気持ちを伝えたいと思っているが、いまはそれができる状況にはない。

いつの日か、以前のようにタイを訪れることのできる日が来たら、その時はクラビーの地をまずは訪れたいと考えている。

 

 


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アーミー・メソッドとドナルド・キーン  その2

青年は、自分を取り巻く世界の嫌なものすべてから逃れるために、日本という美の国の『源氏物語』の世界に没頭していた。

ニューヨーク市で生まれた彼は、成績優秀により「飛び級」を繰り返し、16歳でニューヨークのコロンビア大学文学部に入学していた。

しかし、明るい将来が見えていたかと言えば、決してそうではなかった。

恐れていた現実が近づいている。

世界は戦争に傾いていたのだ。

たまたま書店で手にした英訳の『源氏物語』に心を奪われた。

暗く将来が見えない不安と恐怖心。

『源氏物語』の世界と自分のいる世界を比べていた。

そこには戦争がなかった。

受講していた「日本思想史」の角田柳作先生が、敵国外国人の嫌疑をかけられ、拘束されたこともあった。

からっぽの教室を見て、自分の学生生活が終わろうとしているのを実感した。

銃剣を持って突撃する自分の姿は想像できなかった。

海軍の語学学校で翻訳と通訳の候補生を養成していることを知り、入学を志願した。

 

海軍語学学校での授業が始まった。

授業は週六日、一日四時間で、毎週土曜日に試験があった。

二時間が読解、一時間が会話、一時間が書き取りだった。

さらに翌日の授業に備えて少なくとも四時間は予習が必要だった。

講師は主に日系人が担当していた。

アメリカで生まれ、日本で教育を受け、アメリカに戻ってきた日系アメリカ人たちだった。

彼らは熱意をもって自分の仕事に打ち込んでいた。

彼らは学生たちの日本語の上達を喜んだ。

講師と学生たちとの間に、強いきずなが生まれるのに長い時間はかからなかった。

11か月のプログラムが終了した。

そのとき彼は、印刷された日本語だけでなく、草書も読むことが出来ていた。

手紙や報告書などを日本語で記すことも可能になっていた。

彼は卒業生総代として「告別の辞」を述べていた。

一年前までは一言も話せなかった日本語でである。

 

海軍の語学学校を卒業した彼の最初の赴任地は、真珠湾であった。

そこでの任務は、押収された日本語の文書を翻訳する作業であった。

文書はガダルカナル島で採集されたものだった。

翻訳は、日本軍の残した日課の報告書のようなものが多く、作業は退屈なものだった。

そんななかで目を引いたもの、それは「日記」だった。

多くは、日本兵の死体から抜き取られたものであった。

血痕が付着していて、不快な異臭がした。

しかし、これらの日記は、時に堪えられないほど感動的で、一兵士の最後の日々の苦悩が記録されていた。

はじめは愛国的な常套句で埋められたページも、戦場で自分の最期が近づいているのを感じるにつれ、偽りを書くことはなくなり、「本当の思い」が綴られる。

なかには最後に英文で伝言が記してあるものもあった。

伝言は日記を発見したアメリカ人に宛てたもので、「戦争が終わったらこの日記を家族に届けてほしい」と書かれていた。

日本の地を踏んだことのない彼が、本当の意味で知り合った最初の日本人は、これらの日記の筆者たちだった。

出会ったその時には、すでに死んでいた人たちではあったが。

のちに日本文学史における日記文学の独自性と豊かさを探求した名著である『百代の過客』が書かれることになるが、その原点となったのは、このときの日記の翻訳体験に他ならなかったのである。

 

1945年4月1日、沖縄に上陸する。

洞窟に隠れた民間人が多かった。

彼は洞窟を片端から歩き回り、中に誰か隠れていないか呼びかけた。

日本兵のなかには自爆する者もいた。

民間人が自殺する姿を目の当たりにしたこともあった。

 

多くの日本人捕虜の中に、記憶に残る若い将校がいた。

学徒兵だった。

この若い海軍将校は、敵としてではなく、同じ学徒兵として話がしたいという。

この海軍将校が彼に尋ねる。

このまま自分が生き続けなければならない理由が何かあるだろうかと。

彼は自信を持って答えた。

生きて、新しい日本のために働くように、と。

 

沖縄での軍務は7月まで続く。

終戦の玉音放送はグアムの収容所で日本人捕虜とともに聞いた。

アメリカ海軍の通訳として日本と対峙していた彼の「戦争」が終った。

戦争がきっかけではあったが、日本語という大きな宝物を得た。

この知識を棄てたくないという思いから、彼はコロンビア大学へ戻る。

日本文学の研究を続け、その後念願かない京都に留学することになる。

川端康成や三島由紀夫など日本を代表する作家との交遊を通じて、文学研究を豊かにした。

数多くの日本の作家の翻訳を手掛けたほか、「源氏物語」や「奥の細道」など日本の古典文学を海外に紹介してきた。

その後、コロンビア大学で教鞭を取る傍ら、日米を行き来していたが、東日本大震災後、日本への永住を決めて日本国籍を取得した。

被災した人々の忍耐強さを目の当たりにしたのがその理由だという。

 

彼はすでに多くの業績を生み出していた。

外国人の学術研究者として史上初めての文化勲章を受章した。

かつての沖縄戦で日本人の投降を呼びかけていた青年。

その後、日本文学の世界に身を投じ、日本人以上にその研究に没頭し、優れた業績を遺した。

多くの人々に愛された彼が、2019年2月に96年間の生涯を閉じたのは、終の棲家として永住を決めた日本の東京であった。

 

 

参考文献

ドナルド・キーン自伝(中公文庫) ドナルド・キーン著 角地幸男訳

日本語教育能力検定試験 完全攻略ガイド(‎翔泳社)

 

 

アーミー・メソッドとドナルド・キーン  その1

「外国語を学び始めたきっかけは」と聞かれれば、「その国が好きだから」とか「その国でもっと自由に旅行したいから」と答えるかもしれない。

学生のなかには、「学校の勉強や入学試験のために仕方なくさせられているから」という答えもあるかもしれない。

しかし勉強を続けるうちに、「仕方ないから勉強する」といった外発的な動機づけから、学習者の内側からくる動機づけに変化していくこともある。

自発的に沸き起こる知的好奇心から、「面白いから勉強する」「外国の人と友達になりたいから勉強する」という内発的な動機づけへの変化である。

それは平和で自由な社会だからこそ可能なのかもしれない。

もし、学び始めたそのときに「戦争」があったとしたら…

 

近世になり産業革命が興り、大量生産が行われるようになり、経済活動が盛んになる。

経済活動が活発になれば、貿易などを通じて人々の国境を越えた行き来が増え、外国語の必要性が高まる。

こうした背景から、19世紀から20世紀にかけてさまざまな外国語教授法が盛んに研究されるようになった。

古典的な「文法訳読法(Grammar Translation Method)」のような、母国語への翻訳を中心にした教授法から脱却し、「ナチュラル・メソッド(Natural Method自然主義教授法)」や「オーラルメソッド(Oral Method)」といった、直接法による教授法、とりわけ聴解力重視した「話せる外国語」の教授法が開発されたのがこの頃である。

そんな中で、最も成果の上がった学習法として知られているのが、アーミー・メソッド(ASTP(Army Specialized Training Program))であった。

戦争遂行のために、諜報活動が必要になる。

そのために兵士に、敵国の言語を習得させなければならない。

それも、短時間で実践的なレベルまで習得させなければならなかった。

そこで行動主義心理学に基づいた教授法が開発されたのである。

行動主義心理学に基づいた教授法とは、外部からの刺激に反応し、それが習慣化すること、つまり教師が刺激を与え、学習者は条件反射的に学習させられるという教授法であった。

かの有名な「パブロフの犬」の理論のごとく、反射的に外国語が発声できるような、ある種人間性を否定させられるような、過激な学習方法でもあった。

 

まったく余計な話ではあるが、日本では同じ時期に、英語は「敵性語」として扱われ、一切の英語教育が排除されていた。

一方のアメリカでは敵国の言語を積極的に教育し、戦略的に活用しようとしていたのである。

この違いは、「言霊」の思想に強く裏付けられた日本人と、そうではないアメリカ人の差なのかもしれない。

アーミー・メソッドプログラムによる授業は、アメリカ人教官とネイティブスピーカーの教官の分業で行われた。

アメリカ人の教官が、読解、翻訳など言語の構造について母語で教え、また、インフォーマントと呼ばれるネイティブスピーカーの教官行う口頭練習からなる授業であった。

インフォーマントは、モデルとしての発話を示す者のことで、日系人が務めた。

モデルが提示された後、ドリルマスターによる口頭での反復練習を行う。

ネイティブによる口頭練習により多くの時間が割かれ、徹底した暗記と反復練習が行われていた。

行動主義心理学に基づく習慣形成という考えが背景にあったため、ネイティブの言語に触れて、とにかくそれを模倣、暗記することで言語が習得されると考えられていたからであった。

口頭練習を指揮するドリルマスターによる集中的な口頭練習は、「練習」というよりも、「訓練」であったのである。

そして、自動的に話せるようになるまで基本文を徹底的に暗記させられていたのであった。

 

このアーミー・メソッドは、短時間のうちに流暢な話者を養成できたメリットはあるものの、反復練習は単調なものになりがちであるうえ、学習者に過度の緊張をもたらしたのも事実であった。

アーミー・メソッドによって日本語を学んだ学生の中に、その青年がいた。

のちに、日本文学研究者となったドナルド・キーン(Donald Keene)である。

 

アーミー・メソッドとドナルド・キーン その2

https://ponce07.com/astp-donald-keene-2

 

 

観光の再開について

タイの観光地であるプーケット県は7月1日、隔離期間なしでの観光客の受け入れを再開した。

タイ政府は新型コロナウイルスによって壊滅的な打撃を受けた観光業の復活を期待し、ワクチン接種済みの旅行者に限り、隔離期間なしで入国を許可する制度、いわゆるプーケット・サンドボックスと呼ばれる制度を導入した。

条件付きではあるが、隔離措置なしでの観光客の受け入れを再開したのである。

外国人観光客は到着時に専用のスマートフォンのアプリのインストールを求められ、その動きは政府機関の管理センターに追跡される。

また観光客が宿泊できるホテルは、政府の安全基準を満たした施設のみとなる。

しかしこうした制度がある一方、変異株の感染拡大で、タイ国内の新規感染者は引き続き発生しており、首都バンコクと近郊には感染対策の制限が課されている。

6月30日には、1日当たりの死者は、53人と過去最多となった。

懸念材料の多い中、政府は予定通りプーケット・サンドボックスを開始した。

プーケット県民の多くは観光の再開を待ち望んでいた。

タイを訪れる観光客は毎年約4000万人で、これが国内の経済を支えている

国内総生産(GDP)の約18%を観光業が占めるとも言われている。

国外からの観光客が消えたことは、経済的に大打撃と言える。

特にプーケットやスラータニーなど観光名所を多く持つ県での、被害は甚大だ。

新型コロナウイルス拡大の影響で、プーケットでは8割以上のホテルが休業しているという。

ここ1年ほどプーケットの白い砂浜は静けさの中にあったのである。

このプーケット・サンドボックスの導入のため、プーケット県民の3分の2は、ワクチンの接種を済ませたという。

日本での状況はどうかというと、東京では新規感染者が減る見込みは依然ない。

感染力が強いとされる変異株の拡大が大いに気になる。

またオリンピックの開催で外国からの人の流入が増加している点も気になるところである。

切り札とされるワクチンの接種は遅々として進んでいない。

タイ保健省が定める感染リスク評価で日本は「高リスク」に属している。

タイ人の目からは、日本は「危険」とみなされているのである。

プーケット・サンドボックスについても、タイ政府は日本からの渡航者はビジネス目的に限るとしている。

観光目的での入国は、ワクチン接種済みでも現時点では隔離検疫が必要な状況である。

こうしたニュースを見る限り、明るい兆しはまったく見えてこない。

感染の防止と経済の再生を両立させることは難しい。

感染拡大のためにあらゆる措置を講じていくことは必須である。

しかし、疲弊した経済を放置することもまた許されない。

健康でなければ経済活動もできないが、仮に経済が完全にストップしてしまえば、たとえ健康であっても、我々の生活は成り立たないのである。

このプーケット・サンドボックスは、今後スラータニー県のサムイ島、パンガン島、タオ島にも適用される見込みという。

経済再生のための政策は、今後も拡大されると思われる。

日本に住んでいる者にとって、海外への渡航など時期尚早な話に過ぎない。

我慢のときが続くのは仕方がない。

プーケットやスラータニー、クラビの海岸を懐かしく思う。

いつの日か、再び訪れることを夢見ている。

時間が困難を解決させてくれる。

こうした中で自分たちにできること。

それは個々人が感染防止に努め、ハイリスクな行動を慎むことなのである。


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今年一年を振り返ってみると…

年の瀬になりました。

あわただしく仕事に追われている人も多いと思います。

 

さて今年一年を振り返ってみると…

今年の年明けの日は、タイ南部スラータニー県(จังหวัดสุราษฎร์ธานี)のサムイ島(เกาะสมุย)にいました。

島の北東部にあるチャウエンビーチ(หาดเฉวง)という海浜で初日の出を見たのを覚えています。

美しい白浜で、今年一年の平穏無事を祈願したものでした。

ところがそれから間もなくして、事態は一変します。

新型コロナウイルスの世界的な拡大です。

このウイルスの蔓延がこれほどまでに続くとは、全く予想できませんでした。

外国への旅行は厳しく制限され、事実上の鎖国状態となってしまいます。

その後も感染の拡大は、衰えることはありませんでした。

12月になると、感染者数はこれまでにない勢いで増加し続けています。

東京でも、日々1000人に迫る勢いで新規感染者が発生しています。

僕の住んでいる街でも感染者が発生し、仕事の面でも混乱が見られました。

久しく新規感染者の出ていなかったタイでも、今月バンコク近郊のサムットサコン県(จังหวัดสมุทรสาคร)の海産物市場で、大規模な感染が発生しました。

経済活動や人の移動を規制したことが功を奏し、5月以降は市中での感染を抑え込んでいたタイで、突然に大規模な集団感染が発生したのです。

その感染者の大半はミャンマーからの出稼ぎ労働者だったということもあり、「感染の拡大を招いた原因は不法入国者」との非難の声も出てきて、外国人労働者が白眼視される事態にまでなってしまいました。

感染という事実がなければ、非難を受けることもなかっただろうと思うと、まったく残念で仕方ありません。

 

海外からの旅行が制限されたことで、多くの観光地では経済的に窮地に立たされています。

南部では観光業が主な産業という島も多いのですから、これは壊滅的な被害といっても過言ではありません。

まったく無念であり、胸が痛みます

 

クラビーやプーケットで過ごした日々がいまでも思い出されます。

美しい海、美味しい料理、気さくで人情味あふれる地元の人々たち…

タイへの旅行が再開できる日がいつになるのかまったく予想できません。

いつの日か自由に旅行できる日が戻ってきたら、クラビーやプーケットの街を歩いてみたいと切に願っています。

 


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「新しい生活様式」と自転車乗り

最近、自転車が見直されていると言います。

新型コロナウイルス感染症の拡大によって、人々は「新しい生活様式」を送るようになり、これが定着しつつあることがその背景にあります。

都心部では混雑した電車通勤を避けて、クロスバイクなどの軽快な自転車に乗り、通勤や買い物などに出る人が増えているのです。

ある知人が、健康のために自転車を使ってみようと、近隣の自転車屋に出向いたのは良いが、お目当ての自転車は、「取り寄せ」になるという。

それも、注文してから納車までの日が長く、だいぶ待たされているようです。

店主の言によれば、最近は納車までの日数がだんだん長くなっているとのことです。

なるほど。

「新しい生活様式」により、密を避けて、自転車を利用したいと考える人が急増したので、自転車の生産がなかなか追いつかないのでしょう。

クロスバイク乗りの僕としては、自転車愛好者が増えること自体は、たいへんに結構なことと思います。

しかし、今回のこの事情は、正直に言って手放しでは喜べない部分もあるのです。

それほどまでに、新型コロナウイルスの影響が後退していないのだから。

11月になって、新型コロナウイルスの新規感染者がさらに増えて、これまでにないような勢いで多くの感染者が日々発生しています。

感染者がこれほど急増しているのにもかかわらず、政府は観光業や飲食業への経済対策としての、「Go To トラベル」や「GoToイート」を、中止あるいは縮小する考えは持っていないようです。

増え続ける新規感染者を政府がコントロールしているとは、まったく言えない状況なのです。

そのおかげで、タイ政府は日本を「中度感染危険国」とみなしているのです。

都市封鎖に踏み切るなど、徹底的な対策をとり、新規感染者の増加を抑え込んだタイとは対照的な結果となっています。

非情に歯がゆく感じているのは私だけではないと思います。

その結果、特別観光ビザを利用した、日本からの外国人観光客の入国は、現在許可されていない状況にあります。

(※特別観光ビザについては、前回の記事 https://ponce07.com/thai-visa/「ビザについてวีซ่าไทย」

で紹介しています)

これでは、年末年始の旅行はもちろん、来年もあるいは再来年も旅行に出られるとは思えません。

航空業界では、国際線の運航水準が新型コロナウイルス感染前の水準に戻るのは、2024年頃になると予想しているとも言われています。

タイへの渡航への道は、事実上閉ざされていて、回復する見込みはまったく立っていません。

このブログでは、これまで数多くのタイの魅力をお伝えしてきました。

それがいまでは、お伝えすることが難しく、またその気力も減退しつつあります。

非常に残念です。

新型コロナウイルスの早期の収束のためには、多くの英知の集結と多くの国民の協力が必要なのではないでしょうか。

 

日傘 ร่มกันแดด

最近は朝夕に涼しい風が吹いて、過ごしやすくなりました。

今年の厳しかった夏も、ようやく終わったといった感じがします。

例年と違って、僕の始めた新たな試みは…

それは「日傘を使い始めた」ことです。

夏そのものは決して嫌いではないのですが、昼日中に炎天下の市街地を歩くのに、とにかく苦痛に感じるようになったからです。

アスファルトに覆われたビル街は、ヒートアイランド現象のせいもあり、気温が40度近くになる日も珍しくありません。

単に暑いというのではなく、強い日差しが直接当たる頭に痛みを感じるようになったからです。

そんな意味で、頭を強い日差しから保護する日傘に注目したのです。

とはいえ、男子たるものが人前で日傘をさすのは、大いに抵抗があるもの。

しかし、背に腹は代えられないとの思いから、日差しの強い日に限って、日傘をさすようになりました。

思い切って試してみると、これがなかなかの優れものです。

照り返しと蒸し暑さはあるものの、頭の痛みについてはかなり軽減されるようになりました。

環境省のレポートによれば、帽子のみをかぶった場合と日射を99%以上カットする日傘を使った場合との比較を行った結果、日傘をさした場合、汗の量が約17%減ることのこと。

http://www.env.go.jp/press/106813.html

また、体感温度を10度近く下げる効果もあるという報告もあります。

さて、「常夏の国」のイメージのあるタイでは、日傘のイメージはどうでしょうか?

日本よりもずっと日差しが強く、また夏の期間が長いタイですが、日傘を使っている人は少数派であるように感じます。

街でも日傘が売られているのをほとんど見かけません。

日焼け止めのクリームやサングラスは、よく売られているのですが、日傘に関しては意外と取り扱われていないのです。

なぜそうなのかは不思議なのですが、これは習慣の違いなのかもしれません。

ですので、タイへの渡航を計画されているかたは、必需品のひとつに日傘を加えてもいいと思います。

強い日差しを嫌うのは、タイ人も同じです。

というよりも、タイ人のほうが、その嫌悪感を顕著に表しているようにも見えます。

バス停でバスを待つ人も、屋根があるところであれば、当然にその下で待っています。

屋根のないところでも、近くに電柱などの影があれば、そこでバスを待っているのをよく見かけます。

ことあるごとに、「イェンサバーイ(เย็นสบาย=涼しくて気持ちがいい)」を連発する彼らのことですから、強い日差しを毛嫌いするのは当たり前なのです。

 

遮光性の高い日傘を使えば、まるで木陰にいるような涼しさを体感できます。

高品質の日傘がタイで普及するのは、時間の問題のように思います。

いつの日か、バンコク市内にも「日傘男子」が闊歩する日が来るかもしれません。

 

 


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冷静に考えて予防のための行動を…

ここ数日、メディアでは新型コロナウイルスの話題で持ちきりです。

世界的に流行し、かつ日本国内での感染者が確実に増えている状況ですから、これは仕方ありません。

タイ在住の知人からも、日本の状況を気遣い、そして多くの励ましの言葉を頂きました。

本当に感謝しております。

現在は、タイから日本へは渡航が自粛されている状況です。

こうした状況下では、日本からタイへの旅行も中止せざるをえません。

早く事態が安静化して、自由に旅行ができる日が戻ってくれることを心待ちにしています。

さて新型コロナウイルスに感染したらどうなるのでしょうか。

これまでにないタイプのウイルスなので、感染力が強いと言われているようですが、実際のところその実態はまだよくわかっていません。

一部の高齢者や病弱者には重症化する人もいるようですが、多くの人は無症状ないし軽症とも言われています。

また感染ルートとしては、くしゃみや咳などの飛沫感染とウイルスが付いた手すりやつり革などをつかむことによる接触感染があると言われています。

その予防のために、手洗いやうがいをこまめにするとか、咳の症状が出ているときは、外出を控えるとか、やむを得ず外出しなければならないときはマスクを着用するなどの感染防止策が必要とされています。

しかしこうした予防策は、これまでのインフルエンザ流行の際にも繰り返し言われていることなのです。

また仮に感染しても、有効な薬はなく、栄養と休養をとって自然に症状が和らぐのを待つ「対処療法」しか方法がないと言います。

こうした決定的な有効策がないという点でも、通常の風邪やインフルエンザの症状に似ています。

ですから、結局のところ、自ら感染の防止に努めるなければならないということと、万が一感染しても、休養して自然に回復するのを待つだけという結論なのです。

僕が学生時代にバックパッカーのような旅行をしていた時は、風邪などの発熱や下痢などの症状があっても、さほど慌てることもなかったような気がします。

長く旅行をしていれば、体調を崩すことは、よくあることなのです。

バックパッカー連中は体調が悪くても、特に何をするでもないタフな人が多かったように思います。

あるベテランの旅行者の話を聞いたのを思い出します。

風邪などの発熱があるときはどうしていたのかというと、「よりたくさん食べて、持っている衣類を重ねて着こんで寝てしまうだけ」とのことでした。

汗をかいて寝ることを2~3日繰り返せば、回復できるというわけです。

また、激しい下痢に襲われたときはどうしてしたのかというと、「一切の食事を絶って、水しか飲まない」とのことでした。

一日絶食すれば、たいていは次の日には回復しています。

このべテランの旅行者は、薬もあまり使わないようでした。

ましてや、医者にかかるようなことはめったにないようでした。

つまりここでも、「自然に回復するのを待つ」のが基本的なスタイルなのです。

いまの日本人は何らかの体調の異常が見つかったら、まず病院や診療所を探します。

国民皆保険の制度により、診察時の自己負担は低く抑えられています。

その一方、処方箋がないと効果の高い薬を買うことはできません。

一方タイ人の場合は、まず症状にあった薬を探します。

診察料は相対的に高く、特に私立病院ではかなり高額の負担になるため、受診は慎重になります。

その一方、薬局では比較的自由に薬を購入できます。

軽度の症状であれば、コンビニエンスストアでも薬を購入することができます。

日本では公的な保険が充実していて、国民誰もが軽い症状であっても気軽に受診ができます。

しかしその一方で、保険料負担は高額で、かつ税の負担も過大で、国民は相当な公的負担を強いられているのが現状です。

反対にタイでは、薬代が安価で簡単に購入することができます。

しかしその一方で、公的な保険では給付が少なく、満足な診療代をカバーすることができません。

そのため、裕福層は自ら民間の保険商品を選んで、これに加入することになります。

どちらの制度が優れているのか、判断は極めて難しいでしょう。

病弱の人とそうでない人によってもその判断は異なりますし、裕福な人とそうでない人によってもその判断は異なります。

どちらがより良いのかという答えは、各人に委ねたいと思います。

ただし、これだけは言えます。

公的な保険が乏しい社会では、必然的に自分で考えて行動することを余儀なくされるという点です。

トイレットペーパーはどこも品切れ(2020.03.01)

 

今回の新型コロナウイルスの騒動で強く感じたことは、自分の身は自分で守らなければならないという点です。

日本は、政府が手厚い保険制度を用意したおかげで、医療機関に受診しやすい社会です。

そのおかげで重症化を未然に防ぐことのできる優れた社会であるのは事実です。

しかしその一方で、自ら判断し、予防しなければならないという発想に乏しくなっているようにも感じます。

昨日も近所のスーパーやドラッグストアで、マスクやトイレットペーパーを求める長い行列を見ました。

いずれも人も苛立った様子で、店内は非常に混乱していたようです。

「トイレットペーパーがなくなる」などという、ちょっと考えれば明らかにウソと分かるようなデマにも簡単に流されています。

どう見ても、落ち着いた考えの大人の行動には見えません。

冷静に考え、自ら予防のための行動をとることが求められると私は考えます。

 


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