タイ語の勉強をしているというけれど、遅々として進まない。
なかなか成果が出ないのに苛立つこともよくある。
この分野は同じ外国語のなかでも、英語や他のメジャーな言語と異なり、教えてくれる学校や先生も少ない。
参考書や辞書も限られている。
基本的に独学でやっていくしかない。
そんななかで、どうやったら効率的に効果的に勉強できるのか。
これは、永遠の課題といっていい。
でも結局は、自分自身で試行錯誤しながら、時には軌道修正しながら、自分に合った方法を模索しながら進めていくことにしている。
立ち止まらなければ、それでよい。
いずれじわじわと効果が現れる。
そう言い聞かせている。
いまの中学生や高校生は勉強の合間にラジオを聴くことはないのかもしれない。
しかし、僕が学生だった頃は、ラジオのよく聴いていたものだった。
当時の人気番組のひとつに、ニッポン放送で放送していた「三宅裕司のヤングパラダイス」があった。
テンポの良い喋りがウケて、リスナーも多かったように思う。
僕もこの番組をよく聴いていた。
ある日、その番組の中に、新しいコーナーができることを聞いた。
一人のメインのパーソナリティが番組の進行を務める。
たいていは女性のアシスタント役が付き、受け答えの役をする。
トークの合間にリスナーからのリクエストに合わせて、音楽を挟む。
コーナーの時間は15分ほどだったと思う。
よくある構成だ。
新しいコーナーのメイン・パーソナリティは、「期待の若手放送作家」だという。
期待しながら、その新コーナーを聴くことにした。
ところが…
番組の評価はイマイチだった。
当時は三宅裕司や吉田照美など、テンポの良い喋りを売りにした司会者が多かったが、この若手放送作家の喋りは、彼らとは違った。
テンポが良くないのは確かだが、どこか暗かった。
内容的に悪くはないのだが、リスナーに響く何かが感じられなかった。
聴いている僕は思った。
「このコーナーは長続きしないだろうな…」
同じように考えたリスナーは少なくなかったように思う。
でも、そのコーナーの中で、この若手放送作家が話していたことで、一つだけ今でもよく覚えていることがある。
それは、こんな話だった。
「僕らが中学生や高校生だったときもよくラジオは聴いていたな」
「当時の番組もこんな感じで、リスナーからのハガキリクエストを受け付けていた」
「僕もよくハガキを書いたけれど、いつまでたっても採用されない」
「なんでオレの書いたハガキは読まれないのだろうか」
「読まれるハガキとオレのハガキはどこが違うのだろうか」
「自分で考えたよ。どこが違うのか」
「こういうことは誰かが教えてくれるわけではない。参考書があるわけでもない」
「だから自分で考えたんだ」
「そのうちだんだんと分かってきた。どこに違いがあるのかが」
「そしてその違いを意識しながらハガキを書くようにした」
「そうしているうちに少しずつオレのハガキが採用されるようになった」
「そしていつのまにか、毎週ハガキを読まれる『常連さん』になったんだ」
いまになってこのことがよくわかる。
年齢を重ね、そのことがよく理解できるようになった。
その新コーナーは、僕の予想していたように、あまり長くは続かなかった。
僕自身も、そのこと自体忘れかけていた。
若手放送作家は、ラジオのパーソナリティとしては、いまひとつであったが、その後は「自分で考えて」別の道を模索していたのだろう。
しばらく後に、「夕焼けニャンニャン」というテレビ番組が放送されるようになった。
当時の中学生高校生の間では知らない者はいない人気番組だった。
その人気番組の仕掛人が、件の若手放送作家だったことを後になって知った。
若手放送作家とは、秋元康その人だ。
勉強のこと、仕事のこと。
うまくできなくて悩むのは当たり前。
簡単に答えが探せるわけではない。
簡単にやり方がマスターできるわけではない。
教えてくれる人もいない、マニュアルもない。
そんな状況の中で、どんな方法が良いのを自分で考えるのが大事なのだ。
何かをモノにしようとする人間は、自分のやり方を確立する。
自分だけのオリジナルのやり方を見つける。
今となっては古臭い話題だが、その若手放送作家は、早くからそのことに気がついて、かつそれを実践してきたのだと思う。
道半ばで、なかなか成果が見えてはこないけど、これからも「自分で考える」ことを忘れないようにしたいと思う。