一道少年 その4

絶望の淵に追いやられ、一時は自殺することさえ考えた。
そんな一道少年は、学校通いだけは続けていた。
もともと勉強が好きだったこともあった。
学校とは市内にある県立の定時制高校である。
一道少年がこの秋田県大館市の寺を選んだのは、定時制高校に通うことができたからに他ならない。
家庭の経済的な事情で、高校に進学することのできなかった一道にとって、定時制とはいえ高校に通わせてくれるのはありがたかったのである。
一道少年は、寺での修業がつらい時でも、疲れていた時でも、学校に通い続けた。
そして、授業が終わった後も、ひとり図書館に残って深夜まで勉強を続けていた。
そんな一道少年が、図書館で一冊の本を手にする。
マルセル・パニョルというフランスの喜劇作家の書いた『笑いについて』という本だった。
このなかに以下のようなくだりがある。

舞台やスクリーンで人を笑わせたからって、卑しい真似をすることにはならないわ。畑から帰ってくるお百姓さんたち、大きな手がカチカチになって、もうその手を閉じることもできない人たち。胸をすぼめ、もう空気の味もわからなくなって事務所から出てくる人たち。頭を垂れて、工場から帰ってくる人たち、爪は割れ、指の傷口には黒い油がしみこんでいる……そういう人たちを笑わせること……やがて死んでゆく人たち、母親を失った人たち、やがて母親を失う人たち、そういう人たちを笑わせること……ほんの一瞬でも、疲労とか、不安とか、死とか……さまざまな小さな苦悩を忘れさせてくれる人、泣くのも無理もない連中を笑わせる人、そうした連中に生きる力を与える人、その人こそ善行家としてみんなに愛されるんですわ……
(マルセル・パニョル『笑いについて』岩波新書)

苦難に満ちた人たちに、たとえひとときでも、やすらぎと微笑みを与えられる者を喜劇役者といい、その者こそが皆に愛されるべき存在なのだ。
一道少年は、大きなショックを受けることになる。
自分がこれまで信じてきた仏の道…
その道に疑問を持ち始めていた。
一時は自殺することさえ考えていた。
生前の父の姿が脳裏をよぎる。
父は常々こう語っていた。
「立派な坊さんとは知っている経文の数ではない。地位でもない。まして法衣の色でもない。多くの人に仏の教えを伝え、いっときでも心の安らぎを与えられるかだ」
「今を生きている人たちに生きる喜びを与える。これこそが、坊主の本来の使命」
マルセル・パニョルは「心の安らぎを与えられる者」、そして「生きる喜びを与える者」を明快に示した。
元々、目立ちやがり屋の一道少年だったから、喜劇役者という職業はうってつけだった。これが仏の道から喜劇役者の道への転身の契機だった。

一道少年 その5
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