一道少年 その5

一道少年は、寺での修業に見切りをつけ、上京する。
数々の職を転々とし、ここでもまた苦難の道を歩んでいた。
しかし、喜劇役者を目指す気持ちを忘れることは決してなかった。
食うことに困り、相撲部屋に居候したこともある。
親方には睨まれたが、得意の話芸で力士たちを笑わせていたところ、
「部屋を和ませてくれるなら…」とのことで、居候が黙認された。
のちに芸能界きっての相撲通と言われたのは、この修行時代の経験からだった。
その後、漫談家の牧野周一の弟子となる。
付き人時代を経たのちに、牧沢一彦の芸名をもらう。
牧沢一彦とは、のちのポール牧のことである。
舞台に上がるやいなや、コメディアンとしての才能は開花する。
師匠でもあった、関武志と「コント・ラッキー7」を結成し活躍。
その後、東京新喜劇を立ち上げる。
ところがそれも束の間、相方の関武志が病に侵され他界してしまう。
関の没後、コンビを解散し、ピン芸人となる。
引退し、再び出家するも、その後俗還。
波乱万丈の人生に終止符を打ったのは、平成17年のこと。
享年65(満63歳没)だった。
僧名は熈林一道(きりん いちどう)。
『ドーランの下に涙の喜劇人』
生前のポール牧は、色紙にサインと共にこの句をよく綴っていたという。
「今を生きている人たちに心の安らぎと生きる喜びを与える。」
「一つの道」に精進し、人々を笑わせることで、それを実践した一道少年だった。

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