ホテル「Baanphuanda บ้านภูอันดา」は、病院から歩いて5分もかからないところにあった。
下町の一角で、隣はアイスクリーム屋になっていて、夕刻になると学校帰りの女子学生が寄り道している光景が見られた。
退院してから帰国できるまでは、このホテルに泊まることになった。
泊まった部屋は2階に位置していた。
親父は手術直後ということもあって、歩くのが困難だった。
特に階段の昇降は苦労した。
時間もかかった。
外に出て、食事にでも出かけたいという気持ちも失せていたのだろう。
大半を部屋の中で過ごしていた。
ホテルのメイドさんが果物の差し入れをくれた。
オーナーの女性は、こちらが頼んだわけでもないのに、新品の杖を調達してくれた。
人情味の溢れるタイの人々には、両親とも驚いていた。
たった数日間のことだったが、今までに経験したことのないたくさんのことがあった。
クラビーの病院の前の白い道を思い出した。
途方に暮れていたところを助けてくれたのは、ムスリムのアイスクリーム売りの女性だった。
驚いた。ムスリムの女が見ず知らずの外国人の男をバイクに同乗させるということ自体あり得ないことと思った。
バイクの後ろ取り付けてあるアイスクリームの屋台には、幼い小さな女の子が乗っていた。
娘なのだろう。見たところ就学前の年齢だ。
その子は突然の乱入者に驚く様子もなく、無邪気に笑っていた。
小さな掌で、僕のかけていたサングラスを叩く仕草をした。
こちらは、親父が異国の地で危篤になり入院している状況なので、その緊張感は相当なものだった。
しかし、ここにいる幼い女の子はそんなことは知る由もない。
信号が赤になり、バイクが止まる。
間がもたない気がして、尋ねてみた。
「かわいい子だね、歳はいくつかい?」
ところが、母親と思われるこのアイスクリーム売りの女性の答えは意外なものだった。
「この子はね、耳が悪いのさ。あんたの言っていることは聞こえていない」
信号が青に変わり、バイクは動き始める。
またしても驚いた。
と同時に目頭が熱くなった。
持ってきたサングラスが大いに役に立った。
この場所で一日アイスクリームを売ったところでいくらの売り上げになるのか。
重度の障害を持った幼い子を抱えて女手一つで商売をしているのだろうか。
いろいろな想像が脳裏をよぎる。
僕の泊まっていたホテルの場所を知らなかったようで、街の人に聞きながら、やっとのことでたどり着いた。
相場よりも高額のチップを渡した。
その女性は受け取るのを拒んだが、結局は押し付けるように渡してしまった。
女性はムスリムなのだが、両の掌を合わせるタイ式の仕草をした。
「ขอบคุณค่ะ(ありがとうございます)」
小さな声が聞こえた。
おフクロもよく言っていた
「タイに来てから不愉快な思いをしたことはほとんどない」
将来、この街をまた訪れる理由ができた気がした。
白い道 その16
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