国旗と国歌 ธงชาติและเพลงชาติ

ラグビーのワールドカップが日本で開催され、国内各地で競技が行われています。
またキャンプ地に選ばれた各地でも、外国チームを歓迎する様々なアトラクションが行われているようです。
なかでも、外国チームそれぞれの国旗を掲揚し国歌を斉唱するアトラクションは、各国の関係者に好意的に受け止められているようです。
これらは主に地元の児童生徒らが参加したもので、この「おもてなし」は、外国チームの選手や関係者にとって感動的な演出だったようです。

自国の国旗や国歌を尊重する姿勢は大切なことです。
そして、その考え方は幼少のときから教育されるべきものと言えるでしょう。
自国の国旗や国歌を尊重できない人は、他国の国旗や国歌を尊重できるはずがありません。
国際的に活躍できる日本人を育てていくのであれば、まずはこういうところから始めていくべきだと僕は考えています。

今日はタイの国歌を紹介します。
この国歌が採用されたのは1939年のことです。
この頃は、第二次世界大戦の直前で、戦時色が濃くなっていた時期と思われます。
アジア各国が次々と列強諸国の植民地とされていた状況のなか、独立を維持し続けたタイ。
その誇りと、独立を守り抜き、そして他国の支配は決して許さないという強い決意が、この歌詞に盛り込まれています。
国歌制定後、これを国民に広く知らせるために、毎日朝8時と夕方の午後6時に公共の施設や広場で流されることになりました。
それは、現在でも受け継がれています。
毎日朝8時と夕方の午後6時の時報に合わせてテレビやラジオで流されています。
この時間に駅行けば、国歌の演奏中は全員が起立している姿を目にすることができます。
学校など国旗掲揚台があるところでは、朝の国歌斉唱時に国旗が掲揚され、夕方の斉唱時に降ろされます。
下の映像は、テレビで実際に使われているものです。
演奏の前には以下のメッセージが読まれています。

ธงชาติและเพลงชาติไทย เป็นสัญลักษณ์ของความเป็นไทย
เราจงร่วมใจกันยืนตรงเคารพธงชาติ ด้วยความภาคภูมิใจในเอกราช
และความเสียสละของบรรพบุรุษไทย
タイの国歌と国旗、それはタイの象徴である
私たちは心を合わせまっすぐに立って国旗を尊重すべし
独立の誇りとタイ人の先祖の犠牲を思い

https://www.youtube.com/watch?v=YTgVDlE1HII
https://www.youtube.com/watch?v=1OzPq9NONiw

เพลงชาติไทย
タイ王国国歌
ประเทศไทยรวมเลือดเนื้อชาติเชื้อไทย
เป็นประชารัฐไผทของไทยทุกส่วน
อยู่ดำรงคงไว้ได้ทั้งมวล
ด้วยไทยล้วนหมายรักสามัคคี
ไทยนี้รักสงบแต่ถึงรบไม่ขลาด
เอกราชจะไม่ให้ใครข่มขี่
สละเลือดทุกหยาดเป็นชาติพลี
เถลิงประเทศชาติไทยทวีมีชัย ชโย

タイ国はタイ国民の血肉を集め合わせたもの
タイ全土はすべて国民のもの
すべてを維持できているのは
タイ国民すべてが団結を愛しているから
タイは平和を愛するが 闘うことになれば怖じ気づくことはない
独立は誰にも抑圧させはしない
国家のためにすべての血の滴を犠牲にする
タイ国家に勝利あれ 万歳!

なお国旗はธงไตรรงค์ (Thong Trairong・三色旗)と呼ばれています。
赤・白・青の3色のタイ国旗は、青は「国王(王室)」を、白は「宗教(仏教)」を、赤は「国家、国民」を表しており、1917年に制定されたものです。


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食のタブー その3

写真は東京の池袋にある蘭州ラーメンの店で撮影したものである。
このラーメンは、中華料理につきものの豚肉は一切使用されていない。
蘭州ラーメンのスープは豚骨を使わず、牛骨で作られたものである。

蘭州ラーメン
蘭州とは、そもそもどこの地方なのか?
蘭州は、中国甘粛省の省都であり、中国の中央部に位置している都市である。
古くからシルクロードの要衝の地で、ムスリムが多い土地柄である。
ちなみに、ラーメンを漢字で表現すると「拉麺」となるが、この「拉」は、「引っ張る」という意味を持っている。
つまり、ラーメンは小麦粉をこねて「引っ張って」作った麺のことを言う。
この蘭州ラーメンは蘭州の回族が始めた郷土料理のひとつだったのだが、ラーメンのルーツともいえる存在だ。いまとなっては中国国内はもとより、東京にも店が進出するほどの人気を博している。
この池袋のラーメン店では、蘭州ラーメン以外にも、サイドメニューがある。もちろんそれらも、イスラム式である。
写真のケバブ(串焼きの肉)は、羊肉である。
羊肉のケバブ
他にも、羊のタン(舌)や羊のハツ(心臓)などを使ったメニューも用意されている。
毎日羊肉を同じように調理していれば当然に飽きてくる。
そのため、内臓などほかの部位を使ったり、別の調理方法を使ったりする。
香辛料のよく効いた羊のケバブは、なかなか旨かった。
しかしあまりゆっくりと食事を楽しむわけにもいかなかった。
ちょっと早めに入店したのだが、正午頃には店は、客でいっぱいになっていた。
店を出ると、店の前には入店待ちの行列ができていた。
なかにはヒジャブを着用した女性もいる。
このラーメン店は、ハラールフードの取り扱い店でもあるのだ。
日本では、まだまたハラールフードを扱う飲食店は限られている。
東京のような大都市でも、その数は多いとは言えない。
だから、ムスリムが外食しようとしても、入店できる店は限定されてしまう。
★撮影 蘭州拉麺店火焔山(東京都豊島区池袋2丁目)
ハラール認証のマーク(一例)

訪日する外国人が急増している。
2020年の東京オリンピック開催の時期は、その数はさらに増えるに違いない。
東京の街にも多種多様な外国語表記が登場するようになって、国際化の進展を実感することができる。
その一方で、現在全世界に16億人以上のムスリムがいると言われているが、彼らに対する理解はまだ十分に浸透しているとは言えない。
日本人が真の意味での「おもてなしの心」を持つことが望まれる。

 

 
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食のタブー その2

宗教観や生活様式などの理由が食のタブーを生じさせているので、そのタブーは相当に根が深い。簡単に変えられるものではない。
イスラム教徒は、この世に唯一の神(アッラー)を信じて、その教えを日々実践して生活している。この日々の実践のなかにはもちろん食事も含まれる。
したがって食事のつど、神の教えで禁じられた食品や成分を避ける。こうした行為は信仰の実践に他ならないのである。
かつて日本の入国管理局のある支局で、収容しているイスラム教徒であるパキスタン人の男性に宗教で禁じられている豚肉を誤って提供したことが大きな問題になった。
給食業務を受託した業者が、誤ってベーコンを混入させてしまったという。男性は支局の給食を拒否して抗議の意志を示し、水や栄養剤だけを口にするハンガーストライキを始めた。
入管側は「確認が不足していた」と陳謝したが、これが国際問題にまで発展してしまう。
多くの日本人には理解しにくいが、ムスリムはそれほどまでに神の教えを厳格に実践するのだ。
イスラムの経典であるコーランには、「あなた方に禁じられたものは死肉、流れる血、豚肉、アッラー以外の名を唱えて殺されたもの」と定められている。
他の動物は食べてよいのに、なぜ豚だけは禁じられているのだろうか。
豚はもともと涼しい気候を好む動物であり、中近東地域のように日差しの強い乾燥した土地での生活に弱い。そのうえ汗腺がないので、体温を下げるために、泥水の中を転げまわることがある。
豚は反芻をしないために牧草や野草で飼うことができない。人間も食べることのできる穀物の類を与えなければならない。
こうした習性ゆえに、豚がいかにも不潔に見られるのも無理はない。
気候的な条件から飼育するのが困難な豚は敬遠される。豚がいなくてもまったく問題はなかった。羊や山羊、鶏など食用にできる動物が他にもたくさん飼われていたからである。
イスラムが始まった1400年前のアラビア半島では、豚は不必要であり、不浄な存在でしかなかったのに違いない。
こうした気候や地理的な条件などから、「豚=不浄のもの」という禁忌が生まれ、現在までに受け継がれているのだ。

食のタブー その3
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食のタブー その1

飲食において宗教、文化上の理由でタブー(禁忌)とされる特定の食材を「食のタブー」と呼ぶ。社会の特定の集団には各々独自の食文化があるので、それがいくつかの食べ物にたいして禁忌感を与えることになる。対象になる食材は、おもに動物の肉である。
この「食のタブー」のよく知られた事例としては、イスラム教徒が豚を不浄の動物とみなしていることから豚肉を食べることはない。また、ヒンズー教徒が牛を神聖なものとして尊ぶことから牛肉を食べることはないことなどである。事実、イスラム教の経典であるコーランには豚肉を食べてはならないと定められているといい、ヒンズー教では神々が宿る聖牛を食べると輪廻転生の最下段に堕ちると教えているという。
また、宗教上の理由ではないが、長年の生活習慣の違いによって生じる理由もある。牛や馬などの役畜や犬や猫などの愛玩動物など、特定の動物に対する心理的な感情から背徳感を呼び起こし、食用とすることができないものもある。日本にもっとも近い国である韓国でも、日本との差異がある。多くの韓国人は、日本人が馬肉を食べるのに驚嘆するという。しかし、日本人は韓国人が犬肉を食べると聞くと眉をひそめる。
鹿肉や猪肉の場合はどうだろうか。人それぞれに評価の分かれるところだろう。写真は、長野県軽井沢町のレストランで撮影したもので、鹿肉を使ったカレーと鹿肉と猪肉を使ったパスタである。このレストランの看板メニューでもあり、注文する者は多い。
味のほうは、間違いなく美味と言える。

鹿肉のカレー
鹿肉と猪肉のパスタ
★撮影 軽井沢ベジビエ(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東)

日本に住んでいれば、食品売り場には、さまざまな種類の獣肉が販売されており、この食のタブーを意識することはあまりない。ところが、外国に出てしまうと、途端にこの問題に直面することになる。
イスラム圏を旅行すればわかることだが、こうした地域では、羊肉が中心になる。毎日が羊肉といってもいいくらいなのだ。羊肉の独特の臭いになじめない人はかなりのストレスになるのではないだろうか。
一方タイでは仏教徒が大半なので、食に対するタブーは、他のアジア諸国に比べると少ないほうなのかもしれない。
しかし一部のタイ人は牛肉を避ける。観音信仰を持つタイの仏教徒は、牛を食べない。これは、観音様の出家を反対した観音様の父親が、生まれ変わって牛になったとの信仰に由来している。つまり、観音様の父親に敬意を表して食べないというのである。
また、牛は農耕の際に使われる役畜としての役割が大きかったので、牛肉を食べるのに抵抗感を持つ者が多かったのもその理由である。
さらに言えばタイにも、特に南部には、少数派ではあるがムスリムもいるので、彼らが決して豚肉を口にすることはない。
南部のクラビー県・ムアンクラビー郡の公設市場内の食肉売場は、一般の売場とムスリムのための売場(ハラルフード売場)に分けられていたのを覚えている。
仏教国のタイでも、ムスリムに対する配慮がきちんとなされているのがわかる。

食のタブー その2
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食べ残しの文化

先日 職場での懇親会の席で、3010(サンマルイチマル)運動と書かれた見慣れない表示を目にしました。
この3010(サンマルイチマル)運動とは、食品のロスを減らすための運動のことだったのです。
これは「宴会の開始から30分間と、閉宴10分前には席に座って食事を楽しみましょう」というところからきたものです。

日本は、食料自給率が相当に低いのにもかかわらず、食べられる状態にもかかわらず廃棄される「食品ロス」は多いと言います。
消費量全体の2割にも相当する量が「食品ロス」になっているという統計もあります。
僕自身は、普段は食べ残しをするようなことは、ほとんどしません。
しかし、歓送迎会や忘年会などの宴会の席では、食事よりもトークのほうが優先され、席を移動して飲みながら話をしたりすることが多くなり、食べ残しをしてしまうこともあります。
良くないこととわかっていながら、完食する前に、宴席がお開きになってしまうことも少なくありません。
こうしたことから、「宴会の開始30分と閉宴の10分前には席に座って食事を楽しみましょう」という3010運動は、食品ロスをできる限り減らそうという意味でたいへん意義のあることと思います。

日本では、食べ残しの習慣は否定的です。
食べ残しは、「もったいない」「行儀が良くない」と考える人が多いのです。
一方タイでは、食べ残しの習慣は、あまり問題にされません。
食べ残して、捨てることに抵抗を感じる人は少ないと言います。
やはり、そこは熱帯の国。
年に2~3回も米が収穫できるうえに、野菜や果物も豊富に獲れる土地柄なので、食べ物にさほど執着する必要がないのでしょう。
また、別の問題として、暑さゆえに食品の傷みも早いので、食べ残したおかずを、あとでまた食べるというような発想は生まれにくいのでしょう。
こうして、食べ残しは次々に廃棄されることになります。
例外は、僧侶の世界です。
僧侶は托鉢などを通して、寄進された食べ物は、すべて消費します。
頂いたものを廃棄するのは、非礼と考えているのです。
そのおかげで、最近は肥満に悩む僧侶が増えているという話も聞きます。

食事はおいしく適量に
とはいえやはり食べ残しの習慣は、やはり好きにはなれません。
もったいないのはもとより、その料理を作った料理人にも失礼でしょう。
食品ロスを廃棄するためのコストも負担しなければなりません。
食べ残すくらいなら、最初から注文しなければいいのです。
逆に、注文した以上は、最後まで食べるべきです。
旅先ではおいしそうなものに目移りして、あれこれと必要以上に注文してしまいがちです。
適量の注文をして、食べ残しをすることのないように気をつけたいものです。

あなたの性格 その3 ลักษณะนิสัยของคุณ

「その考えを改めろ!」という言葉をよく聞きます。
いつもどこかで毎日のように繰り返されている言葉だとは思いますが、どうしても好きになれない表現なのです。
家庭では親が子に対して、学校では教師が生徒に対して、職場では上司が部下に対して…
叱責とともに使われるのが
「その考えを改めろ!」
「その性格を直せ!」
でもちょっと待ってください。
よく考えてみてください。
行動の元になっている性格というものは、一朝一夕に形成されたものではないのです。
そう簡単に変えられるものではないのです。
タイ語で性格を表す表現としては、通常は「นิสัย」 を使いますが、それよりももっと深い表現として 「สันดาน」 という表現があります。
この สันดาน という言い方は、「深く根付いた性格なので変えようがない」という、かなりきつい表現になります。
「矯正する」を意味する「ดัด」 と合わせて 「ดัดนิสัย」 と言えば「性格を改めろ」となります。
しかし「ดัดสันดาน」 とは通常は言いません。
もしそのような表現をしたとすると、それは罵りにも似たかなり激しい表現になってしまいます。
「โรงเรียนดัดสันดาน」 と言えば、それは「少年院」を意味するのです(โรงเรียนは学校の意味)。
「改めろ」という以上は、当たり前のことですが「話し手が正で、聞き手が誤り」という前提に立っているのです。
どちらの立場が正しいのか、本当のところはわかっていないこともよくあります。
いま自分で「これが正しい」と思っても、後になってよく考えてみると、それが誤りだったこともよくあります。
それにもかかわらず、話し手の言うことが常に正。
声の大きい者の言うことが常に正になってしまうのです。
冷静な議論は置き去られて、どこに正義があるのか、よくわからない状況になってしまうのです。
ここで、相手を叱責することが、果たして適切なのでしょうか。
「その考えを改めろ!」と責めることが、相手に有益なのでしょうか。
怒りをあらわにする前に、落ち着いて考えてみてください。
改めて思い出してください。
「あなたのその性格は、あなた自身の運勢によって制約を受けるものなのです
そのことをよく覚えておきなさい」
それは運命なのです。
それはdestinyなのです。
熱くなって怒ってみたところで、仕方のないのです。
怒りをあらわにして相手を責めたことが後になって滑稽に思ったり、後悔の念に駆られたりする日がきっと来ることでしょう。


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あなたの性格 その2 ลักษณะนิสัยของคุณ

人の性格を形成する大きな要因のひとつに、生活環境を挙げることができます。
もっとも身近なところでは家庭環境でしょう。
たとえば、一人っ子の子供とたくさんの兄弟姉妹の中で育った子供では性格が異なるというようなことです。
一人っ子は、一人で過ごす時間を好み、周囲を気にせずに無理に人と合わせることなく個性を発揮するようなマイペースの性格の人が多いと言われています。
また兄弟喧嘩の経験がないことから、争うことを好まない平和主義者的な一面もあるおっとりした人が多いとも言われています。
逆に兄弟がいれば、子供同士で争うこともありますが、同時に助け合えることもあるので、 社会性が身につけやすいなどの長所があると言われています。
子供同士のかかわりのなかで育っていることから、自己主張しながら相手の言い分も理解する柔軟性を身につけやすくなるなど、良好な人間関係を築くのに慣れているともいわれています。
本当に当たっているのかどうかの疑問は残りますが、確かにこうした家庭環境が性格形成に強く関係していることは理解できます。
もう少し大きなくくりでは、社会環境を挙げることができます。
農耕民族と狩猟民族についてもよく論じられるところでしょう。
農耕民族は、集団生活のなかで和を重んじて、協調性を大切にする反面、画一的で没個性的な面が多くと言われます。
一方狩猟民族は、集団の中での協調性よりも、個々人が積極的で攻撃的で強い自我を持っているもと言われます。過酷な状況を生き抜くために、その必要性に迫られての結果ではないかと考えることもできるでしょう。
当然に、居住している地域の気候やその民族の宗教観も影響してくるでしょう。
温暖な地方と、酷寒な地方とでは異なるでしょう。
砂漠のような厳しい地域で生活してきた民族は、自己主張がはっきりしており、YESとNOははっきりと主張するでしょう。
それとは反対に、温暖で水資源や農産物に恵まれている環境で生活してきた民族は、相手方への配慮が先に立ち、自己主張の強さはどちらかと言えば敬遠されるでしょう。
このようにして見ると、性格の形成は、生まれついたところからの周囲の環境が大きく影響しているということができると思います。
その意味では、「運命」によって左右されるものと考えることができるでしょう。

あなたの性格 その3 ลักษณะนิสัยของคุณ
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あなたの性格 その1 ลักษณะนิสัยของคุณ

この写真を撮影したのは、北の都チェンマイのある寺院です
残念なことに、これがどこのお寺で撮影したものなのか、わかりません。

偶然通りかかったお寺さんに立ち寄り、撮影したものです。
不鮮明な写りのものしか残っていないのが残念ですが、この表示の目にするところは以下のような記述になっています。
Remember…
that your character is your destiny
จงจำไว้ว่า ลักษณะนิสัยของคุณ
เป็นตัวกำหนดโชคชะตาของตัวคุณเอง
英語で書かれているものを見ても、その内容がいまひとつわかりにくいのですが、タイ語のほうは、もう少し詳しく記されています。
分解すると以下のような表現になっているのがわかります。
จง =~せよ
จำ =覚えておく
ลักษณะ =特徴
นิสัย =性格
กำหนด =制限する 制限される
โชคชะตา =運勢
ของตัวคุณเอง =あなた自身の
以上をまとめますと
「あなたのその性格は、あなた自身の運勢によって制約を受けるものなのです。そのことをよく覚えておきなさい。」
といった翻訳になるのかと思います。
タイ語の勉強に関しては、まったくの初心者でしたが、このときこの看板に書かれている意味が取れた気がして、気分を良くして撮影したものです。
このお寺さんに掲げられているものに、他にこんなものもありました。

สิ่งที่ตนเองไม่ต้องการจงอย่ายัดเยียดให้ผู้อื่น
สิ่ง =こと もの
ที่ →関係代名詞
ตนเอง =自分自身
ต้องการ =必要とする
อย่า =~するな
ยัดเยียด =押し付ける 強制する
ให้ =~に与える
ผู้อื่น =他人
「自分自身が必要としないもの求めないもの…それを他人に強制してはならない。」

こうした教えをわざわざ看板に掲げることも意味は…
このお寺さんの教義ではないかと思います。
このお寺さんの僧侶の説法なのかもしれません。
そのなかでも、より強調したい教えを、あえて看板に表現したのかもしれません。
僕は、たまたまこのお寺の前を通り、立ち寄っただけに過ぎません。
そこに掲げられていたタイ文字の意味が分かり、何気に撮影しただけなのに、あとから読み返してみると、それが深い意味を持つものだったと改めて感じたのです。
さすがに偉いお坊さんの言うことだけあって、含蓄のある深い言葉だったのです。

あなたの性格 その2 ลักษณะนิสัยของคุณ
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一道少年 その5

一道少年は、寺での修業に見切りをつけ、上京する。
数々の職を転々とし、ここでもまた苦難の道を歩んでいた。
しかし、喜劇役者を目指す気持ちを忘れることは決してなかった。
食うことに困り、相撲部屋に居候したこともある。
親方には睨まれたが、得意の話芸で力士たちを笑わせていたところ、
「部屋を和ませてくれるなら…」とのことで、居候が黙認された。
のちに芸能界きっての相撲通と言われたのは、この修行時代の経験からだった。
その後、漫談家の牧野周一の弟子となる。
付き人時代を経たのちに、牧沢一彦の芸名をもらう。
牧沢一彦とは、のちのポール牧のことである。
舞台に上がるやいなや、コメディアンとしての才能は開花する。
師匠でもあった、関武志と「コント・ラッキー7」を結成し活躍。
その後、東京新喜劇を立ち上げる。
ところがそれも束の間、相方の関武志が病に侵され他界してしまう。
関の没後、コンビを解散し、ピン芸人となる。
引退し、再び出家するも、その後俗還。
波乱万丈の人生に終止符を打ったのは、平成17年のこと。
享年65(満63歳没)だった。
僧名は熈林一道(きりん いちどう)。
『ドーランの下に涙の喜劇人』
生前のポール牧は、色紙にサインと共にこの句をよく綴っていたという。
「今を生きている人たちに心の安らぎと生きる喜びを与える。」
「一つの道」に精進し、人々を笑わせることで、それを実践した一道少年だった。

一道少年 その4

絶望の淵に追いやられ、一時は自殺することさえ考えた。
そんな一道少年は、学校通いだけは続けていた。
もともと勉強が好きだったこともあった。
学校とは市内にある県立の定時制高校である。
一道少年がこの秋田県大館市の寺を選んだのは、定時制高校に通うことができたからに他ならない。
家庭の経済的な事情で、高校に進学することのできなかった一道にとって、定時制とはいえ高校に通わせてくれるのはありがたかったのである。
一道少年は、寺での修業がつらい時でも、疲れていた時でも、学校に通い続けた。
そして、授業が終わった後も、ひとり図書館に残って深夜まで勉強を続けていた。
そんな一道少年が、図書館で一冊の本を手にする。
マルセル・パニョルというフランスの喜劇作家の書いた『笑いについて』という本だった。
このなかに以下のようなくだりがある。

舞台やスクリーンで人を笑わせたからって、卑しい真似をすることにはならないわ。畑から帰ってくるお百姓さんたち、大きな手がカチカチになって、もうその手を閉じることもできない人たち。胸をすぼめ、もう空気の味もわからなくなって事務所から出てくる人たち。頭を垂れて、工場から帰ってくる人たち、爪は割れ、指の傷口には黒い油がしみこんでいる……そういう人たちを笑わせること……やがて死んでゆく人たち、母親を失った人たち、やがて母親を失う人たち、そういう人たちを笑わせること……ほんの一瞬でも、疲労とか、不安とか、死とか……さまざまな小さな苦悩を忘れさせてくれる人、泣くのも無理もない連中を笑わせる人、そうした連中に生きる力を与える人、その人こそ善行家としてみんなに愛されるんですわ……
(マルセル・パニョル『笑いについて』岩波新書)

苦難に満ちた人たちに、たとえひとときでも、やすらぎと微笑みを与えられる者を喜劇役者といい、その者こそが皆に愛されるべき存在なのだ。
一道少年は、大きなショックを受けることになる。
自分がこれまで信じてきた仏の道…
その道に疑問を持ち始めていた。
一時は自殺することさえ考えていた。
生前の父の姿が脳裏をよぎる。
父は常々こう語っていた。
「立派な坊さんとは知っている経文の数ではない。地位でもない。まして法衣の色でもない。多くの人に仏の教えを伝え、いっときでも心の安らぎを与えられるかだ」
「今を生きている人たちに生きる喜びを与える。これこそが、坊主の本来の使命」
マルセル・パニョルは「心の安らぎを与えられる者」、そして「生きる喜びを与える者」を明快に示した。
元々、目立ちやがり屋の一道少年だったから、喜劇役者という職業はうってつけだった。これが仏の道から喜劇役者の道への転身の契機だった。

一道少年 その5
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