9年ぶりのクラビ再訪 「白い道 (ถนนพิศาลภพ)」を再び歩いてきました

令和8年になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
年末年始はタイで過ごしました。
今回の年末年始は休庁日の前後にそれぞれ土日が来て9連休になるという絶好のスケジュールです。
ですから早くから年末年始はタイで過ごし、しかも長めの休みがないと行きにくい地方に行くことを計画していました。
そんななか外したくなかったのが、今回のクラビへの再訪です。
以前にこのブログでも書きましたエッセイ「白い道」の舞台です。
「白い道」https://ponce07.com/shiroimichi-prologue/
詳しくは、ご一読いただければと思いますが、このクラビでの当時の出来事は、いまもなお自分の脳裏に焼き付いています。
今回の旅行では、クラビの街に行き、「目的」を果たしたかったのです。

2025年12月28日。
朝にドンムアンを発った僕は、11時前にクラビ空港に降り立ちました。
この日のクラビも、9年前の景色と同じような快晴の日でした。
南国らしいいっぱいの陽の光。
そこに映し出されるコントラストの強い真夏のような風景。
どれもあの時と変わらない美しい街並みです。

軽い昼食を済ませると、突然のスコールです。
ほどなくして雨はあがり、再び晴れやかな陽の光が照りつけます。
いかにもタイらしい風景です。

The Mud Crabs Sculpture ประติมากรรมปูดำ


黒いカニのオブジェは地域のシンボルです。

こちらも街のシンボルのクロマニヨン交差点です。
年末だからでしょうか。
サンタクロースのような衣装を身にまとっています。

この街の庶民の台所のような存在だったマハーラート生鮮市場(ตลาดสดมหาราช)は、閉鎖されていました。
調べてみても詳細は不明ですが、どうも閉鎖は間違いなく、どこに移転されたのかの情報も不明でした。
市場の中で食べたお粥(โจ๊ก)が美味しかったので、少し残念な気分です。

9年前の正月元旦は、この市場で朝食を済ませました。
その後ホテルに戻ったときに、親父が意識を失っていたのです。
ホテルのマスターが近所にある病院に親父を運んでくれました。
その病院が「クラビー ナカリン国際病院(โรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นเเนล)」でした。
ここが、今回の訪問の目的地です。
9年前に心臓疾患で意識を失った親父を診てくれた先生は、まだその病院で勤務していました。
その先生のもとを訪れて、親父が他界したことの報告と、9年前の謝意を伝えるのが今回の「目的」だったのです。
病院には事前に、訪問の意向を伝えるメールを送信したところ、「歓迎」の趣旨の返信をもらっていました。

快晴の午後の道は、灼熱の陽が照りつけます。
ゆっくりとはいえ、歩いていると汗がにじみ出ます。
それでも、さほど苦には感じませんでした。
通りを歩きながら、9年前の記憶をたどっていました。

クラビー ナカリン国際病院 โรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นเเนล



病院の前に来ました。
この道です。
9年前に途方に暮れたときの記憶がよみがえってきます。
病院の入口に近づくと、見慣れない訪問者を警戒したのか、ガードマンの青年が近づいてきます。
あらかじめ印刷して持ってきた訪問を伝えるメールの書面を見せると、彼は病院内の受付へ案内してくれました。
訪問を伝えるメールの書面は受付の女性に回され、女性は僕をソファーへ案内してくれました。
5分ほどして、ピブン先生が現れました。
先生もその時のことはよく覚えていてくれたようでした。
タイ式に両手を合わせて、謝意を伝えました。
そして、スマートフォンで葬儀の写真を見せて、親父の他界を伝えました。
「心不全だったのですか?」
短くうなずきます。
タイ語での説明はうまくできませんでしたが、感謝を伝える書簡を渡します。
先生はそれを一読し、大きくうなずいてくれました。
ほんの短い時間でしたが9年越しに感謝の気持ちを伝えることができました。
長崎から持参した手土産も渡すことができました。
目的を果たした達成感でいっぱいでした。
満ち足りた気分で病院を後にしました。

夕方の4時を回った時刻でしたが、まだ陽射しは弱まってはいません。
このときも病院の前の道が白く輝いているようにも見えました
この道は、正式には「ถนนพิศาลภพ Soi Pisanpop」という名前であることを地図で知りました。
「พิศาลภพ(pisanpop)」という言葉は、サンスクリット語で「広い」または「広大な」を意味する「วิศาล(wisaan)」と、「世界、大地、誕生、起源」を意味する「ภพ(pop)」に由来します。
したがって、「พิศาลภพ(pisanpop)」は「広大な世界」または「計り知れない大きさの世界」を意味します。
これは、世界の壮大さを伝えるために用いられる詩的で優雅な言葉でもあります。
9年前に不安のどん底に陥ったときに見たこの道が、実は「計り知れない広大な世界の入口」であったことを、このときに知ったのです。

クラビーナカリン国際病院あてに書いた、改めて感謝の意を伝えた書簡を公開します。
この書簡を読んでどのように感じますか? 美しいタイ語の文章でしょうか?
タイ人のかた あるいはタイ語に詳しいかたは感想をお聞かせください。


กราบเรียน
คณะแพทย์ พยาบาล และเจ้าหน้าที่ทุกท่าน
โรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นแนล
รวมทั้งคุณหมอพิบูลย์ เลาหทัย แพทย์ผู้เชี่ยวชาญด้านโรคหัวใจ
ผมขอกราบเรียนด้วยความเคารพอย่างสูงมา ณ โอกาสนี้ครับ

เมื่อเก้าปีก่อน ผมซึ่งเป็นข้าราชการจากจังหวัดนางาซากิ ประเทศญี่ปุ่น ได้เดินทางมาท่องเที่ยวที่จังหวัดกระบี่พร้อมกับบิดาของผมครับ แต่ระหว่างการเดินทางนั้น บิดาของผมได้ล้มลงหมดสติในโรงแรมจากอาการโรคหัวใจเฉียบพลัน เหตุการณ์ในวันนั้นยังคงเป็นความทรงจำที่ฝังแน่นอยู่ในใจผมเสมอมาครับ

ทางโรงแรมได้รีบช่วยนำบิดาของผมส่งมายังโรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นแนล และที่แห่งนี้เองที่ทุกท่านได้ช่วยชีวิตบิดาของผมไว้ คุณหมอพิบูลย์ได้ตรวจพบว่าอาการของบิดาผมนั้นอยู่ในภาวะวิกฤต และจำเป็นต้องได้รับการผ่าตัดเพื่อใส่เครื่องกระตุ้นหัวใจ (pacemaker) อย่างเร่งด่วน จึงได้ตัดสินใจประสานงานส่งตัวท่านไปยังโรงพยาบาลเอกชนในจังหวัดภูเก็ตทันที

ด้วยความเชี่ยวชาญ ความเมตตา และการตัดสินใจที่รวดเร็วของคุณหมอพิบูลย์ รวมถึงความทุ่มเทอย่างสุดกำย์และเจ้าหน้าที่ทุกท่าน บิดาของผมจึงได้รับการผ่าตัดอย่างทันท่วงที และสามารถเดินทางกลับประเทศญี่ปุ่นได้อย่างปลอดภัยครับ

หลังจากนั้น บิดาของผมยังสามารถใช้ชีวิตต่อมาได้อีกยาวนานถึงแปดปีครึ่ง ซึ่งเป็นเวลาอันล้ำค่าอย่างยิ่งสำหรับครอบครัวของเราครับ แม้ว่าบิดาของผมจะจากไปในเดือนสิงหาคมปีนี้ แต่ผมเชื่ออย่างสุดหัวใจว่า หากไม่ได้รับการช่วยเหลือจากทุกท่านในวันนั้น เราคงไม่มีช่วงเวลาอันแสนมีค่าร่วมกันเช่นที่ผ่านมา

ผมขอกราบขอบพระคุณทุกท่านจากหัวใจอย่างที่สุดครับ ทุกท่านคือผู้มีพระคุณผู้ช่วยชีวิตบิดาของผมไว้ เป็นบุญคุณที่ผมไม่มีวันลืมเลือน

วันนี้ ผมได้กลับมาที่จังหวัดกระบี่อีกครั้งหลังจากผ่านไปเก้าปี แม้ในฐานะข้าราชการที่ไม่สามารถลางานยาวได้บ่อยนัก แต่ผมตั้งใจเดินทางมาเพื่อกราบขอบพระคุณทุกท่านด้วยตนเองครับ แม้ว่าผมยังพูดภาษาไทยได้ไม่ดี ทั้งเมื่อก่อนและแม้แต่ในปัจจุบัน แต่ผมกำลังเรียนภาษาไทยอย่างจริงจัง และตั้งใจจะเรียนรู้ภาษาและวัฒนธรรมไทยต่อไปไม่หยุดครับ

หากเป็นไปได้ ผมอยากช่วยเหลือประชาชนในจังหวัดกระบี่ในอนาคต ไม่ว่าด้วยวิธีใดก็ตามที่ผมสามารถทำได้ แม้ว่าผมจะอาศัยอยู่ที่ประเทศญี่ปุ่น แต่หัวใจของผมนั้นยังคงหันมาทางจังหวัดกระบี่เสมอ ไม่มีวันใดเลยที่ผมจะลืมเหตุการณ์และน้ำใจอันประเมินค่าไม่ได้ที่ได้รับจากที่นี่

สุดท้ายนี้ ผมขอกราบขอบพระคุณทุกท่านอีกครั้งจากหัวใจของผมครับ สำหรับผม ทุกท่านคือผู้มีพระคุณสูงสุดในชีวิต และผมจะจดจำไมตรีจิตของทุกท่านไปตราบนานเท่านานครับ

ด้วยความเคารพและสำนึกในพระคุณอย่างหาที่สุดมิได้
ผมขอขอบพระคุณครับ

拝啓
心臓専門医であられるピブン・ラオタイ医師を含むクラビ・ナカリン国際病院の医療スタッフ、看護師、そしてすべての職員のみなさまへ
謹んでこのメッセージをお送りいたします。

日本の長崎で公務員をしている私は、父と共にクラビ県を旅行しました。しかし、旅行の途中、父はホテルで突然の心臓発作を起こし、意識を失いました。あの出来事は今でも鮮明に記憶に残っています。

ホテルのマスターはすぐに父を病院に搬送してくれました。その病院こそがクラビ・ナカリン国際病院であり、そこでみなさまの協力を得て父は一命を取り留めました。ピブン先生は父の容態が危篤と診断し、ペースメーカー植え込みのための緊急手術が必要だと判断しました。そしてプーケットの私立病院へ即時転院させる手配をしてくださいました。

ピブン先生の専門知識、ご慈悲、迅速な決断、そして医療チームとスタッフのみなさまの最大限の献身のおかげで、父は予定通りに手術を受け、無事に日本に帰国することができました。

その後、父はさらに8年半も生きることができ、それは私たち家族にとって本当にかけがえのない時間でした。今年の8月に父は亡くなりましたが、当時のみなさまお力添えがなければ、これほど貴重な時間を共に過ごすことはできなかったと心から信じています。

みなさまに心より感謝申し上げます。みなさまは父の命を救ってくださった恩人です。このご恩は、決して忘れることはありません。

今日、9年ぶりにクラビ県に戻ってきました。公務員という立場もあり、長期の休暇を取ることは難しいのですが、みなさまに直接感謝の気持ちを伝えるために、この地へ足を運びました。タイ語は今も昔もうまく話せませんが、タイ語を真剣に勉強し、タイの文化についても学び続けていきたいと思っています。

もし可能であれば、今後はクラビ県の方々に少しでもお手伝いができればと思っています。日本に住んでいても、私の心はクラビ県にあります。この地で受けた貴重な出来事、そしてみなさまからいただいた思いやりを忘れる日は決してありません。

最後に、改めてみなさまに心からの感謝を申し上げます。みなさまは私にとって人生最大の恩人であり、みなさまのご厚意は永遠に忘れることはありません。

最大限の敬意と感謝を込めて
感謝申し上げます。

 

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コメの価格高騰を背景に思うこと…元バックパッカーからコメについての2つの提言

日本国内のコメ価格の高騰が止まらない勢いです。
コメ価格の高騰については、昨年の6月にも話題として取り上げました(「いただきます」の意味とは…平成の米騒動から得た教訓「美しいココロ」)。
その時は「5kgで2000円にも迫る勢い」という新聞記事を引用させていただきましたが、いまとなってはさらに倍増しています。
近所のスーパーでは、5kg当たり4000円程度で販売されている有様です。
いままでにない水準の価格帯といっても過言ではありません。
ここに至っては、高い関税をかけられている外国産のコメとほとんど変わらない価格帯になっていると言えます。(コメの関税の高さに関しては、「身近になったアジアンテイストの背景に」のコラムで触れています)

高騰の原因としては、日照不足や猛暑といった天候不順、あるいは外食などの需要が大きく伸びたことなどによるものと言われていましたが、どうもそれだけでは説明がつかないようです。
一部の業者などによる買い占めや売り惜しみなどといった「圧力」が疑われています。
この高騰を回避するために、政府は凶作や大災害などの非常事態のために備蓄している政府備蓄米の一部を、市場に流通させる政策を始めています。
政府備蓄米の開放が、今後のコメの市場価格にどう影響するのかはまったくの未知数です。
「焼け石に水」で、コメ価格の高騰がさらに長期化する懸念を指摘する声もあります。
コメはいうまでもなく日本の主食であり、私たちの「食文化」を支えるもっとも重要な要素と言えます。
そのコメを安定して購入できるよう、政府には最善の措置を講じてほしいと願うばかりです。

さて今日は元バックパッカーの僕から、コメについての2つの私見を言わせていただきたいと思います。
様々な意見はあろうかと思いますが、アジアの旅と食を愛してやまない旅行者からの提言として、お聞きいただければと思います。

日本国内にいても他国の食文化が気軽に楽しめる環境になっていくべき
近年、日本では外国人観光客や定住する外国人の数が増え、それに伴ってさまざまな国の料理を提供する飲食店が増えてきています。
いまや東京などの大都市のみではなく、地方都市にあってもさまざまな外国料理を提供する飲食店が増えています。
また、海外旅行を経験した日本人が増えるにつれて、外国の料理を楽しむ人も多くなっています。
さらに、スーパーやディスカウントストアなどの小売店でも、世界各国の食材が手に入るようになり、日本にいながら本場の味を再現できる環境が整いつつあります。

こうした流れの中で、外国産のコメも売られるようになってきました。
タイやインド、アメリカなどを原産地とするコメが売られているのを目にするようになりました。
外国の料理を作るうえで必要なのは、外国の食材です。
例えば、タイ料理を作る際には、タイ産の調味料や食材を使うのが最も適しています。
そして、コメも例外ではありません。
タイ料理には、日本のコメよりも、粒が長くてパラパラとした食感のタイ産のコメが最も向いています。

いまの日本では国内の農家を守るために、外国産のコメの輸入を厳しく制限し、高い関税をかけています。
たしかに、日本国内で安定してコメを生産するためには、農家を保護し、あるいは育成していくは大切なことです。
そのため、外国産の農産物の輸入をある程度制限することは、必要な政策の一つでしょう。

しかし、今のように多様な食文化を楽しめる時代になっても、日本産のコメばかりが市場に流通しているのは合理的ではありません。
日本産のコメと外国産のコメは、見た目や味が大きく異なり、市場で必ずしも競合するわけではありません。
日本のコメは粘り気があり、寿司やおにぎりに向いていますが、タイ米のようなパラパラとした淡白な味わいのコメは炒飯やカレーに最適です。
そのため、用途に応じて選べる環境が整うことが望ましいのです。

日本国内で、より気軽に世界各国の食文化を楽しめるようにするために、現在の異常に高い関税を緩和し、外国産の農産物をもっと自由に購入できる環境を整えるべきです。
食の多様性を受け入れ、より豊かな食文化を築くことが、日本の未来にとって重要なことではないでしょうか。

日本の優れたコメの魅力を世界に発信していくべき
近年、日本を訪れる外国人観光客の多くが「日本食を楽しみたい」と考えています。
国土交通省観光庁の調査によれば、日本への渡航を希望する観光客に対して、訪日前に期待していたことを尋ねたところ、「日本食を食べること」が 83.2%と最も多かったという調査結果が出ています。

出典:国土交通省観光庁「訪日外国人の消費動向(図表 6-1 訪日前に最も期待していたこと(全国籍・地域、複数回答))」

 

日本食は、料理の見た目が美しく、季節ごとに異なる食材を使い、また素材の味を大切にする特徴があります。
そのため、「和食(日本人の伝統的な食文化)」がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、日本食は世界的にも高い評価を受けています。

かつては、寿司や天ぷら、すき焼きといった高級な日本食ばかりが海外で注目されていました。
しかし、今ではおにぎりやお茶漬け、卵かけご飯といった、日本の素朴な家庭料理も外食として人気を集めるようになっています。
こうした料理の広がりの背景には、日本のおいしいコメの存在があります。
日本産のコメは、ほかのアジア産やアメリカ産のコメと比べて、粒が短く、アミロースの含有量が低い性質があることから、炊き上がりに粘り気のあるもちもちした食感が特徴です。
また、甘みや旨味が強く、炊飯後の粒のまとまりが良く、冷めてもおいしいことから、おにぎりや寿司に適しています。
一方、タイやベトナムのコメは細長く、アミロース含有量が多い性質があることから、パラパラとした食感が特徴で、炒飯やカレーによく合います。
こうした違いから、日本のコメは日本食に欠かせない存在となっています。

日本のTKG(卵かけご飯)はタイでも話題に


この優れた日本のコメを、もっと世界に広めるべきと考えます。
現在、日本のコメは一部の国に輸出されていますが、まだ多くの国にはあまり知られていません。
もし、日本のコメが広く輸出されれば、世界中で日本食の人気がさらに高まり、日本の農業も発展するでしょう。

これからの時代、日本のコメの魅力を発信し、世界中の人々に味わってもらうことが大切です。
そうすることで、日本の食文化の素晴らしさを伝え、日本の農業を支えることにもつながると考えます。

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「いただきます」の意味とは…平成の米騒動から得た教訓「美しいココロ」

今年になってコメの価格の上昇が止まらないという。
その要因として考えられるのは、おもに次の2つと言われている。
ひとつは天候の影響である。
昨年の5月の日照不足や夏の猛暑により、新潟や秋田などの主要産地で、コメの収穫量が低下し、高温の影響でコメの品質も低下しまった。
もうひとつとしては、コロナ禍からの回復である。
コロナ禍で外食需要が一時的に落ち込んだため、生産量が抑えられていたが、昨年5月にコロナが5類に移行し、外食需要と外国人観光客が急速に回復したことでコメの需要が大きく伸びたという。
今年のコメの生育状況は、順調と言われているものの、小売店の店先では、価格の高騰はもとより、供給量が減っているようである。
こうした光景を見ると、気にはなってくる。
同時に、思い出したくない事件が脳裏をよぎる。
1993年の米騒動(平成の米騒動)である。

1993年は天候不順による冷害のために、日本で栽培されていたイネの記録的な生育不良からコメが不足し、市場が混乱した。
日本産のコメは、根強い人気と市場の品薄感のため、買い占めと売り惜しみが発生した。
小売店では「コメが消える現象」が現れる。
当時の日本はコメを輸入しない国であった。
食糧自給率の低さが取り沙汰されてはいたものの、コメに関しては「一粒たりとも輸入は認めない」とするのが国是であった。
一般のスーパーや米穀店で販売されているのは、決まって日本産のブランド米であり、外国産のコメは皆無だ。
それが著しい不足を打開するために、緊急措置として、初めて海外からのコメを受け入れることになる。

 

日本政府は各国にコメの供給を要請する。
これにいち早く対応したのがタイ政府であった。
日本国内の状況を案じたタイ政府は、国内の備蓄米を日本に輸出する。
日本政府は、中国やアメリカからの輸入も想定したが、その量は限定的で、日本の市場には多くのタイ米が流通することになる。
量的な不足は一定解消されたが、日本人にすんなりとタイ米が受け入れられたわけではない。
タイ産の米はインディカ米であり、日本産のジャポニカ米とは、コメの種類が全く異なる。
タイ米は日本米よりも粒の長さが長く、粘りがない。
タイ米と日本米では見た目も味も全く異なるものだ。
カレーやピラフには向いているが、日本の米にあるような粘りがないので、おにぎりなどを作ることはできない。
タイ料理にはタイ米のほうが相性がいいのと同じように、和食には日本米が向いているものだ。
普段食べ慣れていない味に、拒絶反応を起こす者も現れる。
「タイ米=不味い米」という誤ったレッテルが流布されてしまう。
日本政府の要請によって大量に輸入されたにも関わらず、人気のないタイ米は売れ残る。
しまいには、供給量の少ない日本米と抱き合わせて販売する店舗も現れる。
そしてついには、心ない日本人は処分に困ったタイ米を廃棄してしまう。
苦しい状況を助けてもらっておきながら、この有様である。
こうしたニュースを聞き、非常に残念な気持ちになった。
タイ国内では、日本へコメが輸出されることになり、思惑や噂が先行し、米価が高騰した。
その結果、タイの貧困層は大きな打撃を受けることになった。
ここには、もはや美徳というものはひとかけらも存在しない。
情けなくて仕方がなかった。
翌年は、日本国内のコメの生産量は回復し、コメをめぐる騒動は、すっかり忘れ去られてしまった。

それから年月は流れる。
長崎で、日本に対する思いを語ってくれた学生に出会った。
この地に留学していたチベット出身の学生だった。
日本に来て、初めて「いただきます」という言葉を知ったという。
「いただきます」という言葉は、周囲の誰に対して感謝を表す言葉であると同時に、自分も幸せになれる素晴らしい言葉だと言っていた。
チベットには、日本語の「いただきます」に相当する言葉はないという。
その学生は、日本人から「いただきます」の由来を聞くことになる。
米や野菜などを作り育てる人、またそれらを産地から市場に運ぶ人、それらを売り買いする人、それらを材料に料理を作る人など、生産物が食卓に上がるまでに、たくさんの労働が介在している。
また、米や野菜などを育てる過程で、駆除されてしまう虫たちや、食用に供される動物たちなど、多くの生き物の犠牲を伴うものでもある。
私達の食事は多くの苦労や犠牲の上に成り立っているのだ。
これらのすべてに感謝の意を示すのが「いただきます」なのだ。
この由来を知り、大いに感動したと語ってくれた。
そして、あらゆる者に対して感謝する心を、帰国してから同胞に広く伝えていきたいとも語ってくれた。
かつての日本人は「美しいココロ」を持っていたのだ。

コメの価格高騰を伝える新聞(長崎新聞2024年6月27日)
コメの価格高騰を伝える新聞記事(長崎新聞2024年6月27日)

 

今年2024年は、天候不良のためコメの生産量が少なく、価格も高騰している。
一部では買い占めと売り惜しみが始まったという噂も聞こえる。
あの平成の米騒動のようなことにはならないとは思うが、やはり気にはなってくる。

毎日の食事を前に改めて思い出したい。
多くの苦労した者や犠牲なったすべての「生きとし生けるもの」に感謝の意を示す「いただきます」の意味を。
世界に誇れる「美しいココロ」を忘れたくない。

挑戦と成長の旅路  自分を信じ、自らの道を貫くこと

かつて京都にK君という野球少年がいた。
才能あふれる彼は、高校時代に大活躍の快投を見せる。
全国大会で準優勝し、評価は上昇し、全国から注目を集める存在となった。
ドラフトでは4球団から一位指名を受け、競合の末、関西のあるチームに入団する。
意気揚々と入った世界で、素晴らしいプロ生活が待っていると思われた。

しかし、現実は甘くなかった。
素質豊かな彼の周囲には多くのコーチが集まった。
コーチは彼のために、投球フォームの修正を提言する。
助言してくるコーチは一人や二人ではない。
助言を受けるたびに次々とフォームを変えていった。
真面目でありすぎる彼は、コーチたちの言葉を忠実に守ろうとし、自分なりのスタイルを確立できなくなってしまった。
結果として、高校時代の華麗だったフォームは見られなくなり、まっすぐに投げることさえもできなくなってしまう。
二軍では、1試合6暴投や1試合15与四球といった不名誉な記録を残してしまう。
自分にまったく自身が持てなくなってしまう。
結局プロでの7年間は全く芽が出ず、25歳の若さで、1勝も挙げることなく戦力外通告を受けることとなる。

彼のどこがいけなかったのか。
それは自己流を確立できなかったことだった。
努力は重要だが、その努力を続けるためには、自分なりのスタイルが確立されている必要がある。
コーチの助言は大切だが、その助言が万人に通用するわけではない。
ひとはそれぞれのやり方があり、自己流を貫き通した選手の方が成功することも多いのだ。

これはスポーツだけでなく、学問や芸術の道でも同じだ。
この参考書はAさんにとっては非常に役に立ったが、Bさんにとっては使い物にならなかったとか、あるいは、Cさんがすすめてくれたこの学習塾は、Dさんにはまったく合わなかったとか。
このような話は、枚挙にいとまがない。
偉大な業績や素晴らしい結果を打ち立てるためには、自信を持って自己流を確立させることが重要だ。
自信を基礎に、自分に合った努力の方法を見つける。
その自分に合った努力から生まれた結果に、さらに自信を持つ。
このサイクルが大事なのだ。

ちなみに現在、あのK君はどうなったのだろうか。
彼は母校の高校で、コーチとして活躍しているという。
自分がかつてフォーム改造で苦しんだことを思い出し、選手たちには持論を押しつけず、それぞれの特性に合わせた指導をしている。
プロでの7年間の二軍生活で、開花する選手とそうでない選手を目の当たりにしていたことから、選手を観察する能力が鍛えられたという。
「個人に合った指導をしてくれるので、安心感がある」と若い選手たちからは評判を得ているそうだ。

桜の咲く季節。
多く若者が新入学生や新社会人として新たなスタートを切る季節になった。
しかし、彼らがみな順風満帆の学生生活や社会人生活を送ることができるかと言えば、決してそうではない。
挫折や失敗はつきものだ。
それらを乗り越えることができる者は、自己流を信じ、自分の道を貫く勇気を持つ者たちなのだ。
自分らしさを大切にし、自信を持って努力を続けることが、成功への鍵を握るのかもしれない。

ありがとうขอบคุณ  感謝の意を示すことの大切さ

バンコクの紀伊國屋書店でのこと。
ここにはタイ語に関する辞書や、タイ語で書かれた日本に関する様々な書籍がある。
日本語を勉強しているタイ人が多いのだろう。
タイ語で解説された日本語の教科書の類も数多く並んでいる。
また旅行のガイドブックや最新のトレンドを紹介するもの、あるいは日本語が原作の話題の書籍をタイ語に翻訳したものなど、日本事情を紹介しているものも多い。

こういうところに来ると、ついつい長居してしまう。
日本ではなかなかお目にかかれないタイ語の書籍が大量にあるからだ。
その日は一時間ほど眺めていて、何冊かの書籍を手に、レジへ向かった。
「少し欲張りすぎたかな」とも感じていた。

レジ係の女性が聞いてくる。
「当店のメンバーカードをお持ちですか?」
慣れないタイ語での質問に、一瞬固まってしまった。
そのようなメンバーカードなど持っているはずはない。
ここへ来たのは、今日が初めてなのに。

「いいえ。持ってはいません」と、戸惑いながら小さく答えた。

今度はこちらから問いかける。
「支払いはクレジットカードでできますよね?」
「はい。もちろんです」
一応通じたことに、少し安心。
「こちらに、ご署名をお願いします」
レジ係の女性が、指さした。

会計が済むやいなや、そのレジ係の女性は
「ありがとうございます」とハッキリした日本語で言い、そして一礼した。
その自然なしぐさに驚いた。

こちらといえば、発音のまずさから、決して地元のタイ人に見られることはない。
怪しい外国人としか見られないのだ。
その容姿から一応は日本人と思われたのだろう。
その女性は日本語で顧客に対する謝意を告げたのだ。

このような場面は、これまでにも経験したことがある。
「ありがとう」という日本語については、多くのタイ人が、その意味を知っている。

最近は「ありがとう」の他にも「スゴい」「おいしい」などの日本語の単語が、タイ人に知られるようになっている。

僕が初めてタイを訪れたときは、もちろん一言のタイ語も知らなかった。
当時のタイ国内の雑貨屋やスーパーなどの商店の店頭に販売されていた「味の素」や「かっぱえびせん」などの食品のパッケージには「ありがとう」と日本語のひらがなで書かれていた。

その意味を、日本語の文字の示すところを理解しているタイ人がどれくらいいるのかは見当がつかなかったけれど、日本語がパッケージになっていることを、日本人の一人としてはとても新しい発見で、また誇らしい気持ちにもなったものだ。
不思議な感覚でもある。
それほどまでにタイ人は日本についてよく知っているのだ。
他のアジア諸国と比較しても、日本に対して好印象を持つ人の割合は高いと言われている。
それと、もうひとつ不思議に感じたのは、どうして「ありがとう」なのか?

初めて交わすあいさつ言葉としては「こんにちは」とか「おはようございます」「はじめまして」といった言葉を連想するところだけど、パッケージにかかれているのは「ありがとう」なのだ。

なぜ「ありがとう」なのかの理由はよくわからなかったが、それはおそらくはタイの宗教感と国民性からきているのではないかと考える。

人々は徳を積むことで、より幸せになれると考えている。
僧侶への托鉢が盛んなのもその一つだろう。
功徳を積むために、購入してすぐの鳥を放している風景を初めて見たときは、非常に驚いたものだった。
同様に、買ってきた魚を池や川に放流するようなことも、しばしば行われているということを、あとから知った。

他者に対して寛容であることを良しと考える。
大きな声を出したり、感情的になったりすることを良しとせず、常に微笑みを持って他者に接することを美徳と考える。
ホスピタリティが豊かで、「微笑みの国」と形容されるタイ。
その微笑みは他者に対する感謝や慈悲の心に由来する。
「ありがとう」という感謝の意を示すことは、生まれながらにして身についた、ごく普通の習慣なのかもしれない。

かつての経験を思い出す。
タイ滞在中に事件に遭い、ピンチに陥った。
単なる観光客気分で、タイに遊びに来ていただけなのに。
いままでに経験したことのない絶体絶命のピンチだった。
タイ語は、ほとんど話せなかったが、周囲にいた多くの庶民は、こちらの拙いタイ語に耳を傾けてくれた。
いかにして伝えようと、とにかく必死で、何度も言い換えたり、文字に書いて見せたりして…。
彼らは、嫌な顔をすることなく、こちらが伝えたかったことを、懸命に汲み取って入れた。
通りすがりの外国人に過ぎないのに。
ありがたかった。
その時の感謝の念は、ひとときも忘れ去られることなく、いまも胸の奥にしまっている。


逆の立場で考えて見るとどうだろうか。
近年は、東南アジアからの観光客が、多数日本へ観光に訪れている。
コロナ禍が明けて、円安の追い風もある。
いままでにないほど多くの東南アジアからの「お客さん」が日本の地を訪れている。
そんな彼らに、彼らの母国語で謝意を伝えることができるのだろうか。
素直な気持ちで、微笑みを持って、感謝の気持ちを伝えることができるだろうか。
たった一言の謝意であっても、母国語で言われれば、嬉しくもあり、安らぎを覚えるものだ。

この感覚は、いつまでも大切にしたいと、いつも思っている。

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その国に行ったらその国のものを食べる

以前のこと。
フィリピンのボホール島に旅行に行ったときのことである。
現地のリバークルーズに参加したことがあった。
船は浅い大きな河をゆっくり進む。
時折岸に立ち寄る。
ここでは保護されているという希少動物であるメガネザルを見ることができる。
緑は深くて濃く、熱帯の密林が続いている。
日本ではお目にかかれない、とても珍しい風景だ。

船では食事の提供がある。
といってもビュッフェスタイルで、客はテーブルに置かれた大皿から、好きなものを取っていくスタイルだ。
串刺しの鶏肉は、細くていかにも貧弱だった。
地元の野菜を使っているのか、炒め物やスープの類があったが、そのどれもが淡泊で、しかも冷めていた。
正直言ってあまりおいしくはなかった。
しかし、これが現地の食文化なのだろうと思い、少しずつ試しに箸をつけていった。
安くはなかったがビールも注文し、地元の料理を楽しんだ。
ゆるやかな南洋の、夏の一日を楽しんだ。

船に乗り合わせた、他の多くの客は韓国人だった。
韓国からのツアー客だろう。
みな年末の休暇を、この南国で楽しんでいる。
ところが彼らを見ていて、あることに気がついた。
彼らのほとんどが、船内に用意された食事に手をつけていなかったのだ。
持ち込んだキムチなどのおかずを肴に、焼酎をあおっている。
誰もが、韓国式のカップラーメンを食べている。
船内の従業員がせわしく動いているのは、料理の提供のためではない。
ラーメンを作るためのポットの熱湯の補充のためだ。
彼らの休暇の楽しい団らんのひとときに水を差すつもりは毛頭ないが、どことなく違和感を覚えていた。
たしかに、その船内で提供された食事は、けっして褒められるレベルのものではない。
しかし、外国に旅行に来た以上は、その国の食文化に親しみたいと考えている僕からすれば、彼らの行動は実にもったいない気がした。
そして残念にさえ感じた。

ツアーが終わり船から降りたときに、ふとあのエピソードを想い出した。
2003年10月にバンコクで開催されたAPECアジア太平洋経済協力会議のエピソードである。
歓迎晩餐会が開かれたタイの高級ホテル、マンダリンオリエンタルでの出来事だ。
ホテル側は、各国の首脳から晩餐会のメニューのリクエストを聞いている。
欧米諸国の首脳からは西洋料理のリクエストがあり、中国や華僑系の首脳からは中華料理のリクエストが来る。
このような外国人の集まる高級ホテルでは、西洋料理と中華料理が定番なのだ。
ところが、その席にいた当時の日本の首相である小泉純一郎氏のリクエストは意外なものであった。
小泉氏は言った。
「美味しいトムヤムクンをください。あまり辛くしないでね」と。
トムヤムクン(ต้มยำกุ้ง)とは、タイのスープ料理のひとつ。
タイの家庭料理のひとつではあるものの、辛みや酸味、甘みやハーブの香りなど、多彩で複雑な味の織り成す濃厚なスープは、世界的にも有名なスープのひとつとされている。

他国の首脳から「知っている料理を挙げただけだろう」と揶揄された小泉氏ではあるが、「その国に行ったらその国のものを食べる。それが一番良いことだ」と自らの持論を展開した。
そして、「せっかくタイに来たのだから、タイでもっとも有名な料理を味わわないのはもったいないことだ」と切り返した。

小泉氏が晩餐会の席でタイ料理をリクエストした件は、地元タイのメディアでも大いに報じられたという。
一堂に集まった各国の首脳のなかで、タイ料理をリクエストしたのは小泉氏を除いて、誰一人としていなかった。
他の首脳たちは、みな自分の国の食事を注文している。
その姿は、どこに行っても自国の流儀を押し通す姿勢にさえ見える。
ところが、彼だけは違った。
訪問先の国の料理を注文した。
その国の文化を尊重する姿勢を見せたのだ。
ネット上では「私たちの国の料理を選んでくれてありがとう」「我が国の文化を尊重してくれた」「日本の首相は謙虚で素晴らしい」と、小泉氏を称賛する声が上がっていたという。

「その国に行ったらその国のものを食べる」
一見すると、些細で単純なことのようにも思える。
しかし食というものは、まぎれもなく文化のひとつである。
その国の食を味わうことは、その国の文化を尊重する第一歩にほかならない。
訪問した国の文化を尊重しない者が、その国の民に歓迎されないことは明らかなのである。

言語もしかり。
タイを訪れる旅行者は、ぜひ次の二つの言葉を覚えていってほしい。
「อร่อย(a-roi=おいしい)」
「ขอบคุณ(khop-khun=ありがとう)」
美味しいタイ料理を満喫したあとは、タイ人に対して使ってみてほしい。
この二つの言葉は、タイ料理の良さをさらに引き立てる強力なスパイスになってくれることだろう。

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ネクタイ เน็คไท

毎日身に着けるファッションアイテムのひとつで、欠かすことのできないのが「ネクタイ」です。
スーツにネクタイは、現代のサラリーマンにとっての定番の「制服」とも言えます。

ネクタイの起源については数々の諸説があります。
古代ローマ時代、兵士たちは「フォーカル」と呼ばれる、防寒とお守り、2つの役割を持った布を首に巻いて戦地へ向かったという説があります。
男たちの出征に際し、妻や恋人たちは、無事を願って布を贈ったのでした。
また、装飾品としてのネクタイについては、フランスのルイ13世の説が有名です。
17世紀ごろ、クロアチアからルイ13世の護衛のためにフランスに来ていた兵士が首に巻いていたものが現在のネクタイの起源とされています。
その当時はクラバットと呼ばれており、ネクタイというよりもスカーフに近いものでした。
ルイ13世がクラバットを取り入れたことで、宮廷人や富裕層の間で流行し、様々なスタイルのクラバットが生み出され、ヨーロッパ各地に広まっていきました。

日本では明治に入り、文明開化が進むにつれて、着物などの和服から洋服へと、服装も大きく変わっていきました。
政府の要人、軍人などは制服として洋服を着るようになっていきます。
ネクタイもそのころに着用されるようになります。
国産のネクタイでは、1884年(明治17年)に東京の小山梅吉という帽子商が、帽子の布を使って作った蝶ネクタイが、国産のネクタイ第1号だと言われています。
大正時代に入ると、現在の一般的なネクタイである、細長いタイプのものが普及し始めます。
時代は昭和に移り、ネクタイはスーツとともにサラリーマンの必需品ともいえる存在になりました。
しかし、近年になり、そのネクタイに“冬の時代”が到来しました。
「クールビズ」です。

環境省の呼びかけで始まったクールビズは、冷房によるエネルギーの使用量を抑えるため、室温を、28度を目安に設定し、その中でも快適に過ごすことができるよう、ネクタイや上着をなるべく着用しない軽装の服装を推奨したのです。
省エネルギー対策の一環として、真夏を中心に、1年の半分近くはネクタイをしない「ノーネクタイ」が定着することになります。
ネクタイは敬遠され、売れ行きは一気に落ち込んでしまいます。
廃業に追い込まれた老舗のネクタイメーカーもありました。
環境保護のためのキャンペーンですから、これ自体に異を唱えるつもりは、毛頭ありません。
しかし、僕が思うに、ネクタイを外したからと言って、それほどまでに体感温度が下がるのか、正直なところよくわかりません。
外から職場に入ってすぐは、確かに暑く感じます。
とはいえ、一応冷房が効いている室内なのです。
うちわで数分扇いでいるうちに、暑さは引いていくものです。
むしろ、胸元を開けた服装が、どうしても「しどけなく」感じてしまうので、僕自身はたとえ真夏であってもネクタイを外したくないのです。

常夏のタイでは、ネクタイを締めている人は少数派です。
一年の大半が、蒸し暑い気候なのですから、それは当然と言えるのかもしれません。
しかし、正装はやはりスーツにネクタイです。
バンコクの街中で、半袖のTシャツに短パン、ビーチサンダルで歩いているのは、きまって外国人観光客です。
現地の人々は、都会の街中では、そのような恰好を好みません。
暑い国だからこそ、折り目のきちんとついたワイシャツにネクタイを締めているサラリーマンが、信頼されるのです。
先代の国王陛下が崩御されて国民が喪に服しているときに、王宮を訪れたことがあります。
献花に訪れたのでしょうか。
タイでは喪服を着る文化はないと言われていますが、ここには黒の礼服に黒のネクタイを締めた人々の姿が確かにありました。
特別な事情とはいえ、この暑さのなかで、こうした正装をするのは、大変なことと察します。

この写真は、フワランポーン駅 (สถานีรถไฟกรุงเทพ)のコンコースで撮影したものです。
仕事帰りにそのまま空港近くの宿に泊まり、翌朝早くにバンコクに向かったときのことでした。
こんな服装の観光客はほぼいないことと思いますが、僕にとっては、なんら違和感のない日常なのです。
久しぶりに降り立つ「天使の都」。
しどけない恰好は似つかわしくありません。
いつしか入国審査のときは、ネクタイを締めた「正装」をするのが習慣になりました。



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2022年を振り返ってみると…

大晦日になりました。

あわただしく仕事に追われている人も、やっと年末年始の休みに入れたことと思います。

おつかれさまでした。

 

さて今年2022年を振り返ってみます。

3年前に始まったコロナ禍は、依然猛威を振るっているように感じます。

今年に入ってからは、移動の制限が少しずつ緩和され、秋以降からは、海外の渡航も一部再開されるようになりました。

僕の職場でも、出張の機会が大幅に増えました。

また、全国旅行支援と銘打った旅行代金の割引と地域クーポンを付与する新しい観光需要喚起政策も始まりました。

 

タイの入国制限については、大幅に制限が緩和され、観光目的での入国も可能になりました。

7月以降は、タイランドパスの申請と保険加入義務が廃止され、さらに10月以降の入国はワクチンの接種証明や陰性証明も不要になりました。

有効なパスポートさえあれば、基本的に制限なく入国することが可能になったのです。

待ちに待った自由化ではありますが、その後新規感染者数は、またまた増加して、「第8波」と言われる事態になっています。

年末に近づき、都内では連日2万人を超える新規感染者が出るなど、まだまだ安心できる状況ではありません。

減便を余儀なくされていた航空便も、再開し始めました。

日本とタイを結ぶ航空路線も、LCCを含め少しずつですが、再開し始めました。

とはいえ、航空賃はまだまだ高値水準です。

福岡空港では、保安検査に従事する職員数が足りず、搭乗を待つ人々の長い行列ができているというニュースも聞こえてきました。

空港の保安検査場に長蛇の列 なぜ? 年末年始の移動にも影響?https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221227/k10013935691000.html

コロナ禍で旅行者が激減したために、やむなく職場を去っていった人々が多数いて、規制緩和で旅行需要が戻ってきても、すぐに元の人員を確保することができず、たくさんの利用者に対応できないのです。

福岡空港には、羽田空港や伊丹空港、関西国際空港などにあるスマートレーン(複数の利用者が同時に検査を受けることのできる自動化レーン)が整備されていないこともあり、混雑の解消は困難な状況です。

規制緩和により旅行者は戻ってきていますが、混乱はしばらく続きそうです。

とはいえ、ようやく明るい兆しが見え始めたのは事実でしょう。

来年こそは、本格的に旅行者が戻ってくることになるでしょう。

長く続いたコロナ禍で大打撃を受けた観光業界が立ち直るのには、まだ時間がかかることと思われます。

 

クラビやサムイ島で過ごした日々がいまでも思い出されます。

あの美しい海は、いまどうなっているのか…

観光業界の人々が受けた深い傷は、簡単には癒されないと思われます。

いち早く彼らに笑顔が戻ってくる日を心から願っています。

今年の個人的な最も大きな変化は、猫と共に生活するようになったこと

 

美しい海を守るために…マイクロプラスチックの被害について

昔から海が好きで、これまでも沖縄やセブ島など、美しい海を見てきました。

熱帯魚を呼び寄せる方法(https://ponce07.com/tropical-fish/

これまでに見た海で、一番きれいで、一番好きな海は、タイのクラビ県のロック島です。
このブログのトップページに使っている写真は、そのロック島で撮影したものです。

こういうきれいな海を目にすると、本当に心が洗われるような気がします。
この風景がいつまでも続いてほしい、いつまでもきれいな海であってほしいと願うのは当然のことです。
しかしながら、世界の多くの海岸は、漂着する大量のごみの「被害」に遭っています。
海岸漂着ごみは、景観を損なうだけでなく、漁業へ悪い影響を及ぼし、さらには海の生態系をも破壊してしまう怖い存在です。
また、時として国境を超える厄介な問題でもあります。
僕の住んでいる長崎県では、海岸漂着ごみの多くは、外国からの漂着物といわれています。
対策は、グローバルな視点で考えていかなければいけないことになります。

海岸漂着ごみのなかでもとりわけ深刻な問題は、マイクロプラスチックと呼ばれている粒子の細かいプラスチックの存在です。
マイクロプラスチックとは、プラスチック製品が砕けて粉々になったものや、洗顔料や歯磨き粉、化粧品などに含まれているスクラブ剤などマイクロプラスチックビーズと呼ばれているものです。
マイクロプラスチックは、海の中で溶けることなく存在し続けるため、海洋生物の生態に大きな影響をもたらします。

魚や海鳥、海洋哺乳類などの海洋生物が、海水に混ざったマイクロプラスチックを吸い込んでしまいます。
マイクロプラスチックは消化できないため、消化不全や胃潰瘍などを引き起こし、海洋生物の命を奪う結果になってしまうのです。

さらには、サンゴが吸引してしまうことで、サンゴ礁の死滅(白化現象)が起きていることもわかってきました。

プラスチックは、安価で製品に加工しやすいなどの利点があるので、これまで世界中で様々な製品に使われています。
レジ袋やペットボトル、商品のパッケージなど、使い捨てにされるプラスチックもたくさんあります。
洗顔料や歯磨き粉、化粧品などに含まれているスクラブ剤にもプラスチックは使われていました。
粒子の細かいプラスチックなので、下水処理の過程で除去されることなく、そのまま海中に流入してしまうのです。
そうしたプラスチックごみが、河川に入り、やがて海に流れ出てしまいます。
海に流れ出たプラスチックのごみは、潮の流れや風の力によって海中に浮遊して遠くまで運ばれたり、海底に沈んだりして、長く海中に漂うことになります。



このような、マイクロプラスチックによる被害の防ぐためには、早急な対策が必要です。

マイクロプラスチックの弊害が知られるようになってから間もなく、欧米諸国などはスクラブ剤(角質除去や清浄を行うもの)について、その製造を規制するようになりました。

日本国内では、企業努力によって対策は進み、マイクロプラスチックビーズの多くは、すでに分解可能なプラスチックや生物由来の原料に代わってきています。
僕が普段使っている洗顔料のメーカーのホームページを見たところ、このメーカーはすでにすべての製品に代替原料を使用しており、マイクロプラスチックビーズを使用していないとのことでした。
また、環境省が2020年に行った調査によると、日本国内の主要なメーカーの製品のサンプリング調査を行った結果、洗い流し製品においてスクラブ剤としてマイクロプラスチックビーズを使用しているものは確認されなかった、と発表しています。
https://www.env.go.jp/press/109544.html

マイクロプラスチックの被害を抑えるために、私たちにできることはなんでしょうか。
まずは、プラスチックの使用を抑えることが求められます。

もし、スクラブ剤としてマイクロプラスチックビーズを使用しているものがあれば、すぐに使用をやめることは当然です。

また、マイバッグを持参し、レジ袋はもらわないこと。

マイボトルを持ち歩き、プラスチックのカップを減らすといったことは、身近なところから始められるエコアクションと言えます。

日本は、一人当たりのプラスチック容器包装の廃棄量が世界で2番目に多い国と言われています。
私たち一人ひとりが毎日の暮らしの中で、プラスチックごみを減らす取組をしていくことが重要です。

それに加えて大切なことは、プラスチックごみを適切に処理することに留意しなければなりません。

海や川など屋外のレジャーで出たごみは、持ち帰って処理するようにしなければなりません。

使用後の使い捨てコンタクトレンズは、排水管に流すようなことはしてはならないのです。

 

美しい海を保全して、次の世代に末永く引き継いでいくことは、現在の私たちに課せられた大切な責務なのです。

 

身近になったアジアンテイストの背景に

タイ政府は22日、新型コロナウイルスワクチンの接種を完了した渡航者について、5月1日から入国時のPCR検査を不要とする方針を決めました。
これにより、入国の規制はほぼなくなりました。
再び、気軽に旅行できる日が近づいてきました。
これまで何度も、規制緩和と規制強化が繰り返されてきましたが、ようやくタイへの渡航とについて、現実味が出てきました。
今度こそは、自由に旅行ができると希望を持ったかたも多いのではないでしょうか。

以前のコラムで、タイ料理の中で、一番好きなものは「ジャスミンライス」と書きました。(ジャスミンライスข้าวหอมมะลิ  https://ponce07.com/khao-hom-mari/)

最近は、アジアの食材が多く輸入されて、近所のスーパーでも頻繁に東南アジアの食材を目にするようになりました。
ナンプラー(魚醤)やカレーペースト、インスタントラーメンなどは、以前からよく見かけてはいましたが、最近では、ジャスミンライスもよく目にするようになりました。
これまで関税障壁の高かった「コメ」であるジャスミンライスも、多く取り扱われるようになったのです。
輸入食材が安価に買えることで有名な「業務スーパー」でも、ジャスミンライスの取り扱いが始まりました。
しかし…
ちょっと高いです。
ちょっとというより、かなり高いと言ってもいいかもしれません。
内容量は1kgで753円(税込、税抜698円)です。
最高品質のジャスミンライスを、気軽にお試しできるはありがたいことですが、これはちょっと高いですね。
現地の価格を知っている者としては。
やはりその背景には、多額の関税が課せられている事情があるからなのでしょう。
財務省の実行関税率表に記載されているコメの関税は、1kg当たり341円とのこと。
ざっくり言ってみれば、およそ半分が税金のようなものです。

タイの米は需要がないとか、日本米こそが一番などと言う人が結構います。
しかし、僕が感じるのはタイ米というものが、あまり理解されていないのではないかということです。
もちろん、僕自身が毎日日本米を口にしていて、その日本米をうまいと感じているところですが、タイ米がうまくないとは決して思いません。
肉にも牛肉や豚肉、鶏肉があるのと同じように、コメにも料理に合った種類のコメがあるのです。
和食には日本米が合いますが、タイカレーやガパオライスなどのタイ料理にあうのは、やはりタイ米なのです。
以前も書いたことではありますが、タイ米は日本の米と違って、粘り気が少なく、水分を吸収しづらいため、カレーなどのような汁物との相性が良いのです。
同じコメであっても、それぞれ別の食べ方があるのです。

もちろん価格面だけをとらえれば、タイ米は日本米の2分の1から3分の1程度なので、ある一定の関税が課されるのは仕方のないことでしょう。
しかし、タイ米と日本米では、その持ち味や用途が異なるので、単純に比較することはできないと思います。
現在の日本では、多くの外国人が定住していることもあって、世界各国の美味しい食材を購入することが可能になっています。
試してみたいと思う人も少なくありません。
こうしたなか、高すぎる関税は消費者の選択の幅を狭めてしまうことになるでしょう。

関税について話題が出たついでに、このことについてもぜひ触れておきます。
高いのはコメだけではありません。
僕が愛してやまないもの。
それはビールです。
タイのブランドビールである「シンハ เบียร์สิงห์ BEER SINGHA」も、スーパーの酒類コーナーで見かけますが、ご覧のとおりその高さに驚きです。
これでは、気軽に手に取るわけにはいきませんね。
これこそ不当な関税障壁と感じるのは僕だけではないでしょう。
いつの日か、タイの地を再び訪れるときが来たら、シンハビールの味を、存分に堪能したいと思います。

 

 


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