私たちは毎日多くの商品の売買などの取引をはじめとした経済活動を営んでいます。
その背景には、民法や商法といった法律やさまざまな消費者を保護する制度があります。
このような制度は人々の行動を規制する一方で、一定のルールを決めることで人々を集団のなかで保護してきた役割を持ってきたと言えます。
しかしこうした集団主義的な制度のもとでの「安心社会」が、万能と言えるのでしょうか。
経済活動は日を追うごとに複雑になっています。
個々人の好みは細分化して、より細やかで質の高い商品やサービスが求められるようになっています。
情報を伝達していく手段も多様になっています。
店頭で実際に商品を手に取って購入するような形態だけではなく、インターネットを通じて商取引する機会が増えています。
仮想通貨の出現など、支払いなどの決済方法も変化するようになりました。
十数年前には考えられなかったような新しい形態の商取引も現れるようになったと言えるのです。
こうした商取引の質の変化は、人々に大きな利便性をもたらしてきたわけですが、その一方で、これまでなかったような新しい形の取引上のトラブルも生まれてきます。
何らかの問題が生じてから対策を考えることが普通なので、法律の整備は後に後に回ってしまうものなのです。
消費者保護といいながら、法制度が実態に追いつかないような事態になってしまい、十分な保護がなされないこともあるのです。
これからは、従来の集団主義的な「安心社会」に甘んじてはならないのだと思います。
集団主義的な「安心社会」が、法や制度で保護される社会であるのに対して、個人的主義な社会は、自らの判断する「自己責任の世界」で、信頼できるのかどうかは、自ら判断していかなければならないのです。
私たちは個々の経済行動において、その商品が信用できるのか、あるいは相手方が信頼できるのか、慎重な判断が必要になっているのです。
多くの情報に接することで、判断の材料となる知識の蓄積も必要でしょう。
インターネット上の取引となれば、ネット社会に見合ったモラルも必要になるでしょう。
自らの身を護るためにも、そして「信頼社会」へ移行するためにも、より一層の自己責任を持った行動が求められると私は考えます。