砂糖がもたらした光と影(その3)甘い誘惑が日本人の体を蝕むリスクとは

砂糖はその甘さのため、多くの人々を虜にしてきたと言われています。
一度口にしたらその魅力に取り憑かれ、また欲しくなってしまう性質を持っているのです。
もちろん砂糖は高級品で、庶民が口にするのは特別な機会に限られていましたが、贈答品として徐々に普及していきます。
時代が進むにつれて、その「甘さ」を楽しむ上級武士や裕福な商人なども増えていきます。
例えば、徳川家十四代将軍の徳川家茂は、極度の甘党で、羊羹・金平糖・カステラなどを好みました。
死後の頭蓋骨調査では、残存していた歯の31本中30本が虫歯だったことがわかっています。
家茂は極端な偏食と虫歯の影響で栄養摂取が困難となったことが原因で、脚気を発症し、わずか21歳で死去したとされています。
「甘いものを食べたら歯磨きをしないと虫歯になる」ということは現在では常識です。
口腔内の細菌が砂糖を分解し、酸を生成して歯を溶かしていくからです。
ところが当時の人々はそのようなことを知りません。
歯磨きの習慣がなかったことから、上流階級ほど虫歯率が高かったと推測されます。

砂糖の摂取による健康リスクは虫歯だけにとどまりません。
過剰な糖分摂取は血糖値の急上昇を招き、インスリン抵抗性を引き起こし、糖尿病や肥満の原因になります。
また、砂糖中心の食生活は、ビタミン・ミネラル不足を招き、脚気や骨粗鬆症の原因にもつながります。
さらに砂糖は脳の報酬系を刺激し、一種の中毒性を持つとされ、過食や情緒不安定の要因になるということも言われています。

時代はさらに進み、砂糖の大量消費の時代が訪れます。
第二次世界大戦後に、日本はGHQの食糧支援を受け、それまであまり消費してこなかった、小麦・砂糖類・植物油・乳製品などが食卓に登場することになります。
そしてこれらが学校給食に導入され、また家庭料理にも浸透していきます。
これにより、コメ中心の伝統的な食生活が崩れ、脂質・糖質過多の欧米型食生活へと移ることとなります。
その結果、糖尿病・高脂血症・高血圧・肥満などの生活習慣病が急増し、それは若年層にも広がっています。

砂糖の過剰摂取が糖尿病を引き起こすメカニズムは次のような過程になります。
砂糖(特に精製された白砂糖や果糖)は消化吸収が早く、食後すぐに血糖値が急上昇します。
急上昇した血糖値を下げるために、膵臓からインスリンが大量に分泌されます。
長期的に高血糖状態が続くと、細胞がインスリンに反応しにくくなり、「インスリン抵抗性」が生じます。
インスリンが効きにくくなることで、血糖値が慢性的に高くなり、血糖のコントロールができなくなり、このことが原因で糖尿病(2型糖尿病)が発症することになります。
この流れは、砂糖の摂取量が多い現代の食生活において非常に起こりやすいものです。
特に清涼飲料水や加工食品に含まれる「隠れ糖分」がリスクを高めています。

砂糖の消費量の増加に比例するように、2型糖尿病をはじめとする生活習慣病が確実に増えています。
いまや日本ではおよそ2,000万人の糖尿病患者、またはその予備軍がいるものと推測されています。
もちろんこうした糖尿病患者の増加要因としては、高齢化や肥満率の上昇、運動習慣の減少や生活時間の変化など複数の要因が重なった結果と考えられています。
しかしながら、おおむね日本人の5人から6人に1人が、こうした糖尿病患者または糖尿病患者予備軍という状況の背後には、砂糖類の過剰摂取による要因が大きいと推測されます。
このような事態になった要因としては、食生活の変化が大きいと考えるのはきわめて自然なながれではないでしょうか。
糖尿病は腎不全、網膜症、心血管疾患など重大な合併症を引き起こす可能性があるため、予防と早期対策が極めて重要です。
食生活の欧米化による生活習慣病の増加は深刻な課題であり、今後は「日本型食生活」への回帰が求められます。
野菜や海藻、魚、豆類をバランスよく取り入れ、過剰な糖質・脂質を控え、適切な量の主食を選ぶといった、伝統的和食の持つ良い要素は、健康的な食生活に役立ちます。
低脂肪・低糖質・高食物繊維な食事は、生活習慣病予防に効果的と考えられるからです。
伝統的な食文化に回帰し、砂糖類の摂取を抑制していく対策が求められると考えます。

歯科医師の吉野敏明氏は、このような食生活の変化に起因する生活習慣病の急増に警鐘を鳴らし、「子どもの頃に甘いものの中毒になると、大人になってから治すのは非常に困難。砂糖や甘いものを子どもに与えることは百害あって一利なし」とし、また「子どもに規範を示すためには親が甘いものを食べてはいけない」と警告しています。

砂糖が我が国に流入したことで、さまざま菓子が生まれるなど、豊かな食文化が形成されたことは文化的にはたいへん興味深い事実です。
しかし、その背景には奄美諸島にあった過酷極まる史実も存在していたのです。
また、砂糖の持つ「甘い誘惑」は、いまなお人々の健康を蝕んでいることを忘れてはなりません。
甘い話には罠があります。
砂糖類の取りすぎには十分なご注意を…

 

参考文献
「シュガーロード」(長崎新聞新書) 明坂 英二著
「奄美の債務奴隷ヤンチュ」(南方新社) 名越 護著
「四毒抜きのすすめ」(徳間書店) 吉野 敏明著

 

砂糖がもたらした光と影(その2)甘味の陰に隠れた黒糖と奄美群島の悲劇

江戸時代の初めの頃は、砂糖は薬として扱われるほどの高級品で、庶民にはほとんど手が届きませんでした。
和菓子に砂糖が使われるようになったのは、一部の大名や富裕商人の贅沢品としてであり、庶民が口にするのは祭礼や特別な機会に限られていました。
砂糖はポルトガルやオランダ、中国から輸入されたものですが、その後別のルートが生まれます。
奄美群島から黒糖(黒砂糖)が流入したのです。
奄美群島(奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島など)は、サトウキビ栽培に最適な気候と土壌を持ち、糖度が高く、香り豊かな黒糖が生産されます。
奄美群島産の黒糖は、ミネラルを含む天然の甘味料で、白砂糖にはないコクと深みがあることから、京都をはじめとする和菓子職人にたいへん重宝されています。
和菓子職人は、こしあんやすり蜜、練り切りなどに黒糖を使うことで、甘さに奥行きを持たせる技法を用います。
奄美の黒糖は繊細な甘みが求められる和菓子に最適とされ、伝統的な製法と相性が良いのです。

しかしこうした奄美の黒糖は、島民の犠牲によってもたらされたものなのです。
薩摩藩は1609年3月に奄美群島に、4月には琉球王国に侵攻し、那覇と首里へ攻め入り、尚寧王は捕らえられることになります。
同年8月に琉球の処分が決まると、奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島は、琉球王国から分割し、薩摩藩の支配下に入ります。
形式的には琉球王国の統治が続けられましたが、事実上は薩摩藩の直轄地となったのです。
薩摩藩は本土から代官を派遣して代官所(赤木名、名瀬など、その他多数)や奉行所を設置して統治を進めました。
薩摩藩による統治の初期では、米作が奨励されますが、このころから生産されるようになっていたサトウキビ栽培に薩摩は注目することになります。
というのも、黒糖は大坂などの日本国内で高価で取引されるようになっていたからです。
その後、薩摩藩は奄美群島で島民にサトウキビ栽培と黒糖生産を強制しました。
食料となるサツマイモ畑をサトウキビ畑に変えられ、島民は食料を確保する代わりに黒糖を年貢として納めさせられました。
薩摩藩が黒糖を独占し、島民間の売買を禁じ、これに違反した場合は死罪とされました。
黒糖は藩が安く買い上げ、島民はサトウキビや黒糖を口にすることすら禁じられ、違反者には鞭打ちや死罪などの厳罰が科されました。
「黍横目(きびよこめ)」と呼ばれる役人が監視し、サトウキビ畑の管理を徹底していました。
島民は日用品を黒糖で購入するなど、貨幣経済からも排除され、生活は困窮していきます。
年貢を納められない者は「家人(ヤンチュ)」と呼ばれる奴隷的身分に落ちることもありました。
薩摩藩による厳しい黒糖政策によって多額の借金を負い、返済できなくなった農民が、その身を主である豪農に売った「債務奴隷」が発生したのです。
さらには島内ではコメやイモなどの保存食の生産が制限されたため、島民の生活は困窮しました。
サトウキビ中心の栽培が強制されたため、ひとたび台風などの災害で作物の不作が起こると保存食は底をつき、飢餓状態に陥ります。
飢饉の時は草の根や海藻などしか口にすることはできない状態であり、ソテツの実を毒抜きしたり、幹からでん粉(サゴの一種)をとって粥などに加工し食用とすることもあったといいます。
これが「黒糖地獄」と呼ばれる理由です。
とりわけ飢餓の著しかった徳之島では、耐えかねた島民は奄美大島に渡ります。
しかし奄美大島でも上納の黒糖を納めることができない農民が少なくなく、暮らしぶりは徳之島と大差なかったのです。
彼らはやがて生きていくために、豪農の債務奴隷であるヤンチュに身を落としていくことになります。
明治初期には、奄美大島の総人口のおよそ2割から3割がヤンチュであったといわれています。

黒糖は薩摩藩の財政再建の柱であり、特に調所広郷の改革以降、黒糖の管理体制が強化されました。
薩摩藩は黒糖を江戸幕府や大坂の商人に専売することで莫大な富を得ます。
1830年代には薩摩藩の砂糖出荷量は全国の約半数を占めるほどで、財政を大きく潤しました。
こうした薩摩藩の圧政は1879年に明治政府が奄美群島を編入するまで続きました。
この黒糖による収益は、幕末の倒幕運動の資金源にもなったとされ、薩摩藩が明治維新の原動力となる背景の一つと言えます。
薩摩・長州・土佐・肥前といった明治維新の雄藩の筆頭に挙げられる薩摩藩ですが、この活躍の背景には、奄美の島民の血と汗と涙があったのです。
このことは決して忘れてはいけない史実なのです。

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砂糖がもたらした光と影(その1)シュガーロードが育んだ日本の菓子文化の歴史と魅力

江戸時代には、さまざまな交通が整備され、なかでも東海道や中山道をはじめとする五街道は有名です。
五街道以外にも、脇街道と呼ばれた主要道路がいくつかありました。
長崎街道もそのひとつです。
長崎街道は肥前国長崎(現在の長崎市)から豊前国小倉(現在の北九州市小倉北区)を結ぶ約57里(約228km)を結ぶ街道で、途中には25の宿場が置かれていました。
長崎と小倉をできるだけ最短距離で結ぶため直線状に整備されたことから、山を越える道程が多い、険しい街道でした。
しかし街道は九州諸大名の参勤交代のほか、長崎奉行や西国筋郡代の交代、さらにはオランダ人や中国人の江戸参府などさまざまな人で賑わい、また西洋や中国からもたらされた交易品や献上品の運搬にも用いられました。
この長崎街道が「シュガーロード」と呼ばれるようになったのは、海外からの貿易によって長崎港を通じて砂糖が輸入されたことによります。
日本に最初に来航した西洋の国であるポルトガル、そしてポルトガルとの交易が禁じられた後はオランダと中国から、砂糖や南蛮菓子が大量に輸入されました。
西洋や中国からもたらされた砂糖や南蛮菓子は、この街道を通じて広まり、日本の菓子文化に大きな影響を与えました。
街道沿いには塩田津(佐賀県)など、砂糖問屋や菓子屋が軒を連ねた宿場町が残っているほか、各地で個性豊かな郷土菓子が作られており、多くの人々に親しまれています。
「シュガーロード」という呼称は、シルクロードになぞらえて名付けられた愛称で、砂糖文化の道を象徴的に表したものです。

出典:シュガーロード連絡協議会


1571年に長崎港が開港され、ポルトガルとの貿易が始まりました。
これにより砂糖が本格的に日本へ流入することになります。
当時、砂糖は高級品であり、薬としても珍重されていましたが、次第に食文化の中心へと変化します。
長崎に陸揚げされた砂糖は、幕府の貿易機関である長崎会所がすべてを買い取り、国内の商人に売り渡され、おもに大坂に運ばれることになります。
しかし、すべての砂糖が大坂などに運ばれたかというと決してそうではありませんでした。
長崎の町には正規の貿易ルートとは別の、さまざまな形で砂糖が出回ることになります。
オランダ商館員や中国人商人たちのなかには、花街である丸山の遊女に砂糖を贈る者がいました。
こうした砂糖は、「貰(もらい)砂糖」と呼ばれていました。
また、「盈(こぼれ)物砂糖」と呼ばれる習慣も存在していました。
この「盈物砂糖」とは、もともとは積み荷の砂糖が荷崩れして、陸揚げの対象にできなかった砂糖のことを意味していたのですが、その後、荷役にあたる日雇い人足たちが荷役のときに砂糖をこっそり抜き取ることを防ぐ目的で、あらかじめ「盈物砂糖」という名目で人足たちに分け与えられるようになったのです。
こうした「貰砂糖」や「盈物砂糖」は転売して換金されることになります。
このようにして長崎市中には大量の砂糖が流入し、この砂糖がさらに街道の街に流通していき、砂糖は金銭としての役割も担うようになったのです。

この時代に作られるようになった菓子としてはカステラ、金平糖、ボーロなどがあります。
カステラは、鶏卵、砂糖、水飴、小麦粉などを混ぜて焼いた日本の菓子で、ポルトガルから伝わった南蛮菓子を元に日本で独自に発展しました。
長崎が発祥の地とされ、現在では多くの老舗店が存在します。

金平糖は、ポルトガル語の「Confeito(コンフェイト)」に由来する砂糖菓子で、1543年にポルトガルから日本に伝わりました。
当初は球形でしたが、日本の職人の技術や創意工夫によって現在の角のある形になりました。
回転する釜に糖蜜を何度もかけながら砂糖結晶を大きくしていく伝統的な方法で作られており、様々な味や色合いのものがあります。

丸ぼうろ 出典:佐賀県公式観光サイト


ボーロは、主に小麦粉やばれいしょでん粉などを主原料とする焼き菓子の総称です。
元々はポルトガルから伝わった南蛮菓子で、ポルトガル語で「ケーキ」や「焼き菓子全般」を意味する「bolo」が語源です。

小城羊羮 出典:佐賀県公式観光サイト


これらのほかに有名な菓子としては小城羊羹が挙げられます。
長崎街道の中途に位置する小城は、名水と言われる清水川の清涼な水があり、また当時の佐賀平野は小豆の産地でもあったことなどから、主原料である「砂糖」「水」「小豆」が調達しやすかったという地理的に有利な条件がありました。
この条件に加え小城は城下町で茶道の文化が発達していたことから、お茶請けとして羊羹が受け入れられる下地があったことも、この地で羊羹作りが盛んになった理由と言われています。
長崎で陸揚げされた砂糖は、長崎の地や長崎街道沿いの街々で、このような豊かで個性的な菓子の文化を築いていったのです。

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高騰する国内の宿泊料の背景にあるもの

旅行の経費のうちで、大きなウエイトを占めるのは、ホテル代などの宿泊料です。
かといって、宿泊料を切り詰めすぎて、水準を下げてしまっては、旅の楽しみを損なってしまうことにもなりかねません。

今年は、コロナからの脱却で、国内外ともに旅行者の数が回復して、観光地にも人の姿が戻ってきました。
そんななかで、気になるのが日本国内の宿泊料の高騰です。
仕事柄、職員の出張旅費を計算することが多いのですが、ホテルなどの宿泊料が、以前と比べてかなり高くなっているというのが気にはなっていました。
感覚的には、コロナ禍以前と比べて、どこの都市も1.5倍ほどになっているように感じます。
特に東京都内の高さは際立っています。
旅行代理店の検索サイトのホームページで、東京都内の平日の一泊のホテル(素泊まり)の料金を検索してみると、シングルユースでは、少なくとも12,000円から15,000円くらいは見積もっておかないと厳しいと思われます。
ちなみに、東京都内への出張の場合、旅費として支給される宿泊料は、一般職員の場合は1泊あたり11,400円になります。
そう考えると、支給される旅費では足が出てしまうことになります。

先日、僕の家族が京都に遊びに行ったのですが、その宿泊料の高さに閉口していました。
ペンションのような簡素な学生向けのところに泊ったようですが、宿泊料は2人1部屋の素泊まりで一泊14,000円したそうです。
それでも、予約を入れるのはたいへんだったそうで、宿は満室だったとのこと。
紅葉シーズンでもあったことから、国内外からの観光客が大挙して京都に集まっているようです。
特に外国人観光客の姿が目立っていたようで、タイからの観光客も少なくなかったと言っていました。
コロナ明けの旅行需要復活に加えて、円安の効果も追い風になっているのかもしれません。

旅行代理店の検索サイトのホームページで、京都市内の週末の一泊の料金を検索してみても、1万円以下のホテルはまったく見当たりません。
ニュース報道によると、宿泊施設に価格算出システムを提供しているメトロエンジンという会社のデータによると、京都市のホテルの平均宿泊料は2人1部屋で7万3000円以上とか。
コロナ禍以前の2019年8月と比べ、1.9倍に跳ね上がっているそうです。

このように宿泊料が軒並み高騰している原因は、どこにあるのでしょうか。
旅行業界の分析では、次のような原因が考えられるとのことです。
まず、コロナ禍で廃業したり、客室を減らしたりしたホテルが相当数あって、供給できる客室数が大幅に減少してしまっていること。
また、ホテル業界の人手が不足していて、客室を100%埋めるだけの働き手を確保することが困難になっていて、需要に対応しきれていない状況があること。
さらに、日本を訪れる外国人の増加や、コロナ禍でなかなか旅行に出かけることのできなかった国内の旅行者の需要増加が重なったことなどが挙げられると言います。

廃業したホテルが復活することは考えにくいうえに、コロナ禍で職場を去ってしまったホテルの従業員が、コロナが明け後に再び職場に復帰することは簡単なことではありません。
コロナの影響が後々まで続いてしまっていることの現れでもあり、そう考えると残念でなりません。
今後も、当分の間は宿泊料の高止まりは続くと予想されます。

コロナ禍が明けて、観光需要が復活したことは歓迎すべきことです。
多くの外国人が、日本を観光し、日本の文化に触れる機会が増えてくれることは、たいへん喜ばしいことです。
しかし、このような宿泊料の高騰があっては、せっかくの旅の楽しみも半減してしまいます。
いち早く、宿泊施設の安定した供給確保と、適正な価格に戻ってくれることを願うばかりです。

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東南アジアから渡ってきた猫たち

長崎の街を歩くと猫をよく見かけます。
「猫の街」と呼ばれるほど、猫の生息数が多いのです。
温暖な気候、港町、斜面地、狭い路地が多いこと…などなど。
こうした様々な要因が、長崎を「猫の街」にしてきたのです。
その意味では、長崎は猫にとっては過ごしやすい環境だと言えるのかもしれません。

僕自身、かつては仕事柄、斜面地にある住宅街をよく歩いていていました。
細い路地を通ると、しばしば猫の姿に出くわします。
その一方で、ペットボトルなどを使って作った「猫除け」を設置している民家も多いのです。
繁殖した猫と人間は、微妙な関係になっているのが事実なのです。

商店街の中にも普通に歩いています

 

長崎の猫が持つ特徴のひとつに、いわゆる「尾曲がり猫」が多いということが挙げられます。
尻尾が長くまっすぐになっている猫はあまり多くないのです。
「尾曲がり」と言ってもその形状は「カギ型」や「短尾型」、「ダンゴ型」など、様々タイプがあります。
この「尾曲がり猫」が生まれる要因は、言うまでもなく遺伝です。

縁起の良いとされる尾曲がり猫にあやかった「猫グッズ」は多い。

 

かつてこの「尾曲がり猫」を調査した学者がいました。
京都大学名誉教授の野沢謙先生です。
野沢先生の調査によると、長崎県内の猫の8割近くが、この「尾曲がり猫」であることがわかりました。
ほかに、鹿児島県、宮崎県、熊本県など、九州の各県でも、「尾曲がり率」は全国平均に比べて、突出して高いことがわかっています。
また、野沢先生は、この研究の過程で、尾曲がり猫のルーツの多くは東南アジアで、なかでもインドネシアに多く生息することを突き止めていたのです。
このインドネシアと長崎を結ぶ線は、何だったのでしょうか。

江戸時代の初め、南蛮貿易が盛んな頃は、多くの外国船が九州各地に来航していました。
その後、寛永期以降は、長崎のみが唯一開かれた港となります。
長崎には、オランダ船が定期的に、行き来するようになります。
当時のオランダは、インドネシアを支配下に置いていて、総督府はバタヴィア(現在のジャカルタ)にありました。
貿易を担った東インド会社の商館が置かれていたのも、やはりバタヴィアだったのです。
当時の貿易船には、猫を乗せる習慣がありました。
積み荷の食料品や木造の船体をかじるネズミなどの小型の齧歯動物は、船乗りたちにとっては厄介者でした。
この厄介者を駆除してくれたのが猫だったのです。
こうしたことから、貿易船に猫を乗せる習慣が広まったのです。
はるか遠い東南アジアの地から、長い船旅に揺られてきた猫たち。
こうした猫たちが降り立ったのが長崎だったのです。

しかし、時代は流れ、船は鋼鉄製になり、積み荷の梱包やネズミ駆除の技術が進み、猫たちは「お払い箱」になってしまいます。
かつてのように、貿易船に乗せられて、長い航海に出ることはなくなりました。
長崎の地に降り立った猫たちは、その地に根をおろし、繁殖して今に至っているのです。

長崎の猫たちは、もともとは野生動物だったわけではないのです。
人々が飼い馴らし、船乗りたちに重宝され、可愛がられてきた存在だったのです。
身近にいる、いわゆる「野良猫」と呼ばれる飼い主のいない猫も、かつては重宝され、可愛がられてきた猫の末裔なのかもしれません。
猫の放し飼いや、野良猫への無責任な餌やり行為は、野良猫の繁殖を増やし、それが住民との軋轢を生んで、結果として不幸な猫を生じさせる原因になっている悲しい現実があります。
猫を飼おうとするのであれば、最大限の愛情をもって、適正に飼育していただきたいと思います。
そして、かつてのように人と猫がうまく共存していた社会を実現させなければならないと考えます。

我が家の猫は長いしっぽ。長崎では少数派。

タイ産のキャットフードが多いわけ

家族が増えることになりました。
それは突然のことでした。
ペットです。
2か月ほど前に、縁があって、子猫を引き取って、我が家で飼うことになったのでした。
餌やりや飲み水の交換、トイレや寝床の掃除など、連日慣れない作業に追われるようになりました。

餌には特に気を使います。
普段は、ロイヤルカナンというメーカーの総合栄養食をメインに与えているところですが、さすがに毎日そればかりでは飽きが来るでしょう。
猫は美食家で、同じ餌では、飽きてしまうらしいので。
猫が好みそうないろいろな食材を使っては、餌作りにいそしんでいるところです。

我が家の猫は、鶏肉よりも魚のほうが好みのようで、ブリやハマチ、ヒラス(ヒラマサ)などのアラを煮て与えると、とても喜んで食べます。
近所のスーパーで、刺身を作った後に残る、血合いの部分などが、格安で売られているので、これをきまって購入しています。
刺身となると、より見栄えのいい部位が使われるので、赤黒い血合いの部分は、敬遠されるのだと思います。
そのおかげで、我が家の猫の好物は、安く簡単に買うことができているのです。
(僕がいま住んでいる長崎市は鮮魚の安価なところです)

ところが、どの家庭でもそのようにはいかないでしょう。
鮮魚の価格の安くないところに住んでいる人であればなおさらです。
猫を飼育しているたいていの家庭では、缶詰などのウエットタイプの餌を与えていると思います。

それは、手軽で、猫が好んで食べるからにほかなりません。
スーパーやディスカウントストアなどのペット用品コーナーに行けば、たくさんの種類のキャットフードが販売されています。
実際に手に取ってみるとわかるのですが、猫用の缶詰の大半が、「タイ産」の製品なのです。
タイは、世界的にも有名な、ペットフードの輸出大国なのです。

タイは食品加工工業で有名ですが、同時にペットフードの生産も非常に盛んなのです。
2020年のタイの農業省畜産開発局の統計によると、タイのペットフードの輸出額は623億バーツで、これは世界第4位の規模といわれています。
また、その額は今後も増加すると予想されています。https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1280314/202203report.pdf

もともと、豊かな海に恵まれたタイでは、小型マグロなどの魚介類の水揚量が多いという背景がありました。
事実、ツナ缶の製造は古くから行われており、地元のメーカーのみならず、マルハやいなば食品など、日本の水産加工食品メーカー大手は、タイに進出してツナ缶の製造工場を建ててきたのです。
日本の市場に出回っているツナ缶にタイ産が多いのもうなずけるでしょう。

タイでキャットフードの製造が盛んになったのは、こうした土壌がすでに出来上がっていた要因が大きかったのです。
ツナ缶を製造する際に出る、残余の部分、例えば血合いの部分などが、別の製造ラインに送られて、キャットフードに加工されているのです。
これも、日本国内の小売店に行けばわかることですが、国内で販売されているタイ産の猫用の缶詰のほとんどが、マグロやカツオを原料にしています。

下の図は、一般社団法人ペットフード協会が発表した統計ですが、実際のところ、キャットフードの輸入先では、タイが圧倒的に多いことがわかります。(統計は令和2年度)


もともと人間の食用のための缶詰工場で発生した残余の部分をおもな原料にしているため、コスト面では有利です。
また、人間用の食品と同じ工場で製造していることから、鮮度や品質の面でも安心できるのです。


ペットは、大切な家族の一員です。
飼い主であればだれでも、「家族の一員」が健康で長生きしてくれることを願います。
そして、安心で安全なペットフードを探し、与えることでしょう。
タイのメーカーには、今後も、安心で安全なキャットフードを提供していただきたいと切に願うところです。

ボーカロイドと音読さん

数年前、タイから留学に来ていた女子学生が、日本でぜひコンサートにいきたいというアーティストがいると語ってくれました。
興味を持った僕が、「誰のコンサートなの?」と尋ねたところ、返ってきた答えは意外なものでした。
それが「初音ミク」だったのです。
当時の僕は、「初音ミク」なるアーティストは知りませんでした。
この「初音ミク」とは、楽器メーカーのヤマハが開発した音声合成システム「VOCALOID(ボーカロイド)」から生み出された架空のキャラクター。
16歳の女性バーチャルアイドルという設定だそうで。
メロディや歌詞を入力することで、合成音声による発声に加え、譜面どおりの音階を忠実に再現することができるというのですから驚きです。
日本が生み出した画期的な技術であることに間違いありません。
その画期的な技術から生まれたバーチャルのアイドルが、国内のみならず、広く東南アジアからのファンを呼び寄せているという事実に、さらに驚きを隠せませんでした。
PC上に入力した歌詞と音階を再現できるので、理論上はどんな世代の歌であっても、たとえ外国語の歌詞の歌であっても、自由自在に「歌う」ことができるのです。
このことについては率直に「スゴイ」としか言いようがありません。
しかし、この「初音ミク」なる人物は、実在する人物ではありません。
あくまでもバーチャルアイドルに過ぎません。
その「実在しない人物」をアイドルとして偶像化する発想が、ちょっと自分の理解を超越していました。
ファンのかたには大変失礼な言いかたかもしれませんが、この「初音ミク」の声と聴くと、いかにも機械が歌っているようにも聞こえます。
それでも、この画期的な技術が生み出したバーチャルアイドルに熱狂的な声援を送る。
それが「cool Japan」なのでしょうか。
複雑な気持ちになったのを今でも覚えています。

それからまた数年の時を経て、最近ある音声読み上げソフトの存在を知りました。それが「音読さん」です。(https://ondoku3.com/ja/)
この音読さんは、テキストボックスに読み上げたいテキストを貼り付けて、クリックするだけで、忠実にその音声を読み上げてくれます。
もちろんこれまでも、こういった音声読み上げソフトはいくつか存在していました。
しかしその多くは、アクセントや抑揚が不自然な、いかにも機械的な発声で、とても人間の声には程遠いものでした。
しかしこの音読さんは、ちょっと違います。
あたかも本物の人間の発声のような声で読み上げてくれます。
速度や声の高さを調整することもできます。
男性の声や女性の声を選ぶこともでき、早く読む遅く読むといったスピードの調整も簡単にできます。
おまけに、日本語のみならず英語や中国語など多言語に対応しています(最近タイ語版も登場しました!)。
インターネットが繋がっている環境であれば、どこでも使うことができます。
もちろんスマートフォンでも使えますので、外出先でも気軽に使えます。
また、読み上げた音声をMP3などのファイル形式でダウンロードすることができるので、パワーポイントや動画などに貼り付けることで、その音声を活用することが可能です。
何度か試してみて感じたことを挙げます。
句読点を普段の文章よりも、こころもち多めにすると自然な発声に近づくこと。
漢字で表記するものと、カナで表記するものでは、アクセントに若干の差異が生じることがあること。
読み上げのスピードは、ややゆっくりめにしておくと丁寧な感じに聞こえること。
音程については、やや低めにしておくと、ソフトな感じに聞こえること。
などなど…
いくつかのコツは要りますが、何度か試してみるうちに、お好みの音声に近づけることができます。
僕などはこの音読さんの声が気に入って、職場で使う研修用動画の説明用ナレーションに使ったほどでした。

こうした技術は、私たちの生活のいろいろな面で活用の途があります。
定型化した音声アナウンスなどを大量に生成し、館内放送などで活用することもできることでしょう。
視覚障碍者などへの音声ガイドとしても活用することもできるでしょう。
テクノロジーの進化によって、仕事の効率化を進めることもできることでしょう。
ゆくゆくは、外国人との交渉の場において、言葉の障壁を低くすることにも寄与するのではないかと感じます。
今後もこうした技術の進歩に目が離せないところです。

絵馬の起源

春になりました。
間もなく桜が満開になることと思います。
冒頭の写真は、ある神社で3月20日に撮影したものです。
まだ桜は咲き始めといった感じでした。
神社の境内で目につくのは、絵馬の奉納です。
この神社でも、このようにたくさんの絵馬が奉納されています。
絵馬は、なにかを祈願するときに、神社に奉納するものです。
その多くは絵が描かれた木の板です。
そこには、たくさんの人の願いが記されているのです。

古代、神様は神馬(しんめ)という馬に乗って人間世界にやってくると考えられていました。
そこで、神社では古くから馬を奉納する習わしがありました。
歴代の天皇は祈願の際に、生きた馬を神馬(しんめ)として神社に奉納していました。
水の神様をまつる京都の貴船神社では、雨ごいの祈願のときには黒い馬を、晴れの祈願のときには灰色または赤毛の馬、といったように目的によって異なる毛色の馬が献上されました。
しかし、実際に馬の飼育をするのは、手間がかかるうえに経済的な負担も大きかったので、本物の馬の代わりに、土で作った馬形(うまがた)や、木で作った板立馬(いただてうま)が奉納されるようになりました。
その後この板立馬が、馬を描いた小さな板となり、これが奉納されるようになりました。
これが「絵馬」の始まりです。
時代が進むにつれて、馬に限らずいろいろな縁起の良い画題が描かれるようになりましたが、「絵馬」という呼び名はそのまま残りました。
江戸時代には家内安全や商売繁盛といった身近なお願い事を書く風習が庶民にも広がりました。
すると最初から絵が描かれた小さな絵馬を購入して、これに願い事を書いて神社に奉納するいまのスタイルが確立しました。

僕の住む九州では、福岡県太宰府市の太宰府天満宮が有名です。

https://www.dazaifutenmangu.or.jp/ 太宰府天満宮
https://www.dazaifutenmangu.or.jp/th/ 太宰府天満宮(タイ語版ภาษาไทย)

学問の神として知られる菅原道真公を祀った神社で、受験生が奉納した合格祈願の絵馬がいっぱいあります。
またこの神社の絵馬は、縁起物やお守りとしてもたいへん人気があります。
この絵馬を奉納する習慣が広く外国にも知れ渡ったのでしょう。
最近ではタイ文字で書かれた絵馬も見られるようになりました。



間もなく新年度を迎えます。
四月から進学や就職で、新たな一歩を踏み出すフレッシュマンも多いことと思います。
彼らが希望を持って、新しい社会で大いに活躍できることを心より祈願いたします。

有明海の豊かな海の幸「牡蠣」 หอยนางรม ความอุดมสมบูรณ์ของทะเลอาริอาเกะ

冬の寒い時期は、牡蠣の美味しい季節でもあります。

九州有明海の豊かな海の幸といえば、ワタリガニやのりなども有名ですが、外すことのできない逸品は、やはり「牡蠣」と言えます。

有明海の牡蠣は、他の地域の牡蠣と比べて、粒の大きさがダントツに大きく、濃厚な甘みがあります。

干満の差の大きい有明海は、プランクトンが豊富で、牡蠣の成長に適しているのです。

冬の時期に、長崎県の諫早市から佐賀県の鹿島市にかけての海沿いの街をドライブすれば、「牡蠣焼き小屋」ののぼりがあちらこちらに立っているのがわかります。

下の写真は、諫早市の小長井町漁協直売店で撮影したものです。

牡蠣は買って帰ることもできますが、こうした牡蠣焼き小屋で味わうのも格別です。

牡蠣はこのように炭火で焼きます。火が通ると、自然に殻が開いてきます。

身が大きく、縮んでいないのがわかります。お好みで、レモンや酢醤油などを垂らすのもありですが、そのまま味わうのが牡蠣そのものの味を満喫するのには最高です。

有明海の豊かな海の幸を味わってみてはいかがでしょうか。

 

ทะเลอาริอาเกะ (Ariake-kai) เป็นส่วนของทะเลน้ำเค็ม ตั้งอยู่ตรงกลางระหว่างจังหวัดฟูกูโอกะ จังหวัดซางะ จังหวัดนางาซากิและจังหวัดคูมาโมโตะ ถือได้ว่าเป็นอ่าวที่ใหญ่ที่สุดของภาคคีวชู

有明海は、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県の中間に位置する海で、九州最大の湾と言われています。

ทะเลแห่งนี้เป็นแหล่งเกษตรกรรมใต้น้ำที่สำคัญ โดยปลูกสาหร่ายเป็นผลิตภัณฑ์หลัก นอกจากนี้ยังเป็นที่อยู่ของสัตว์น้ำหลากชนิดปลาตีน(mudskipper) หอยนางรม และปูก้ามดาบ

この地域の海では、おもにノリの養殖をはじめとする、養殖漁業が盛んなところです。また、ムツゴロウや牡蠣、ワタリガニなど多様な海洋生物の生息地でもあります。

ทะเลอาริอาเกะมีระดับความต่างของน้ำขึ้นน้ำลงถึง ๖เมตร เมื่อน้ำลงในแต่ละวัน ทำให้รังสีอินฟาเรดจากแสงอาทิตย์ส่องไปถึงก้นทะเลลึกและทำให้แพลงก์ตอนอุดมสมบูรณ์และเติบโตเป็นจำนวนมาก

有明海の潮の干満の差は6メートルです。日々干潮時に、日光からの赤外線が海の底に届き、それがプランクトンを豊かに成長させているのです。

แพลงก์ตอนเหล่านั้นก็คืออาหารชั้นดีของหอยนางรม

อีกทั้งเนื่องจากน้ำทะเลอาริอาเกะมีระดับความเค็มที่น้อย จึงทำให้เนื้อหอยนางรมของที่นี่มีรสชาติหวาน ไม่อุ้มน้ำและไม่หดตัวแม้นำมาย่างไฟ

こうして育ったプランクトンは、牡蠣の良質な餌となっているのです。

また有明海は塩分濃度が低いので、これによって牡蠣の身は甘みを増し、水っぽくならず、焼いても身が縮みません。

หอยนางรมสามารถหาซื้อได้ตามร้าน

มีร้านหอยนางรมย่างมากมาย ตามเขตโคนางาอิเมืองอิซาฮายะ(Konagai,Isahaya-city)จังหวัดนางาซากิและตำบลทาระ(Tara)จังหวัดซากะ

นักท่องเที่ยวเข้าไปลิ้มลองได้ช่วงเดือนตุลาคมถึงเดือนมีนาคม

牡蠣は店頭で購入できます。長崎県の諫早市小長井地区と、佐賀県の太良町には牡蠣焼き屋がたくさんあります。観光客は10月から3月の間に賞味することができます。

 

★牡蠣焼き小屋へのアクセス

長崎県諫早市内から鹿島方向に

または佐賀県鹿島市内から諫早方向に

有明海沿岸の国道207号線沿いに点在しています。

 

 


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伊勢エビ กุ้งมังกรญี่ปุ่น

今年の野母崎伊勢エビまつりは今日からはじまります。
新鮮な海の幸をお楽しみください。

กุ้งมังกรญี่ปุ่นถือเป็นราชากุ้งแห่งท้องทะเลญี่ปุ่นเพราะรสชาติเฉพาะตัวของเนื้อกุ้งที่มีความนุ่มมาก และไม่แข็งเหมือนกุ้งมังกรอื่นๆ เนื้อมีความนุ่มและความหอมหวานมัน ถือได้ว่าเป็นวัตถุดิบคุณภาพชั้นเลิศ แม้กระทั่งในประเทศญี่ปุ่นเองก็หาทานได้ยากมาก มีราคาสูงที่สุดในบรรดากุ้งทั้งหมด
伊勢エビは、その味ととりわけとても柔らかいエビの肉の風味から、日本の海のエビの王道と呼ばれています。 他のエビのように固くなく、食感が柔らかくて甘いことから、最高の食材と言われています。その日本でも、入手は非常に困難なため、あらゆるエビの中でも最高値となっているのです。

ชาวญี่ปุ่นเชื่อว่าถ้าทานกุ้งมังกรญี่ปุ่นแล้วจะมีสุขภาพแข็งแรงและเอาชนะศัตรูได้อีกด้วย เนื่องมาจากเปลือกของกุ้งมังกรญี่ปุ่นเป็นสีแดงคล้ายกับเกราะนักรบซามุไร
日本人は、伊勢エビを食べると身体が丈夫になり、さらには敵に打ち勝つと信じているのです。 それは伊勢エビの殻は赤色で武士の鎧に似ているところから来ています。

การรับประทานในแบบญี่ปุ่นดั้งเดิมคือการรับประทานสด ๆ แบบซาชิมิ โดยตัดส่วนหัวของกุ้งแยกออกจากลำตัว เมื่อรับประทานเนื้อสด ๆ ต้องรับประทานร่วมกับมันกุ้งที่แคะออกจากส่วนหัวด้วยเพื่อเพิ่มรสชาติ
日本スタイルで食べること…それは生のまま食べることです。つまり刺身として食べることなのです。エビの頭を体から切り離します。 刺身を食べるときに是非お願いしたいのは、頭から取り出したエビの味噌と刺身を一緒に食べるようにしていただくことです。これをすることで伊勢えびの味が格段に上がります。


Nomozaki,จังหวัดนางาซากิเป็นที่รู้จักกันดีในฐานะที่เป็นเมืองแห่งความอุดมสมบูรณ์ของอาหารทะเลโดยเฉพาะกุ้งมังกรญี่ปุ่น
กุ้งมังกรญี่ปุ่นสามารถหาทานได้ง่ายตามร้านอาหารหรือโรงแรมทั่วไป จึงมีนักท่องเที่ยวมาทานอย่างไม่ขาดสาย
長崎県の野母崎は、豊富な海の幸とりわけ伊勢エビの街として知られています。
伊勢エビは、レストランやホテルで簡単に見つけることができます。
そして、ここを訪れその味覚を堪能する観光客が途切れることはありません。

เทศกาลกุ้งมังกรญี่ปุ่นNomozaki เป็นเทศกาลกุ้งมังกรญี่ปุ่นที่มีชื่อเสียงของนครนางาซากิ ซึ่งจัดขึ้นประมาณต้นเดือนกันยายนของทุกๆ ปี บนพื้นที่จัดงานNomozaki,นางาซากิ
ปีนี้จะจัดจนถึงวันที่23 กันยายนนี้
野母崎伊勢えびまつりは、 長崎市の有名な伊勢えびまつりです。 毎年9月上旬に長崎市野母崎で開催されます。
今年は今月23日まで開催されます。

https://www.facebook.com/i.nomozaki

การเดินทางจากสถานีนางาซากิไปที่Nomozaki ใช้เวลา 65 นาทีโดยรถประจำทาง ( Nagasaki bus สายNo.30 ลงจาก “Wakimisaki” )
長崎駅から野母崎までの所要時間はバスで65分です。(長崎バス30番利用。「脇岬」下車。)


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