アーミー・メソッドとドナルド・キーン  その1

「外国語を学び始めたきっかけは」と聞かれれば、「その国が好きだから」とか「その国でもっと自由に旅行したいから」と答えるかもしれない。

学生のなかには、「学校の勉強や入学試験のために仕方なくさせられているから」という答えもあるかもしれない。

しかし勉強を続けるうちに、「仕方ないから勉強する」といった外発的な動機づけから、学習者の内側からくる動機づけに変化していくこともある。

自発的に沸き起こる知的好奇心から、「面白いから勉強する」「外国の人と友達になりたいから勉強する」という内発的な動機づけへの変化である。

それは平和で自由な社会だからこそ可能なのかもしれない。

もし、学び始めたそのときに「戦争」があったとしたら…

 

近世になり産業革命が興り、大量生産が行われるようになり、経済活動が盛んになる。

経済活動が活発になれば、貿易などを通じて人々の国境を越えた行き来が増え、外国語の必要性が高まる。

こうした背景から、19世紀から20世紀にかけてさまざまな外国語教授法が盛んに研究されるようになった。

古典的な「文法訳読法(Grammar Translation Method)」のような、母国語への翻訳を中心にした教授法から脱却し、「ナチュラル・メソッド(Natural Method自然主義教授法)」や「オーラルメソッド(Oral Method)」といった、直接法による教授法、とりわけ聴解力重視した「話せる外国語」の教授法が開発されたのがこの頃である。

そんな中で、最も成果の上がった学習法として知られているのが、アーミー・メソッド(ASTP(Army Specialized Training Program))であった。

戦争遂行のために、諜報活動が必要になる。

そのために兵士に、敵国の言語を習得させなければならない。

それも、短時間で実践的なレベルまで習得させなければならなかった。

そこで行動主義心理学に基づいた教授法が開発されたのである。

行動主義心理学に基づいた教授法とは、外部からの刺激に反応し、それが習慣化すること、つまり教師が刺激を与え、学習者は条件反射的に学習させられるという教授法であった。

かの有名な「パブロフの犬」の理論のごとく、反射的に外国語が発声できるような、ある種人間性を否定させられるような、過激な学習方法でもあった。

 

まったく余計な話ではあるが、日本では同じ時期に、英語は「敵性語」として扱われ、一切の英語教育が排除されていた。

一方のアメリカでは敵国の言語を積極的に教育し、戦略的に活用しようとしていたのである。

この違いは、「言霊」の思想に強く裏付けられた日本人と、そうではないアメリカ人の差なのかもしれない。

アーミー・メソッドプログラムによる授業は、アメリカ人教官とネイティブスピーカーの教官の分業で行われた。

アメリカ人の教官が、読解、翻訳など言語の構造について母語で教え、また、インフォーマントと呼ばれるネイティブスピーカーの教官行う口頭練習からなる授業であった。

インフォーマントは、モデルとしての発話を示す者のことで、日系人が務めた。

モデルが提示された後、ドリルマスターによる口頭での反復練習を行う。

ネイティブによる口頭練習により多くの時間が割かれ、徹底した暗記と反復練習が行われていた。

行動主義心理学に基づく習慣形成という考えが背景にあったため、ネイティブの言語に触れて、とにかくそれを模倣、暗記することで言語が習得されると考えられていたからであった。

口頭練習を指揮するドリルマスターによる集中的な口頭練習は、「練習」というよりも、「訓練」であったのである。

そして、自動的に話せるようになるまで基本文を徹底的に暗記させられていたのであった。

 

このアーミー・メソッドは、短時間のうちに流暢な話者を養成できたメリットはあるものの、反復練習は単調なものになりがちであるうえ、学習者に過度の緊張をもたらしたのも事実であった。

アーミー・メソッドによって日本語を学んだ学生の中に、その青年がいた。

のちに、日本文学研究者となったドナルド・キーン(Donald Keene)である。

 

アーミー・メソッドとドナルド・キーン その2

https://ponce07.com/astp-donald-keene-2

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です