タイ旅行で必須の配車アプリ「Grab」 地方都市でも本当に呼べる?クラビで使ってみました

街歩きは面白いものですが、もし旅先でクルマが使えたら、行動範囲が一気に広がります。
9年前のクラビでは、移動にとても困った経験をしました。
なにせ流しのタクシーを見かけることがありませんでしたので…
このことは以前お話しました。
(白い道 その6 https://ponce07.com/shiroimichi-06/
しかし最近になって、その状況も少しずつ変化してきています。
配車アプリの普及です。
タイでは「Grab」「Bolt」といった配車アプリが普及して、観光での移動がラクになったと聞きます。
今回の旅行では、実際に配車アプリを使ってみました。
バンコクでは旅行者に欠かすことのできない定番のアプリと言われていますが、地方都市のクラビでもこのアプリが使えるのか試してみたかったのです。
結論から言いますと、クラビではバンコク首都圏と比べると、配車の数は少ないですが、十分に使えることがわかりました。
この配車アプリについて、まだ使ったことのないかたのために、その特長や使いかた、メリットなどについて、タイの事情をふまえてポイントをまとめます。

配車アプリとは、スマートフォンでクルマを呼べるサービスで、タイでは Grab・Bolt・MuvMi・LINE MAN などが広く使われています。
観光客でも簡単に利用でき、英語や日本語表示にも対応しているアプリがあります。

主な配車アプリとその特徴
①Grab(グラブ)
– 東南アジアで最も普及しているアプリ
– 日本語表示あり
– 車・タクシー・バイク・デリバリーなど多機能
– 料金はやや高めだが、ドライバーの質が安定している
②Bolt(ボルト)
– Grabより料金が安い傾向
– シンプルで使いやすい
– バンコクを中心に広く利用可能
– 英語表示が基本
③MuvMi(ムーブミー)
– 電動トゥクトゥクのシェアライド
– バンコク中心部のみ
– 近距離移動が安い

配車アプリのメリット
① 料金トラブルがない
スマートフォンの位置情報から、ドライバーと乗客それぞれの位置が正確に示され、目的地までの距離と料金が事前に把握できることなどから、「ぼったくり」の心配がほぼなくなりました。
タイのトゥクトゥクにはメーターは付いていません。
一般のタクシーでも、メーターを使いたがらない運転手も少なくありません。
当然ながら運賃は「交渉制」になりますので、外国人観光客などは常に「カモ」にされていたのです。
配車アプリを使えば、事前に料金が確定しているので、いつでも明朗会計というわけです。
②言葉ができなくても大丈夫
アプリ内で目的地を指定するだけなので、場所や地名の説明が要りません。
タイ語のように発音が難解な言語では、一度言っただけでは運転手に通じないこともよくあります。
その点では、非常にラクになったと言えます。
またGrabは自動翻訳チャット機能もあります。
③安全性が高い
ドライバーの顔と名前、評価点などの情報や車両番号が事前に表示されます。
さきほどいわゆる「ぼったくり」による被害がなくなったと説明しましたが、乗客は事前にドライバーの情報を知ることができるという点で安全性が高いというわけです。
ドライバー側も下手なことをすれば、自分の「評価」を下げることになるので、乱暴なことはしようとしないのです。
④ 現金がなくても乗れる
クレジットカードやデビットカードなどをアプリに連携させることで、カード決済が可能になります。
細かい現金を用意する必要はありません。
ただし、カードでの支払いは若干の手数料が発生します。
⑤ 流しのタクシーより捕まえやすい
流しのタクシーがいない観光地でも、比較的呼びやすい点は便利です。
特に地方都市など配車数が絶対的に少ない街では、このメリットは大きいと思います。
いわゆるプロのドライバーだけでなく、一般の人がスキマ時間のアルバイト感覚で「白タク営業」をすることができるようになっています(白タク行為は日本では厳禁ですが、タイでは一般的に行われています)。
このことが配車数の増加に寄与したと言えるでしょう。
実際にクラビで利用した時は、乗車した車のほぼすべてが、通常のタクシー(営業車両)ではない一般車両でした。
ドライバーとしての副収入を得られる点も、アプリの普及を促進させることにつながったと推測されます。

Grabの使い方
おもな流れは次のとおりです。
【事前準備】日本出発前にアプリをインストールしておきます。
自分の氏名は英文で入れておくことを推奨します。
ドライバー側にはこちらの氏名が伝わるので、漢字での表記は避けたほうが無難です(一般のタイ人は漢字が読めないことが多い)。

左上の「配車(タクシー)」を選択します


① 行き先を入力します
目的地の入力はGoogleマップからコピペすればいいので、そこまで手間はかかりません。
タイ語の入力は必須ではありません。
現在地は位置情報から自動的に表示されます。
問題がなければ確定させます。

目的地を入力します


出発地と目的地を確定させるとドライバーの検索が開始されます。

ドライバーの検索が始まります


②車種と料金を確認します
条件に合うドライバーが見つかると乗車地点と目的地が地図上に表示され、距離・料金・所要時間が確認できます。

ドライバーが決まりました!


② ドライバーがピックアップ地点に向かいます
車種と車体の色、ナンバーが示されますので、この情報をもとにドライバーを確認します

ドライバーが近づいている!


④乗車して目的地へ
ドライバーを見つけたら、スマートフォンを提示し目的地を確認してから乗車します。
乗車中もアプリで位置情報を常に確認できます。
目的地まであと何キロであるとか、到着予想時刻なども表示されます

乗車中のアプリ画面 到着予想時刻なども表示されます


⑤支払い
目的地に到着後支払いを済ませます(アプリ内決済 or 現金)
⑥評価
乗車後の感想を聞かれます。
問題がなかったのであれば「★5つ」をつけましょう。
コメントを付すことも可能です。
⑦領収証の発行
アプリのインストールの際に登録したメールアドレスに領収証が届きます。

これが電子領収証 利用日と利用区間、金額が表示されています

 

注意事項について
この配車アプリは非常に便利ですが、次の点には注意が必要です。
アプリの特性として考慮しておかなければならないことは、需要と供給が一致してはじめてクルマが利用できるということです。
場所や時間帯によってはドライバーが見つからないこともあります。
実際に検索しても配車がない時もありました(この場合は「近くにドライバーがいないようです」というメッセージが表示されます)。
ときには何度もトライしなければドライバーが見つからないときもあります。
クラビ郊外のワットタムスア(วัดถ้ำเสือ)に行ったときは、帰路にドライバーが捕まらずに苦労しました(4回目の検索で成功。ただし料金は往路よりもずっと高かったです)。
またピークの時間帯は料金が流しのタクシーよりも上がることがあります。
Grabによらず、流しのタクシーをメーターで利用したほうが安いこともありました。

タイでは、配車アプリは「観光の必須アイテム」と言っていいほど便利です。
実際に使ってみると、その快適さがよくわかるサービスです。
クラビのような地方都市でも、このアプリが使えることが実証できました。
タイ旅行の予定のあるかたは事前にインストールしておくことを強くおススメいたします。

 

 

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9年ぶりのクラビ再訪 「白い道 (ถนนพิศาลภพ)」を再び歩いてきました

令和8年になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
年末年始はタイで過ごしました。
今回の年末年始は休庁日の前後にそれぞれ土日が来て9連休になるという絶好のスケジュールです。
ですから早くから年末年始はタイで過ごし、しかも長めの休みがないと行きにくい地方に行くことを計画していました。
そんななか外したくなかったのが、今回のクラビへの再訪です。
以前にこのブログでも書きましたエッセイ「白い道」の舞台です。
「白い道」https://ponce07.com/shiroimichi-prologue/
詳しくは、ご一読いただければと思いますが、このクラビでの当時の出来事は、いまもなお自分の脳裏に焼き付いています。
今回の旅行では、クラビの街に行き、「目的」を果たしたかったのです。

2025年12月28日。
朝にドンムアンを発った僕は、11時前にクラビ空港に降り立ちました。
この日のクラビも、9年前の景色と同じような快晴の日でした。
南国らしいいっぱいの陽の光。
そこに映し出されるコントラストの強い真夏のような風景。
どれもあの時と変わらない美しい街並みです。

軽い昼食を済ませると、突然のスコールです。
ほどなくして雨はあがり、再び晴れやかな陽の光が照りつけます。
いかにもタイらしい風景です。

The Mud Crabs Sculpture ประติมากรรมปูดำ


黒いカニのオブジェは地域のシンボルです。

こちらも街のシンボルのクロマニヨン交差点です。
年末だからでしょうか。
サンタクロースのような衣装を身にまとっています。

この街の庶民の台所のような存在だったマハーラート生鮮市場(ตลาดสดมหาราช)は、閉鎖されていました。
調べてみても詳細は不明ですが、どうも閉鎖は間違いなく、どこに移転されたのかの情報も不明でした。
市場の中で食べたお粥(โจ๊ก)が美味しかったので、少し残念な気分です。

9年前の正月元旦は、この市場で朝食を済ませました。
その後ホテルに戻ったときに、親父が意識を失っていたのです。
ホテルのマスターが近所にある病院に親父を運んでくれました。
その病院が「クラビー ナカリン国際病院(โรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นเเนล)」でした。
ここが、今回の訪問の目的地です。
9年前に心臓疾患で意識を失った親父を診てくれた先生は、まだその病院で勤務していました。
その先生のもとを訪れて、親父が他界したことの報告と、9年前の謝意を伝えるのが今回の「目的」だったのです。
病院には事前に、訪問の意向を伝えるメールを送信したところ、「歓迎」の趣旨の返信をもらっていました。

快晴の午後の道は、灼熱の陽が照りつけます。
ゆっくりとはいえ、歩いていると汗がにじみ出ます。
それでも、さほど苦には感じませんでした。
通りを歩きながら、9年前の記憶をたどっていました。

クラビー ナカリン国際病院 โรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นเเนล



病院の前に来ました。
この道です。
9年前に途方に暮れたときの記憶がよみがえってきます。
病院の入口に近づくと、見慣れない訪問者を警戒したのか、ガードマンの青年が近づいてきます。
あらかじめ印刷して持ってきた訪問を伝えるメールの書面を見せると、彼は病院内の受付へ案内してくれました。
訪問を伝えるメールの書面は受付の女性に回され、女性は僕をソファーへ案内してくれました。
5分ほどして、ピブン先生が現れました。
先生もその時のことはよく覚えていてくれたようでした。
タイ式に両手を合わせて、謝意を伝えました。
そして、スマートフォンで葬儀の写真を見せて、親父の他界を伝えました。
「心不全だったのですか?」
短くうなずきます。
タイ語での説明はうまくできませんでしたが、感謝を伝える書簡を渡します。
先生はそれを一読し、大きくうなずいてくれました。
ほんの短い時間でしたが9年越しに感謝の気持ちを伝えることができました。
長崎から持参した手土産も渡すことができました。
目的を果たした達成感でいっぱいでした。
満ち足りた気分で病院を後にしました。

夕方の4時を回った時刻でしたが、まだ陽射しは弱まってはいません。
このときも病院の前の道が白く輝いているようにも見えました
この道は、正式には「ถนนพิศาลภพ Soi Pisanpop」という名前であることを地図で知りました。
「พิศาลภพ(pisanpop)」という言葉は、サンスクリット語で「広い」または「広大な」を意味する「วิศาล(wisaan)」と、「世界、大地、誕生、起源」を意味する「ภพ(pop)」に由来します。
したがって、「พิศาลภพ(pisanpop)」は「広大な世界」または「計り知れない大きさの世界」を意味します。
これは、世界の壮大さを伝えるために用いられる詩的で優雅な言葉でもあります。
9年前に不安のどん底に陥ったときに見たこの道が、実は「計り知れない広大な世界の入口」であったことを、このときに知ったのです。

クラビーナカリン国際病院あてに書いた、改めて感謝の意を伝えた書簡を公開します。
この書簡を読んでどのように感じますか? 美しいタイ語の文章でしょうか?
タイ人のかた あるいはタイ語に詳しいかたは感想をお聞かせください。


กราบเรียน
คณะแพทย์ พยาบาล และเจ้าหน้าที่ทุกท่าน
โรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นแนล
รวมทั้งคุณหมอพิบูลย์ เลาหทัย แพทย์ผู้เชี่ยวชาญด้านโรคหัวใจ
ผมขอกราบเรียนด้วยความเคารพอย่างสูงมา ณ โอกาสนี้ครับ

เมื่อเก้าปีก่อน ผมซึ่งเป็นข้าราชการจากจังหวัดนางาซากิ ประเทศญี่ปุ่น ได้เดินทางมาท่องเที่ยวที่จังหวัดกระบี่พร้อมกับบิดาของผมครับ แต่ระหว่างการเดินทางนั้น บิดาของผมได้ล้มลงหมดสติในโรงแรมจากอาการโรคหัวใจเฉียบพลัน เหตุการณ์ในวันนั้นยังคงเป็นความทรงจำที่ฝังแน่นอยู่ในใจผมเสมอมาครับ

ทางโรงแรมได้รีบช่วยนำบิดาของผมส่งมายังโรงพยาบาลกระบี่นครินทร์ อินเตอร์เนชั่นแนล และที่แห่งนี้เองที่ทุกท่านได้ช่วยชีวิตบิดาของผมไว้ คุณหมอพิบูลย์ได้ตรวจพบว่าอาการของบิดาผมนั้นอยู่ในภาวะวิกฤต และจำเป็นต้องได้รับการผ่าตัดเพื่อใส่เครื่องกระตุ้นหัวใจ (pacemaker) อย่างเร่งด่วน จึงได้ตัดสินใจประสานงานส่งตัวท่านไปยังโรงพยาบาลเอกชนในจังหวัดภูเก็ตทันที

ด้วยความเชี่ยวชาญ ความเมตตา และการตัดสินใจที่รวดเร็วของคุณหมอพิบูลย์ รวมถึงความทุ่มเทอย่างสุดกำย์และเจ้าหน้าที่ทุกท่าน บิดาของผมจึงได้รับการผ่าตัดอย่างทันท่วงที และสามารถเดินทางกลับประเทศญี่ปุ่นได้อย่างปลอดภัยครับ

หลังจากนั้น บิดาของผมยังสามารถใช้ชีวิตต่อมาได้อีกยาวนานถึงแปดปีครึ่ง ซึ่งเป็นเวลาอันล้ำค่าอย่างยิ่งสำหรับครอบครัวของเราครับ แม้ว่าบิดาของผมจะจากไปในเดือนสิงหาคมปีนี้ แต่ผมเชื่ออย่างสุดหัวใจว่า หากไม่ได้รับการช่วยเหลือจากทุกท่านในวันนั้น เราคงไม่มีช่วงเวลาอันแสนมีค่าร่วมกันเช่นที่ผ่านมา

ผมขอกราบขอบพระคุณทุกท่านจากหัวใจอย่างที่สุดครับ ทุกท่านคือผู้มีพระคุณผู้ช่วยชีวิตบิดาของผมไว้ เป็นบุญคุณที่ผมไม่มีวันลืมเลือน

วันนี้ ผมได้กลับมาที่จังหวัดกระบี่อีกครั้งหลังจากผ่านไปเก้าปี แม้ในฐานะข้าราชการที่ไม่สามารถลางานยาวได้บ่อยนัก แต่ผมตั้งใจเดินทางมาเพื่อกราบขอบพระคุณทุกท่านด้วยตนเองครับ แม้ว่าผมยังพูดภาษาไทยได้ไม่ดี ทั้งเมื่อก่อนและแม้แต่ในปัจจุบัน แต่ผมกำลังเรียนภาษาไทยอย่างจริงจัง และตั้งใจจะเรียนรู้ภาษาและวัฒนธรรมไทยต่อไปไม่หยุดครับ

หากเป็นไปได้ ผมอยากช่วยเหลือประชาชนในจังหวัดกระบี่ในอนาคต ไม่ว่าด้วยวิธีใดก็ตามที่ผมสามารถทำได้ แม้ว่าผมจะอาศัยอยู่ที่ประเทศญี่ปุ่น แต่หัวใจของผมนั้นยังคงหันมาทางจังหวัดกระบี่เสมอ ไม่มีวันใดเลยที่ผมจะลืมเหตุการณ์และน้ำใจอันประเมินค่าไม่ได้ที่ได้รับจากที่นี่

สุดท้ายนี้ ผมขอกราบขอบพระคุณทุกท่านอีกครั้งจากหัวใจของผมครับ สำหรับผม ทุกท่านคือผู้มีพระคุณสูงสุดในชีวิต และผมจะจดจำไมตรีจิตของทุกท่านไปตราบนานเท่านานครับ

ด้วยความเคารพและสำนึกในพระคุณอย่างหาที่สุดมิได้
ผมขอขอบพระคุณครับ

拝啓
心臓専門医であられるピブン・ラオタイ医師を含むクラビ・ナカリン国際病院の医療スタッフ、看護師、そしてすべての職員のみなさまへ
謹んでこのメッセージをお送りいたします。

日本の長崎で公務員をしている私は、父と共にクラビ県を旅行しました。しかし、旅行の途中、父はホテルで突然の心臓発作を起こし、意識を失いました。あの出来事は今でも鮮明に記憶に残っています。

ホテルのマスターはすぐに父を病院に搬送してくれました。その病院こそがクラビ・ナカリン国際病院であり、そこでみなさまの協力を得て父は一命を取り留めました。ピブン先生は父の容態が危篤と診断し、ペースメーカー植え込みのための緊急手術が必要だと判断しました。そしてプーケットの私立病院へ即時転院させる手配をしてくださいました。

ピブン先生の専門知識、ご慈悲、迅速な決断、そして医療チームとスタッフのみなさまの最大限の献身のおかげで、父は予定通りに手術を受け、無事に日本に帰国することができました。

その後、父はさらに8年半も生きることができ、それは私たち家族にとって本当にかけがえのない時間でした。今年の8月に父は亡くなりましたが、当時のみなさまお力添えがなければ、これほど貴重な時間を共に過ごすことはできなかったと心から信じています。

みなさまに心より感謝申し上げます。みなさまは父の命を救ってくださった恩人です。このご恩は、決して忘れることはありません。

今日、9年ぶりにクラビ県に戻ってきました。公務員という立場もあり、長期の休暇を取ることは難しいのですが、みなさまに直接感謝の気持ちを伝えるために、この地へ足を運びました。タイ語は今も昔もうまく話せませんが、タイ語を真剣に勉強し、タイの文化についても学び続けていきたいと思っています。

もし可能であれば、今後はクラビ県の方々に少しでもお手伝いができればと思っています。日本に住んでいても、私の心はクラビ県にあります。この地で受けた貴重な出来事、そしてみなさまからいただいた思いやりを忘れる日は決してありません。

最後に、改めてみなさまに心からの感謝を申し上げます。みなさまは私にとって人生最大の恩人であり、みなさまのご厚意は永遠に忘れることはありません。

最大限の敬意と感謝を込めて
感謝申し上げます。

 

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「水に魚あり、田に稲あり」に込められた意味 ในน้ำมีปลา ในนามีข้าว 

「水に魚あり、田に稲あり」という言葉は、タイ語で
ในน้ำมีปลา ในนามีข้าว(Nai nām mī plā nai nā mī khāo)と言います。
タイではとてもよく知られた言葉で、「この国は自然に恵まれ、食べ物に困ることがない」という意味を持っています。
単語の意味をひとつひとつ見ていくと、このようになります。
ในน้ำ : 水(の中)に
มี : ある、いる
ปลา : 魚
ในนา : 田(の中)に
ข้าว : 米、稲
直訳すると「水の中には魚がいて、田んぼの中には米がある」という、ごく素朴な表現です。
しかし、その背景には、自然と共に生きてきたタイの人々の暮らしや、国の理想の姿が込められています。
この言葉は、13世紀のスコータイ王朝時代に作られたラムカムヘン王の石碑に刻まれており、タイの歴史を語るうえで欠かせない言葉とされています。

古くから続くタイの稲作と人々の暮らし
この言葉が示すとおり、タイでは古くから米が主食であり、稲作は生活の中心でした。
人々は川や雨の恵みを受けながら田を耕し、米を育てて暮らしてきました。
稲作が安定することは、食料の安定につながり、社会の安定にもつながります。
スコータイ王朝の時代には、すでに水路や灌漑の工夫が行われていたと考えられています。
川の水を上手に利用することで、田んぼに水を引き、安定して米を作る仕組みが整えられていました。
こうした積み重ねが、現在のタイの農業の基礎になっています。

タイが米作りに向いている理由
タイが稲作に適している最大の理由は、やはり気候です。
タイは一年を通して暖かく、平均気温は26〜28度ほどあります。
日本のように冬に雪が降ったり、気温が大きく下がったりすることがないため、稲が育ちやすい環境が整っています。
また、雨季と乾季がはっきりしていることも特徴です。
雨季には十分な雨が降り、田んぼに水が行き渡ります。
乾季には収穫や乾燥作業がしやすくなります。
この自然のリズムが、米作りにとって理想的な環境を生み出しています。
さらに、チャオプラヤ川やメコン川といった大きな川の周辺には、栄養分を多く含んだ平野が広がっています。
こうした土地は米作りにとても向いており、昔から「穀倉地帯」として発展してきました。

日本と比べて見えるタイの稲作の特徴
日本とタイの稲作を比べてみると、その違いがよく分かります。
日本では、春に田植えをして、秋に収穫する年1回の稲作が基本です。
冬は寒いため、稲を育てることができません。
一方、タイでは寒い季節がほとんどないため、地域によっては年に2回、あるいは3回も米を収穫することができます。
これを二期作、三期作と呼びます。
作れる回数が多い分、生産量も多くなります。
また、日本は山が多く、田んぼの面積が限られていますが、タイは平らな土地が広く、大きな農地で米を作ることができます。
そのため、タイでは大量生産がしやすく、世界でも有数の米輸出国となっています。

農林水産省の統計より

 

タイで日本米が作られるようになった理由
近年、タイでは日本のうるち米、いわゆるジャポニカ米の栽培が増えています。
その背景には、日本食ブームがあります。
寿司、弁当、定食など、日本食はタイでもすっかり定着しました。
日本食には、粘りがあり、ほんのり甘い日本米がよく合います。
そのため、レストランや家庭で日本米を求める声が増えてきました。
さらに、バンコクを中心に多くの日本人が暮らしており、日本と同じ味のご飯を求める需要も安定しています。
日本から米を輸入することもできますが、高い関税がかかるため価格が上がってしまいます。
そこで、タイ国内で日本米を作る方が、価格を抑えられるという利点があります。

タイ産日本米の味と品質
タイで作られている日本米は、「コシヒカリ」「ササニシキ」「あきたこまち」など、日本でおなじみの品種が中心です。
コシヒカリは粘りが強く、冷めても美味しいため、寿司や丼物によく使われます。
ササニシキはあっさりとした味わいで、和食全般に合います。
現地で改良された品種もあり、暑さや病気に強い工夫がされています。
玄米を低温で保管し、注文に応じて精米するなど、日本式の品質管理を取り入れている生産者もいます。
そのため、「日本産とほとんど変わらない」と感じる人も少なくありません。

大手スーパーで販売されている日本米

 

タイ人の食文化の変化とこれから
最近では、タイ人の間でも粘りのある米を好む人が増えてきました。
これまで主流だったインディカ米だけでなく、日本米のような食感を楽しむ人が増えているのです。
食の多様化が進み、選択肢が広がっていると言えるでしょう。
今後は、タイ産日本米がひとつのブランドとして定着し、外食産業や海外への輸出に広がっていく可能性もあります。
日本の米作りの技術と、タイの自然条件が合わさることで、新しい価値が生まれつつあります。

米が育ててきたタイの自然の豊かさ
「水に魚あり、田に稲あり」という言葉は、タイの自然の豊かさと、人々の暮らしの安定を象徴しています。
温暖な気候と肥沃な土地に支えられた稲作は、昔から現在までタイ社会の基盤であり続けてきました。
近年では日本米の栽培も広がり、食文化はさらに多様化しています。
この言葉が示す豊かさは、形を変えながら、今もタイの中で生き続けているのです。

 

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砂糖がもたらした光と影(その3)甘い誘惑が日本人の体を蝕むリスクとは

砂糖はその甘さのため、多くの人々を虜にしてきたと言われています。
一度口にしたらその魅力に取り憑かれ、また欲しくなってしまう性質を持っているのです。
もちろん砂糖は高級品で、庶民が口にするのは特別な機会に限られていましたが、贈答品として徐々に普及していきます。
時代が進むにつれて、その「甘さ」を楽しむ上級武士や裕福な商人なども増えていきます。
例えば、徳川家十四代将軍の徳川家茂は、極度の甘党で、羊羹・金平糖・カステラなどを好みました。
死後の頭蓋骨調査では、残存していた歯の31本中30本が虫歯だったことがわかっています。
家茂は極端な偏食と虫歯の影響で栄養摂取が困難となったことが原因で、脚気を発症し、わずか21歳で死去したとされています。
「甘いものを食べたら歯磨きをしないと虫歯になる」ということは現在では常識です。
口腔内の細菌が砂糖を分解し、酸を生成して歯を溶かしていくからです。
ところが当時の人々はそのようなことを知りません。
歯磨きの習慣がなかったことから、上流階級ほど虫歯率が高かったと推測されます。

砂糖の摂取による健康リスクは虫歯だけにとどまりません。
過剰な糖分摂取は血糖値の急上昇を招き、インスリン抵抗性を引き起こし、糖尿病や肥満の原因になります。
また、砂糖中心の食生活は、ビタミン・ミネラル不足を招き、脚気や骨粗鬆症の原因にもつながります。
さらに砂糖は脳の報酬系を刺激し、一種の中毒性を持つとされ、過食や情緒不安定の要因になるということも言われています。

時代はさらに進み、砂糖の大量消費の時代が訪れます。
第二次世界大戦後に、日本はGHQの食糧支援を受け、それまであまり消費してこなかった、小麦・砂糖類・植物油・乳製品などが食卓に登場することになります。
そしてこれらが学校給食に導入され、また家庭料理にも浸透していきます。
これにより、コメ中心の伝統的な食生活が崩れ、脂質・糖質過多の欧米型食生活へと移ることとなります。
その結果、糖尿病・高脂血症・高血圧・肥満などの生活習慣病が急増し、それは若年層にも広がっています。

砂糖の過剰摂取が糖尿病を引き起こすメカニズムは次のような過程になります。
砂糖(特に精製された白砂糖や果糖)は消化吸収が早く、食後すぐに血糖値が急上昇します。
急上昇した血糖値を下げるために、膵臓からインスリンが大量に分泌されます。
長期的に高血糖状態が続くと、細胞がインスリンに反応しにくくなり、「インスリン抵抗性」が生じます。
インスリンが効きにくくなることで、血糖値が慢性的に高くなり、血糖のコントロールができなくなり、このことが原因で糖尿病(2型糖尿病)が発症することになります。
この流れは、砂糖の摂取量が多い現代の食生活において非常に起こりやすいものです。
特に清涼飲料水や加工食品に含まれる「隠れ糖分」がリスクを高めています。

砂糖の消費量の増加に比例するように、2型糖尿病をはじめとする生活習慣病が確実に増えています。
いまや日本ではおよそ2,000万人の糖尿病患者、またはその予備軍がいるものと推測されています。
もちろんこうした糖尿病患者の増加要因としては、高齢化や肥満率の上昇、運動習慣の減少や生活時間の変化など複数の要因が重なった結果と考えられています。
しかしながら、おおむね日本人の5人から6人に1人が、こうした糖尿病患者または糖尿病患者予備軍という状況の背後には、砂糖類の過剰摂取による要因が大きいと推測されます。
このような事態になった要因としては、食生活の変化が大きいと考えるのはきわめて自然なながれではないでしょうか。
糖尿病は腎不全、網膜症、心血管疾患など重大な合併症を引き起こす可能性があるため、予防と早期対策が極めて重要です。
食生活の欧米化による生活習慣病の増加は深刻な課題であり、今後は「日本型食生活」への回帰が求められます。
野菜や海藻、魚、豆類をバランスよく取り入れ、過剰な糖質・脂質を控え、適切な量の主食を選ぶといった、伝統的和食の持つ良い要素は、健康的な食生活に役立ちます。
低脂肪・低糖質・高食物繊維な食事は、生活習慣病予防に効果的と考えられるからです。
伝統的な食文化に回帰し、砂糖類の摂取を抑制していく対策が求められると考えます。

歯科医師の吉野敏明氏は、このような食生活の変化に起因する生活習慣病の急増に警鐘を鳴らし、「子どもの頃に甘いものの中毒になると、大人になってから治すのは非常に困難。砂糖や甘いものを子どもに与えることは百害あって一利なし」とし、また「子どもに規範を示すためには親が甘いものを食べてはいけない」と警告しています。

砂糖が我が国に流入したことで、さまざま菓子が生まれるなど、豊かな食文化が形成されたことは文化的にはたいへん興味深い事実です。
しかし、その背景には奄美諸島にあった過酷極まる史実も存在していたのです。
また、砂糖の持つ「甘い誘惑」は、いまなお人々の健康を蝕んでいることを忘れてはなりません。
甘い話には罠があります。
砂糖類の取りすぎには十分なご注意を…

 

参考文献
「シュガーロード」(長崎新聞新書) 明坂 英二著
「奄美の債務奴隷ヤンチュ」(南方新社) 名越 護著
「四毒抜きのすすめ」(徳間書店) 吉野 敏明著

 

砂糖がもたらした光と影(その2)甘味の陰に隠れた黒糖と奄美群島の悲劇

江戸時代の初めの頃は、砂糖は薬として扱われるほどの高級品で、庶民にはほとんど手が届きませんでした。
和菓子に砂糖が使われるようになったのは、一部の大名や富裕商人の贅沢品としてであり、庶民が口にするのは祭礼や特別な機会に限られていました。
砂糖はポルトガルやオランダ、中国から輸入されたものですが、その後別のルートが生まれます。
奄美群島から黒糖(黒砂糖)が流入したのです。
奄美群島(奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島など)は、サトウキビ栽培に最適な気候と土壌を持ち、糖度が高く、香り豊かな黒糖が生産されます。
奄美群島産の黒糖は、ミネラルを含む天然の甘味料で、白砂糖にはないコクと深みがあることから、京都をはじめとする和菓子職人にたいへん重宝されています。
和菓子職人は、こしあんやすり蜜、練り切りなどに黒糖を使うことで、甘さに奥行きを持たせる技法を用います。
奄美の黒糖は繊細な甘みが求められる和菓子に最適とされ、伝統的な製法と相性が良いのです。

しかしこうした奄美の黒糖は、島民の犠牲によってもたらされたものなのです。
薩摩藩は1609年3月に奄美群島に、4月には琉球王国に侵攻し、那覇と首里へ攻め入り、尚寧王は捕らえられることになります。
同年8月に琉球の処分が決まると、奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島は、琉球王国から分割し、薩摩藩の支配下に入ります。
形式的には琉球王国の統治が続けられましたが、事実上は薩摩藩の直轄地となったのです。
薩摩藩は本土から代官を派遣して代官所(赤木名、名瀬など、その他多数)や奉行所を設置して統治を進めました。
薩摩藩による統治の初期では、米作が奨励されますが、このころから生産されるようになっていたサトウキビ栽培に薩摩は注目することになります。
というのも、黒糖は大坂などの日本国内で高価で取引されるようになっていたからです。
その後、薩摩藩は奄美群島で島民にサトウキビ栽培と黒糖生産を強制しました。
食料となるサツマイモ畑をサトウキビ畑に変えられ、島民は食料を確保する代わりに黒糖を年貢として納めさせられました。
薩摩藩が黒糖を独占し、島民間の売買を禁じ、これに違反した場合は死罪とされました。
黒糖は藩が安く買い上げ、島民はサトウキビや黒糖を口にすることすら禁じられ、違反者には鞭打ちや死罪などの厳罰が科されました。
「黍横目(きびよこめ)」と呼ばれる役人が監視し、サトウキビ畑の管理を徹底していました。
島民は日用品を黒糖で購入するなど、貨幣経済からも排除され、生活は困窮していきます。
年貢を納められない者は「家人(ヤンチュ)」と呼ばれる奴隷的身分に落ちることもありました。
薩摩藩による厳しい黒糖政策によって多額の借金を負い、返済できなくなった農民が、その身を主である豪農に売った「債務奴隷」が発生したのです。
さらには島内ではコメやイモなどの保存食の生産が制限されたため、島民の生活は困窮しました。
サトウキビ中心の栽培が強制されたため、ひとたび台風などの災害で作物の不作が起こると保存食は底をつき、飢餓状態に陥ります。
飢饉の時は草の根や海藻などしか口にすることはできない状態であり、ソテツの実を毒抜きしたり、幹からでん粉(サゴの一種)をとって粥などに加工し食用とすることもあったといいます。
これが「黒糖地獄」と呼ばれる理由です。
とりわけ飢餓の著しかった徳之島では、耐えかねた島民は奄美大島に渡ります。
しかし奄美大島でも上納の黒糖を納めることができない農民が少なくなく、暮らしぶりは徳之島と大差なかったのです。
彼らはやがて生きていくために、豪農の債務奴隷であるヤンチュに身を落としていくことになります。
明治初期には、奄美大島の総人口のおよそ2割から3割がヤンチュであったといわれています。

黒糖は薩摩藩の財政再建の柱であり、特に調所広郷の改革以降、黒糖の管理体制が強化されました。
薩摩藩は黒糖を江戸幕府や大坂の商人に専売することで莫大な富を得ます。
1830年代には薩摩藩の砂糖出荷量は全国の約半数を占めるほどで、財政を大きく潤しました。
こうした薩摩藩の圧政は1879年に明治政府が奄美群島を編入するまで続きました。
この黒糖による収益は、幕末の倒幕運動の資金源にもなったとされ、薩摩藩が明治維新の原動力となる背景の一つと言えます。
薩摩・長州・土佐・肥前といった明治維新の雄藩の筆頭に挙げられる薩摩藩ですが、この活躍の背景には、奄美の島民の血と汗と涙があったのです。
このことは決して忘れてはいけない史実なのです。

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砂糖がもたらした光と影(その3)甘い誘惑が日本人の体を蝕むリスクとは

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砂糖がもたらした光と影(その1)シュガーロードが育んだ日本の菓子文化の歴史と魅力

江戸時代には、さまざまな交通が整備され、なかでも東海道や中山道をはじめとする五街道は有名です。
五街道以外にも、脇街道と呼ばれた主要道路がいくつかありました。
長崎街道もそのひとつです。
長崎街道は肥前国長崎(現在の長崎市)から豊前国小倉(現在の北九州市小倉北区)を結ぶ約57里(約228km)を結ぶ街道で、途中には25の宿場が置かれていました。
長崎と小倉をできるだけ最短距離で結ぶため直線状に整備されたことから、山を越える道程が多い、険しい街道でした。
しかし街道は九州諸大名の参勤交代のほか、長崎奉行や西国筋郡代の交代、さらにはオランダ人や中国人の江戸参府などさまざまな人で賑わい、また西洋や中国からもたらされた交易品や献上品の運搬にも用いられました。
この長崎街道が「シュガーロード」と呼ばれるようになったのは、海外からの貿易によって長崎港を通じて砂糖が輸入されたことによります。
日本に最初に来航した西洋の国であるポルトガル、そしてポルトガルとの交易が禁じられた後はオランダと中国から、砂糖や南蛮菓子が大量に輸入されました。
西洋や中国からもたらされた砂糖や南蛮菓子は、この街道を通じて広まり、日本の菓子文化に大きな影響を与えました。
街道沿いには塩田津(佐賀県)など、砂糖問屋や菓子屋が軒を連ねた宿場町が残っているほか、各地で個性豊かな郷土菓子が作られており、多くの人々に親しまれています。
「シュガーロード」という呼称は、シルクロードになぞらえて名付けられた愛称で、砂糖文化の道を象徴的に表したものです。

出典:シュガーロード連絡協議会


1571年に長崎港が開港され、ポルトガルとの貿易が始まりました。
これにより砂糖が本格的に日本へ流入することになります。
当時、砂糖は高級品であり、薬としても珍重されていましたが、次第に食文化の中心へと変化します。
長崎に陸揚げされた砂糖は、幕府の貿易機関である長崎会所がすべてを買い取り、国内の商人に売り渡され、おもに大坂に運ばれることになります。
しかし、すべての砂糖が大坂などに運ばれたかというと決してそうではありませんでした。
長崎の町には正規の貿易ルートとは別の、さまざまな形で砂糖が出回ることになります。
オランダ商館員や中国人商人たちのなかには、花街である丸山の遊女に砂糖を贈る者がいました。
こうした砂糖は、「貰(もらい)砂糖」と呼ばれていました。
また、「盈(こぼれ)物砂糖」と呼ばれる習慣も存在していました。
この「盈物砂糖」とは、もともとは積み荷の砂糖が荷崩れして、陸揚げの対象にできなかった砂糖のことを意味していたのですが、その後、荷役にあたる日雇い人足たちが荷役のときに砂糖をこっそり抜き取ることを防ぐ目的で、あらかじめ「盈物砂糖」という名目で人足たちに分け与えられるようになったのです。
こうした「貰砂糖」や「盈物砂糖」は転売して換金されることになります。
このようにして長崎市中には大量の砂糖が流入し、この砂糖がさらに街道の街に流通していき、砂糖は金銭としての役割も担うようになったのです。

この時代に作られるようになった菓子としてはカステラ、金平糖、ボーロなどがあります。
カステラは、鶏卵、砂糖、水飴、小麦粉などを混ぜて焼いた日本の菓子で、ポルトガルから伝わった南蛮菓子を元に日本で独自に発展しました。
長崎が発祥の地とされ、現在では多くの老舗店が存在します。

金平糖は、ポルトガル語の「Confeito(コンフェイト)」に由来する砂糖菓子で、1543年にポルトガルから日本に伝わりました。
当初は球形でしたが、日本の職人の技術や創意工夫によって現在の角のある形になりました。
回転する釜に糖蜜を何度もかけながら砂糖結晶を大きくしていく伝統的な方法で作られており、様々な味や色合いのものがあります。

丸ぼうろ 出典:佐賀県公式観光サイト


ボーロは、主に小麦粉やばれいしょでん粉などを主原料とする焼き菓子の総称です。
元々はポルトガルから伝わった南蛮菓子で、ポルトガル語で「ケーキ」や「焼き菓子全般」を意味する「bolo」が語源です。

小城羊羮 出典:佐賀県公式観光サイト


これらのほかに有名な菓子としては小城羊羹が挙げられます。
長崎街道の中途に位置する小城は、名水と言われる清水川の清涼な水があり、また当時の佐賀平野は小豆の産地でもあったことなどから、主原料である「砂糖」「水」「小豆」が調達しやすかったという地理的に有利な条件がありました。
この条件に加え小城は城下町で茶道の文化が発達していたことから、お茶請けとして羊羹が受け入れられる下地があったことも、この地で羊羹作りが盛んになった理由と言われています。
長崎で陸揚げされた砂糖は、長崎の地や長崎街道沿いの街々で、このような豊かで個性的な菓子の文化を築いていったのです。

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砂糖がもたらした光と影(その2)甘味の陰に隠れた黒糖と奄美群島の悲劇

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あのヒルドイドが処方箋なしに安価で買える? タイでカンタンに購入できました!

みなさんは「ヒルドイドの闇」という言葉を聞いたことがありますか?
ヒルドイド(Hirudoid)とは、ヒルドイドローションまたはヒルドイドクリームなどの名称で処方される医療用の医薬品で、マルホ株式会社が製造・販売している医薬品です。
主成分は、ヘパリン類似物質(heparinoid)と呼ばれるもので、血行促進作用や抗炎症作用に加え、非常に優れた保湿作用を持ちます。
皮膚科では、アトピー性皮膚炎、乾燥性皮膚炎(皮脂欠乏性湿疹)、掻痒症、手荒れや老人性乾皮症、外傷や手術後の瘢痕(しこりや赤みを改善する目的でも使用される)といった疾患に対して処方されます。
剤形としては、ローション、クリーム、軟膏などがあり、患部や皮膚の状態に応じて使い分けられます。
医療上の位置づけとしては、ヒルドイドは単なる「保湿剤」というより、皮膚のバリア機能を補う作用や炎症や血流障害を改善する作用を持った「治療薬」です。
特にアトピー性皮膚炎では、保湿によって皮膚の乾燥とバリア機能低下を防ぐことが重要なため、治療の基本薬として用いられることもあります。

ところが、その強力な保湿力ゆえに、医療目的ではなく化粧品代わりに使用する人が出てきました。
化粧水のような美容目的に使用する人が出て問題視されたのです。
「市販の高級美容クリームよりも安くて効果的」とネットや雑誌で紹介されたことが発端でした。
そしてネット上での噂は急速に広まることとなり、本来治療が必要な患者以外の「美容目的」での受診・処方依頼が急増することになってしまいました。
医療費の一部は保険で賄われるため、不要な処方は「医療費の無駄遣い」に直結することになります。
その結果、2017年ごろから日本のメディアでも大きく取り上げられ、社会的な問題として認知されるようになりました。
厚生労働省や日本皮膚科学会は、「美容目的での使用は保険適用外」、「必要な患者への処方に支障をきたすおそれがある」と強調し、医師にも不適切な処方を控える旨の通知を出しました。
その後は、保険審査が厳格化され、美容目的だけでの処方は認められにくくなっています。

このヒルドイドは、実は僕自身も使用しています。
幼少の頃からアトピー性皮膚炎を患っているため、保湿効果が高いということで、皮膚の保護と保湿のために処方を受けているのです。
処方されているのはローションタイプのもので、風呂あがりのタイミングで使用しています。
実際に使った感想としては、塗布後は確かにしっかりとした保湿効果があり、しっとりとした感覚が実感できます。
この保湿ローションのおかげで、皮膚の状態は落ち着いていて、いまではこのヒルドイドなしのスキンケアは考えられないといってもいいくらいの使い心地の良さがあります。
ネット上で話題になるのもうなずけます。
YouTubeでは、現役の医者も「強い保湿効果があるので、アンチエイジング対策としても効果はある」と語っているのを聞いたことがあります。
考えてみれば、それもそのはずです。
効用が認められている医療用の医薬品なのです。
効用がなければ、保険適用の医療用医薬品になることはありません。
高価な化粧水より、医薬品であるヒルドイドのほうが優れた保湿効果があるのも納得できます。
しかし、このような「美容目的」での処方は、あってはならないことです。
ヒルドイドは本来アトピー性皮膚炎などの治療に不可欠な医薬品なのです。
不要な処方は、当然ながら医療費の無駄遣いにつながります。
いまでも高い日本の医療費、つまり社会保障費をさらに増加させる弊害となってしまうのです。
このようなことは、決してあってはならないと考えます。

その後製薬会社は、ヘパリン類似物質を配合した市販薬(いわゆるOTC商品と呼ばれる処方箋なしで薬局やドラッグストアなどで購入できる市販薬)を販売するようになりました。
ヘパリン類似物質を含む成分は、医療用医薬品と同様の保湿と血行促進などの効果が期待できます。
このような市販薬が、ドラッグストアで購入可能になっています。
美容目的や軽度の乾燥肌ケアであるなら、こちらを使用すべきと考えます。
重度のアトピー患者や医療的な管理が必要な患者の場合は、医師の診断のもとに処方する処方薬を使用し、乾燥肌や美容的な保湿はOTC商品(市販薬)で対応するという棲み分けが適切と考えます。

美容的な保湿はOTC商品(市販薬)でも十分に対応可能ではありますが、気になるのはその価格です。
市販薬であれば、当然ながら保険適用にはならないため、価格の面だけ見れば処方薬よりもかなり高価になってしまいます。
ドラッグストアや通販で手に入る主要なヘパリン類似物質配合の市販製品(OTC商品)の特徴としては、濃度は基本的に0.3%で、この点に関しては処方薬ヒルドイドと同等になります。
しかし価格は形状や容量にもよりますが、概ね1,000〜2,000円程度になり、処方薬と比較すると割高感は否めません。


ところが、処方薬のヒルドイドとまったく同じ成分の医薬品を、処方箋なしに購入する方法があります。
それはタイ国内で購入することです。
タイ国内では、日本とは法的に異なり、日本では医師の処方箋が必要な医療用医薬品であっても、一般の薬局やドラックストアで購入できるものがあります。
このヒルドイドはタイ国内では簡単に購入できます。
タイ国内で販売されているヒルドイドは「Hirudoid」と「Hirudoid Forte」の2種類があります。
「Hirudoid」は赤い箱の製品で、「Hirudoid Forte」は青い箱の商品になります。
「Hirudoid Forte」については、その名「フォルテ」がイタリア語で「強く」「力強く」を意味になります(みなさんも音楽用語としては聞いたことがあると思います)。
この「Hirudoid Forte」は、日本国内で処方されるヒルドイドよりもさらに強い効用があります。
医療用として認められている処方薬とまったく同様の医薬品、あるいはそれ以上の効用が期待できる医薬品が、処方箋なしで購入できるのです。
本当に簡単に購入できるのか?
僕は実際に確かめる目的で、タイの薬局を訪ねてみました。
訪れたのは、バンコク近郊のパトゥムターニー県ランシットにある大型スーパーである「GO Wholesale Rangsit」のなかに店舗がある「BLEZ Pharmacy(ブレズ薬局)」のランシット店です。
結論から言いますと、「Hirudoid」と「Hirudoid Forte」の2種とも販売されており、そのいずれもが処方箋なしに簡単に購入できました。
価格は「Hirudoid(クリーム40g)」は255バーツ、「Hirudoid Forte(クリーム40g)」は345バーツでした(2024年10月の状況になります)。

Hirudoid(赤)は255バーツ Hirudoid Forte(青)は345バーツ


赤い箱の「Hirudoid」は、日本で処方されている処方薬と同等品になりますが、価格面だけを見ると、確かに日本国内で購入するよりも安価になります。
青い箱の「Hirudoid Forte」については日本国内では販売されていないので、比較はできませんが、赤い箱の「Hirudoid」よりも、少し高価になります。
形状としては、クリームタイプのみが販売されていて、ローションタイプのものはありませんでした。
肌に広く伸ばして使うという意味での使い勝手はローションタイプのほうに軍配が上がりますが、保湿効果という面ではクリームタイプのほうが有効と思われます。
ヒルドイドの購入を検討されているかたで、近くタイ訪問の予定のあるかたは、タイ国内での購入を検討されてはいかがでしょうか。
なお、直接肌に使う医薬品なので、薬剤師と相談してから購入を決めたいというかたも少なからずいらっしゃるかと思います。
そのようなかたは、MRTブルーラインのスクムウィット駅(สถานีสุขุมวิท)、またはBTSスクムウィット線のアソーク駅(สถานีอโศก)近くの「ブレズ薬局アソーク店」を訪れることをおすすめします。
この「ブレズ薬局アソーク店」は、日本人薬剤師や日本語通訳が常駐していますので、ご自身の症状について気軽に相談することも可能かと思います。
https://blez-pharmacy.com/shops/blez-asok

強い保湿効果ゆえにアンチエイジングとしての効果も期待できる医療用医薬品であるヒルドイドが、処方箋なしに安価で買える…。
タイでのおみやげに、ヒルドイドを選ぶ人が増えているという噂を聞くことも多くなりました。
とはいえ購入はご自身での判断で。
転売目的での大量の買い占めなどは決してなさらないよう、節度を守った消費行動をお願いいたします。

 

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香辛料とハーブの歴史的役割  スパイスとハーブが創り上げた食文化とその奥深い世界

タイ料理を思い浮かべたとき、多くの人が真っ先にイメージするのは、香り高いスープやカレー、そして複雑に絡み合う辛味や酸味ではないでしょうか。
このことは、以前のコラム「形容詞の多さ」でも触れたところです。
これらの複雑な味わいを支えているのが、豊富な香辛料とハーブです。
レモングラスやガランガル(ショウガ科の植物)、こぶみかんの葉など、タイ料理に欠かせない素材は単なる風味づけのためだけではなく、歴史的に「保存」「医療」「儀礼」といった役割を果たしてきました。
ここでは、タイの食文化を支えてきた香辛料とハーブの歴史的役割について、わかりやすく掘り下げてみましょう。


香りで整える「三位一体」の組み合わせ
タイ料理の特徴を端的に表すなら、「香りの層を重ねる料理」といえます。
その中でも代表的なのが、レモングラス・ガランガル・こぶみかんの葉という三つのハーブです。
これらは単体でも爽やかな香りや独特の辛味を持っていますが、組み合わせることで香りが引き締まり、料理全体に立体感を与えます。
たとえば有名な「トムヤムクン(ต้มยำกุ้ง)」では、この三つが必ずと言っていいほど登場します。
レモングラスの柑橘のような清涼感、ガランガルの爽快でスパイシーな風味、こぶみかんの葉の高い香りが合わさることで、辛さや酸味の強さを心地よく調和させているのです。

こうした香りの組み合わせは、単に「美味しさ」を演出するだけではありません。
古来より、これらのハーブは消化促進や食欲増進、疲労回復といった効果を持つと信じられてきました。
つまり、料理にハーブを加えることは、薬を服用することに似たような意味合いも持っていたのです。


唐辛子がもたらした食文化の転換
現在では「タイ料理=辛い料理」というイメージが強くあります。
しかし、タイに唐辛子が伝わったのは16世紀以降のことで、それ以前は黒胡椒や長胡椒が辛味の中心でした。
唐辛子はポルトガル人によってメキシコからもたらされたといわれています。

この唐辛子の導入が、タイの食文化を大きく変えました。
とくに「ナムプリック(น้ำพริก)」と呼ばれるディップ状の調味料が発展したのは唐辛子のおかげです。
ナムプリックは唐辛子を臼でつぶし、魚醤(น้ำปลา)やエビペースト(กะปิ)、ハーブなどと混ぜ合わせて作られるペーストで、野菜や魚をつけて食べます。
辛さだけでなく旨味や酸味が加わることで、シンプルな主食である米飯がより一層美味しく、バリエーション豊かに食べられるようになりました。
唐辛子の存在は、まさに「タイの食卓を一変させた革命」といっても過言ではありません。


発酵の知恵と保存の役割
高温多湿なタイの気候では、食品の保存が大きな課題でした。
その中で発酵技術は欠かせない知恵となり、香辛料やハーブとともに食文化を形作ってきました。
代表的なのが「ナムプラー(น้ำปลา=魚醤)」や「カピ(กะปิ=エビペースト)」です。
魚やエビを塩とともに発酵させることで長期保存が可能になり、しかも独特の旨味を料理に加えることができます。

また、東北地方(イサーン)で使われる「プラーラー(ปลาร้า)」という発酵魚の調味料も有名です。
独特の香りは好き嫌いが分かれますが、ラープ(ลาบ)やソムタム(ส้มตำ)などの料理に欠かせない存在です。
これらの発酵調味料は、ハーブや香辛料と合わせることで強い匂いを和らげつつ、料理全体を引き立てる役割を担っています。
保存技術と味の工夫が一体となった結果、タイ特有の“発酵×ハーブ”という調和が生まれたのです。


医療と食事の境界線
タイでは「食べることは治すこと」と考えられてきました。
伝統医療では、体調や季節に応じて適切な食材やハーブを摂取することが推奨されています。
たとえば、雨季に流行しやすい風邪や消化不良には、トムヤムのように香り高く酸味のあるスープが適しています。
発汗を促し、胃腸を整える効果があるとされているのです。

また、暑季には「カオチェー(ข้าวแช่)」という料理が登場します。
これは香りのよいジャスミンライスを冷たい水に浸し、ハーブや香辛料で味付けした副菜とともに食べる料理です。
体を冷やし、熱気を和らげる役割を持つとされ、まさに医食同源の実例といえるでしょう。

このように、香辛料やハーブは単なる「風味づけの素材」ではなく、日常生活において健康を守るための重要な役割を果たしてきたのです。

カオチェー(ข้าวแช่)の一例


香りの層を重ねるタイ料理の思想
タイ料理が国際的に評価される大きな理由の一つは、その複雑で奥深い味わいです。
それは「甘・辛・酸・塩・旨」という五つの味をバランスよく組み合わせるだけでなく、香辛料とハーブを多層的に用いることによって生まれています。

フレッシュなハーブの爽やかさ、乾燥スパイスの温かみ、発酵調味料の深み。
この三つが組み合わさることで、一皿の料理に立体感と奥行きが加わります。
香りの波が口の中で次々と押し寄せ、最後には調和して一体感を生み出す。
これこそがタイ料理ならではの「香りの哲学」といえるでしょう。


タイの食文化を形づくってきた香辛料やハーブは、単なる調味料ではありません。
レモングラスやガランガル、こぶみかんの葉といったハーブは、消化や健康維持に役立つ生活の知恵であり、唐辛子の導入は辛味の文化を根本から変えました。
発酵調味料は保存と旨味を同時に実現し、伝統医療と結びついた料理は人々の健康を支えてきました。
そして、それらすべてが「香りの層」を重ねるという思想に結晶し、現在のタイ料理の豊かさにつながっています。

タイ料理を味わうとき、その奥にある香辛料とハーブの歴史的役割に思いを馳せれば、ただ「美味しい」という感覚を超えて、食文化の奥深さをより深く楽しむことができるでしょう。

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流木と舟 ขอนไม้กับเรือ タイポップスに描かれた儚さの中にある自己犠牲の愛のやさしさ

厳しい夏も終わりに近づいてきました。
我が家の窓からは、青い海が見えます。
毎朝海を眺めて感じることは、暑さこそ続いてはいますが、陽が少し傾いていることです。
夏が終わりかけて、確実に秋に近づいているのでしょう。

タイ語の勉強を始めたころに、よく聴いていたタイのポップスを紹介します。
この歌はタイの人気歌手バウ・ウィー(บ่าววี)によって歌われた名曲です。
詩のテーマは、人生の荒波と困難や孤独のなかで、自己犠牲の愛と彼女へのやさしさを描いたものです。
主人公である私は、自分が流木のように弱く、運命に身を任せるしかない状況で、彼女を守りきれないことを理解しながらも、彼女を岸へ送り届けたい(安らぎや幸福に到達すること)と願います。
その一方で、もし舟(自分よりもより良い存在)が現れたなら、彼女には迷わず選んでほしいと願い、自分への愛よりも彼女の幸せを優先する姿勢が描かれています。
また、夜の寒さや孤独、力尽きる寸前の描写は、人生の苦しみを象徴していますが、それでも「君には希望が残るように」と願うやさしさが表現されています。

“ขอนไม้กับเรือ”
โดดเดี่ยวเดียวดาย ในท้องเล
ลมพัดลมเพ ลอยมาไกล
เป็นแค่ขอนไม้ ไม่มีทิศ..ทาง
ประคองตัวเอง ไปเหงาๆ
กลางคืนเหน็บหนาว จนใจจะพัง
ไม่เหลือความหวัง อะไรเลย

孤独にただひとり 海の真ん中
風に流され 遠くへと漂う
私はただの流木 行き先もなく
自らを支えながら 寂しさに耐え
夜は冷たく 心が壊れそう
希望など もう何も残っていない
วันหนึ่งน้องสาวลอยคอมา
มือเจ้าไขว่คว้าขอนไม้เอาไว้
เพียงหวังในใจ พยุงให้ลอย
อยากส่งให้เธอไปถึงฝัน
ผืนดินทางนั้น ยังรอคอย
แรงเหลืออยู่น้อย จะไปอย่างไร
ある日 君が泳いでやってきた
その手が 私をしっかりと掴む
ただ心の中で願う 浮かび続けてほしいと
君を岸へと送り届けたい
あの陸地は まだ君を待っている
けれど 残された力はわずか どうやって行けるのか
หากมีเรือสักลำแล่นมา
ก็ขอให้เธออย่าช้า ขึ้นเรือนั้นไป
เปรียบกับพี่เป็นแค่ขอนไม้
ต่อให้รักเจ้ามากเพียงไหน
ผุพังไป
พึ่งพาก็ได้ไม่นาน
เปรียบกับพี่เป็นแค่ขอนไม้
เกาะลอยคอให้เพียงข้ามวัน
แต่ฝั่งฝัน
ขอเพียงให้เรือพาเจ้าไป
もし一艘の舟が通りかかったなら
どうか迷わず その舟に乗ってほしい
私はただの流木にすぎない
どれほど君を愛していても 朽ちていく私では
頼れるのも ほんのわずかな間
私はただの流木にすぎない
君がしがみついて 一日を越えるだけ
でも夢の岸へは 舟が君を運んでくれることを願う

โดดเดี่ยวเดียวดาย ในท้องเล
ลมพัดลมเพ ไปตามกระแส
ขอนไม้อ่อนแอ จะไปไหนไกล
ไม่อยากให้จม ไปด้วยกัน
ไม่ยอมให้ฝัน เจ้าต้องสลาย
เมื่อพี่จมหาย ให้เจ้ายังมีหวัง
孤独にただひとり 海の真ん中
風に流され 潮に任せて
弱い流木は 遠くへは行けない
一緒に沈むことは 望まない
君の夢が壊れることは 絶対に許せない
私が沈んでも 君にはまだ希望があるように
หากมีเรือสักลำแล่นมา
ก็ขอให้เธออย่าช้า ขึ้นเรือนั้นไป
เปรียบกับพี่เป็นแค่ขอนไม้
ต่อให้รักเจ้ามากเพียงไหน
ผุพังไป
พึ่งพาก็ได้ไม่นาน
เปรียบกับพี่เป็นแค่ขอนไม้
เกาะลอยคอให้เพียงข้ามวัน
แต่ฝั่งฝัน
ขอเพียงให้เรือพาเจ้าไป

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朝活のススメ スマホ1台で広がる!「時間がない」を「成長のチャンス」に変える勉強法

最近のモーニングルーチンとして始めたのが、You tubeの「朝活タイ語」の視聴です。
提供しているのは、タイトレ(https://thai-training.com/)というチャンネルを運営しているけい様で、これまでも数々のタイ語学習のための音声教材を提供され、僕も以前よりたいへんお世話になっております。

この「朝活タイ語」では、10分足らずの短い動画ではありますが、リスニングから始まって音読、作文まで続きます。
ここでは、ごく短い会話文が10問程度出されます。

ちなみにこの日取りあげられていた10問は、次のとおりです。

เริ่มตั้งแต่วันนี้
今日から始めます。
นี่คือภาพที่มีชื่อเสียง
これは有名な絵です。
ตกปลาตัวใหญ่
大きい魚を釣ります。
สระว่ายน้ำนี้ลึกมาก
このプールはとても深いです。
หนังเริ่มฉายกี่โมง
映画は何時に上映が始まりますか?
อัตราความสำเร็จต่ำ
成功率は低いです。
มีมรดกโลก
世界遺産があります。
ไปพิพิธภัณฑ์วิทยาศาสตร์
科学博物館に行きます。
เขาเป็นคนที่อยากรู้อยากเห็น
彼は好奇心旺盛な人です。
ถ้าฝนตก ฉันจะไม่ไป
もし雨が降ったら、私は行きません。

いずれも文字で見ると、平易な内容ですが、リスニングとなると話は変わってきます。
短い会話文とはいえ、まったく前提条件の示されていない状態から、いきなりリスニング問題が出されると、聴き取れない部分が出てきます。
「まだまだ練習が足りないな…」と反省しながら聴いています。
普段のタイ語学習は文字を読むことが大半なので、こうやって音声から入ると、理解できない箇所が続々と出てくるのです。
ここでつまずいた部分やわからなかった単語は、通勤途中の車内の中で、辞書を使って確認したりしています。
僕のスマートフォンの中には、数冊の辞書が電子化されて保存してあります。
紙の辞書をスキャンする作業はとても手間がかかるものですが、たくさんの情報を持ち運ぶことができるという点では有利です。
疑問が生じたり迷ったりしたときは、すぐに調べることができますので、この方法はオススメです。

これに限らず、忙しい毎朝のわずかな時間や、通勤途中の時間などの「すきまの時間」を使った勉強が有効であると考えます。
「今日は時間があるから、あれもこれもやってみよう」と考えても、終わってみると意外とできていないものです。
やる気というものは、“余裕の時間”からは生まれないものなのかもしれません。
小学生のころ、夏休みの宿題を8月の最後の週にまとめてやった経験のある人も多いことでしょう。
先日、退職して自由な時間ができた職場の先輩に会って、「時間ができたから、好きな語学の勉強がたくさんできるでしょう?」と尋ねたところ、それが意外にも、“何もしない時間”が多くなってしまっているとのこと。
時間があるとわかっていると、ついついなまけてしまうもので、逆に時間が限られているときのほうがかえって集中できるのです。
記憶の定着という面でも、短時間であったとしても、何度も反復して復習を繰り返すほうが、暗記の効率がいいのです。

今回のコラムでは、もうひとつ有益な情報をお伝えします。
それはYou tubeの音声をmp3形式で保存する方法になります。
この方法を使えば、You tubeの音声をスマートフォンやICレコーダーなどの機器に保存して、後で繰り返し聴くことができます。
次のサイトで、mp3形式に変換して、保存するができます。

https://ytmp3.as/NvQ7/


使い方は簡単で、You tubeの画面を右クリックして動画のURLをコピーします。
これを中央のセルに張り付けて、Convert(変換)のタブをクリックするだけです。
十数秒後には変換されますので、これをダウンロードしてPCに保存します。
これで完了です。
スマートフォンやICレコーダーなどの機器に移せば、どこにでも持ち運べ、繰り返し聞くことができます。

限られたすき間時間でも、繰り返し学ぶことで記憶を定着させることが期待できます。
それに加えて、こうした勉強方法は、集中力を高めることができるのです。
忙しい日常こそ、時間を大切に使って、より効率のいい勉強を進めていきましょう。

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