今年になってコメの価格の上昇が止まらないという。
その要因として考えられるのは、おもに次の2つと言われている。
ひとつは天候の影響である。
昨年の5月の日照不足や夏の猛暑により、新潟や秋田などの主要産地で、コメの収穫量が低下し、高温の影響でコメの品質も低下しまった。
もうひとつとしては、コロナ禍からの回復である。
コロナ禍で外食需要が一時的に落ち込んだため、生産量が抑えられていたが、昨年5月にコロナが5類に移行し、外食需要と外国人観光客が急速に回復したことでコメの需要が大きく伸びたという。
今年のコメの生育状況は、順調と言われているものの、小売店の店先では、価格の高騰はもとより、供給量が減っているようである。
こうした光景を見ると、気にはなってくる。
同時に、思い出したくない事件が脳裏をよぎる。
1993年の米騒動(平成の米騒動)である。
1993年は天候不順による冷害のために、日本で栽培されていたイネの記録的な生育不良からコメが不足し、市場が混乱した。
日本産のコメは、根強い人気と市場の品薄感のため、買い占めと売り惜しみが発生した。
小売店では「コメが消える現象」が現れる。
当時の日本はコメを輸入しない国であった。
食糧自給率の低さが取り沙汰されてはいたものの、コメに関しては「一粒たりとも輸入は認めない」とするのが国是であった。
一般のスーパーや米穀店で販売されているのは、決まって日本産のブランド米であり、外国産のコメは皆無だ。
それが著しい不足を打開するために、緊急措置として、初めて海外からのコメを受け入れることになる。
日本政府は各国にコメの供給を要請する。
これにいち早く対応したのがタイ政府であった。
日本国内の状況を案じたタイ政府は、国内の備蓄米を日本に輸出する。
日本政府は、中国やアメリカからの輸入も想定したが、その量は限定的で、日本の市場には多くのタイ米が流通することになる。
量的な不足は一定解消されたが、日本人にすんなりとタイ米が受け入れられたわけではない。
タイ産の米はインディカ米であり、日本産のジャポニカ米とは、コメの種類が全く異なる。
タイ米は日本米よりも粒の長さが長く、粘りがない。
タイ米と日本米では見た目も味も全く異なるものだ。
カレーやピラフには向いているが、日本の米にあるような粘りがないので、おにぎりなどを作ることはできない。
タイ料理にはタイ米のほうが相性がいいのと同じように、和食には日本米が向いているものだ。
普段食べ慣れていない味に、拒絶反応を起こす者も現れる。
「タイ米=不味い米」という誤ったレッテルが流布されてしまう。
日本政府の要請によって大量に輸入されたにも関わらず、人気のないタイ米は売れ残る。
しまいには、供給量の少ない日本米と抱き合わせて販売する店舗も現れる。
そしてついには、心ない日本人は処分に困ったタイ米を廃棄してしまう。
苦しい状況を助けてもらっておきながら、この有様である。
こうしたニュースを聞き、非常に残念な気持ちになった。
タイ国内では、日本へコメが輸出されることになり、思惑や噂が先行し、米価が高騰した。
その結果、タイの貧困層は大きな打撃を受けることになった。
ここには、もはや美徳というものはひとかけらも存在しない。
情けなくて仕方がなかった。
翌年は、日本国内のコメの生産量は回復し、コメをめぐる騒動は、すっかり忘れ去られてしまった。
それから年月は流れる。
長崎で、日本に対する思いを語ってくれた学生に出会った。
この地に留学していたチベット出身の学生だった。
日本に来て、初めて「いただきます」という言葉を知ったという。
「いただきます」という言葉は、周囲の誰に対して感謝を表す言葉であると同時に、自分も幸せになれる素晴らしい言葉だと言っていた。
チベットには、日本語の「いただきます」に相当する言葉はないという。
その学生は、日本人から「いただきます」の由来を聞くことになる。
米や野菜などを作り育てる人、またそれらを産地から市場に運ぶ人、それらを売り買いする人、それらを材料に料理を作る人など、生産物が食卓に上がるまでに、たくさんの労働が介在している。
また、米や野菜などを育てる過程で、駆除されてしまう虫たちや、食用に供される動物たちなど、多くの生き物の犠牲を伴うものでもある。
私達の食事は多くの苦労や犠牲の上に成り立っているのだ。
これらのすべてに感謝の意を示すのが「いただきます」なのだ。
この由来を知り、大いに感動したと語ってくれた。
そして、あらゆる者に対して感謝する心を、帰国してから同胞に広く伝えていきたいとも語ってくれた。
かつての日本人は「美しいココロ」を持っていたのだ。
今年2024年は、天候不良のためコメの生産量が少なく、価格も高騰している。
一部では買い占めと売り惜しみが始まったという噂も聞こえる。
あの平成の米騒動のようなことにはならないとは思うが、やはり気にはなってくる。
毎日の食事を前に改めて思い出したい。
多くの苦労した者や犠牲なったすべての「生きとし生けるもの」に感謝の意を示す「いただきます」の意味を。
世界に誇れる「美しいココロ」を忘れたくない。